wish for03:天国への待合室。
真っ白な由李。
汚れた俺。
俺は由李と居たら、綺麗になれるのだろうか…。
「そういや、由李、何で俺が入って来たって判った?俺、音たててないだろ?」
何か話したくて、俺は由李に質問した。
由李の声が聴きたくて。
由李は、また微笑んで応えた。
「匂い」
「匂い?俺、何か匂う?」
「うん。香水…かな?甘くないんだけど、甘い香りがしたの」
「甘くないけど、甘い香り?」
「んー…何て言えば良いんだろ…。でもね?」
「?何?」
「その香りで、憂灯君に逢えた」
「何で?」
「その匂いがしなきゃ、憂灯君に気付かなかったかもしれない。逢えなかったかもしれないじゃない?」
優しく、由李の言葉が俺の身体に染み込んでいく。
手も。
声も。
俺は由李に囚われてしまったのかもしれない。
けど、俺はまだそんな事に気付いてなかった。
「…なら、俺を此処に呼んだのは、由李だな」
「え?」
「俺は、由李の声に惹かれてこの部屋に来た。由李の歌声が凄ぇ綺麗だったから」
「綺麗?」
「そう。澄んでて、透き通ってて。…意味一緒だけど」
「あははっ」
「けど、俺が聴いたどの音楽より、由李は綺麗だった。天使かと思ったし」
「天使?私が?憂灯君、それ褒め過ぎだよ」
「ほんとにそう思ったんだけど?」
「ありがと…憂灯君」
「また唄って?俺、聴きたい。由李の唄」
「ありがとぉ。私も、憂灯君といっぱい話したいな」
「来るわ。明日」
「約束。ね?」
由李はそう言うと、綺麗な小指を差し出した。
俺は由李の小指に自分のを絡ませて、指切りをした。
他愛も無い約束。
けど、俺にとったら誓約みたいなもの。
由李に別れを告げて、俺は病室を出た。
来た時は真っ青だった空が、漆黒の闇とたくさんの煌きに変わっていた。
俺は独り。
人の温もりの無い家へ戻った。
ひんやりと冷たい家。
まぁ、いつもの事だけど。
親父とおふくろは、いつも病院の仕事で遅い。
兄貴は…確か今日は家庭教師のバイトだった筈。
弟は………秀統は、予備校。
真っ暗で、人の温かみも何も無い。
俺は居た堪れなくなって、すぐに家を出た。
冷たい風が、冷たい熱を持った俺を、ゆっくりと冷やしていく。
どれも違う冷たさ。
けど、どれも同じ“冷たさ”。
人気の無い家は、纏う冷たさ。
風は、感じる冷たさ。
俺の熱は、誰にも触れられない俺の心。
俺が持ってる冷たさ。
多分、由李と話したせいだ。
いつもは、どの冷たさもこんなに感じたりしないのに。
いつの間にか、俺は病院の前に居た。
どうやって、此処に足を運んだか覚えてない。
俺の無意識がそうさせたんだろう。
俺は躊躇いも無く病院の大きな自動ドアを潜った。
由李の病室は………。
俺は、エレベーターの階数に眼をやる。
親父の部屋は4階。
て事は………。
俺はエレベーターの『3』のボタンを押して、扉を閉めた。
エレベーターはすぐに俺を目的の階まで運んだ。
さて、と。
此処から由李の部屋までどう来た?
俺は、由李の部屋にはエレベーターから行ったんじゃない。
親父の部屋に直通のエレベーターで上がって、帰りは何故か階段で降りた。
…よし。
俺は階段に向かった。
階段は此処。
んで…道はあっちとそっち。
えー…っと。
どっちから聴こえて来たんだっけ…。
「今のあなただからこそ…輝いて見えるのだから…今の私には…」
あ、そうそう。
こんな風に――………って!!
この声…っ!!
由李!!
俺は今度は病室の番号を確かめて、声の聴こえた方に向かって走り出した。
312号室。
磨代由李様。
磨代…由李。
此処だな。
俺は、今度は部屋を確認して、ゆっくりと足を踏み入れた。
「由李」
ゆっくりと振り返った由李は、星の光を浴びて、昼間よりも儚く見えた。
けど、それ以上に………。
それ以上に、由李は綺麗に見えた。
「憂灯君…」
声が、夜空の月のように澄んでいた。
「…さっきぶりだな」
「そうだね。いらっしゃい、憂灯君」
「いらっしゃいました」
「どうしたの?」
「何が?」
由李が不意に俺の手を取った。
何でだろ…。
俺は、されるがままだった。
「冷たい…」
「そりゃな。さっきまで外で居たから」
「家帰ったんじゃなかった?」
「帰ったんだけどなー…」
「淋しい…」
「あ?」
「私ね?憂灯君が帰った後、凄く淋しくなったの。何だろ…胸の辺りがきゅーって。だから、憂灯君が来てくれて凄く嬉しいんだぁ」
「俺も…」
「憂灯君も?」
「家帰っても誰も居なくて。外出たんだよ。けど、気付いたら病院の前に居た」
「逢いたかったぁー…」
由李の声が、優しく俺を包んだ。
それは空気なんだけど。
けど、他の何よりも温かくて。
俺の冷めてる熱が、由李の声で熔けていった。
そっと、由李の頬に触れてみた。
真っ白な、真っ白な由李の肌。
雪みたいに白い。
けど、雪みたいに溶けたりしなくて、冷たくもない。
人の体温。
仄かな温かさ。
ヒトって、こんなに気持ち良いもんだったか…?
「空…」
「ん?」
「今日は、空が綺麗な気がする…。憂灯君が居てくれるからかな?」
「俺が居たら?俺が居なくても、空はいつも綺麗だよ」
「そうかなぁ?」
「つーか…」
「何?」
「俺に言わせたら、由李のが綺麗…」
「私が?綺麗?」
「綺麗だよ…」
いつの間にか、俺の腕は由李の背中に廻っていた。
俺の手を握っていた由李。
由李は、素直に俺の腕の中に居た。
「ねぇ…憂灯君?」
「んー?」
「ヒトって…温かいよね…」
「ん…そうだな…」
「病院て、私ね…天国の手前だと思ってた」
「天国の手前?」
「うん。院長先生がお父さんの、憂灯君に言っちゃ駄目だと思うけどねぇ」
俺の腕の中で、由李は苦笑いをした。
病院暮らしが長いんだな…。
由李の身体からは、微かに薬品の匂いがした。
「別に由李が気にする事ねぇよ。俺、此処継がねぇから」
「そうなの?」
「生憎、俺は頭悪いしなー。それに、俺んトコは3人兄弟だし」
「憂灯君、兄弟居るんだぁ?何番目?」
「俺は真ん中。まぁ、俺は双子だからあんまり関係ないんだけどな」
「そうなんだぁ…」
「俺の事は良いって。何で病院が天国の手前なんだ?」
「あ、えぇーっとね。病院て白いじゃない?」
「あー…そうだな。由李も白いけどな」
「私?あぁ…中学でも言われてたんだよねぇ…。何か、日に当たっても赤くなるだけなの」
「良いんじゃん?焼けない方が。俺、黒いの嫌いだし」
「そうなの?」
「だって、怖ぇじゃん?」
「さぁ…?私は、今は憂灯君の肌の色も判んないから」
俺の腕の中で、由李はさらりと言った。
少しも、気にしてなどいないように。
「ごめん…」
俺の発した言葉に、由李は顔を上げた。
瞳は俺を映してない。
光も映してない。
瞳は感情を表してない。
けど、きょとんとした感じだった。
首を傾げて、小動物みたい。
…なんて、別の頭で考えていた。
………別の頭って何処だよ。
「何で謝るの?」
「…俺、無神経だったし」
「そんな事無いよ?」
「へ?」
「憂灯君、私に普通に接してくれるじゃない?それだけで、私は充分。憂灯君は憂灯君の見てる世界を話してくれるから、私も楽しい」
「そうなんだ…?」
「うん。皆、私に気ぃ遣ってて…。何か、お見舞いに来て貰ってるのにこっちが疲れちゃって…」
「そうか…」
「だから、全然気にしないで?」
「判った…。あ、で?病院が白かったら天国の手前っていうのは?」
「あ、そうそう。天国って、白のイメージしない?」
「あー…そいうだなぁ。逆に、地獄が黒、みたいな」
「そうっ。だから、天国の手前なの」
「けど…それって死ぬの前提じゃん」
「まぁ、そうなるかなぁ…」
「由李は死にたいの?」
「死にたくは、無い」
「なら、生きようぜ。俺は由李に死なれたら嫌だ」
「簡単だねぇ」
「簡単だよ。難しく考えるより、簡単に考えた方が良い時もあるんだって」
「そっか…そうだね」
「由李はいつも唄ってんの?」
「そうだね…。する事が無い時は」
「それって、大概は唄ってるって事じゃん」
「まぁ、そうとも言うっ」
にこっと笑って、由李は俺に抱きついて来た。
俺も、由李を抱き締める腕に力を入れる。
本当は、もっときつく抱きたい。
もっともっと…。
けど、これ以上力入れたら由李を壊しそうで…。
天使の羽を、手折ってしまいそうで…。
こんな俺が、由李の天使の翼を手折ったらダメだ…。
次回掲載予定は、今日から1週間以内の予定です。
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