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GEIST~館からの脱出~  作者: フランスパン
5/5

序の破


 維が眠ってどれくらい経ったか、時間の感覚が狂っていてよく分からない。

 鈴木も壁にもたれ掛って休息をとっているが、明巳はどうも休む気にはなれなかった。

「……維」

 明巳が維の後れ毛に触れると、彼女が目を覚ました。

「……私、寝てしまったんですか」

「ああ、おはよう維」

 一眠りして随分回復したのか、顔色もだいぶ良くなっていた。

「……具合は大丈夫か?」

「あっ……はい大丈夫です、ご迷惑をおかけしました」

「……いや、気にする事はない」

 維が目を覚ましたので、これからどうするべきかを考える事にする。

 先ほどまで維の事で頭がいっぱいだったが、ここでようやく他の九人の事を思い出した。

 広い館だ、おそらく『化物』から逃げきれたはずだろう。

「なぁ一郎さん、俺と維以外にも仲間がいるんだ、みんなと合流しよう」

「…………仲間、か」

 鈴木はあまり乗り気ではないのか、渋い顔をしていた。

 仲間は多い方が良いと思うのだが、彼は団体行動が好きではないのかもしれない。

「良いだろう……」

 鈴木はそう短く答えると、維にかけてやった毛布を、また同じ様に羽織るとライフルを背負った。

「それで、どこにいるか目星は着いているのか」

「いっいや……あの時はとにかく逃げるので精いっぱいだったし、俺達この館に迷ってそんなに動いてないし、食堂以外どこに何があるのかさっぱりだし……」

「……なら、一階を探せばいるだろう」

 鈴木は市販の手提げ袋を手に取るとと立ち上がり、ドアの方へと歩いて行った。

「先頭は俺が良く、その後ろを維、後方をお前が行け」

「えっ、俺?」

「……私、後ろでも大丈夫です」

「前は俺が警戒出来るが、後ろはそうは行かない、維お前に後ろは任せられない」

 別に後ろを行く分には構わないのだが、何も維にそんな風に言わなくてもいいだろう。

 維を見ると、酷い事を言われて傷ついたのか、少し俯いて居た。

「それと、もしも襲われた時はどこでも良い部屋に逃げ込んで鍵を掛けるんだ、あいつは密室には侵入できない」

「分かった……とにかく部屋を密室にすればいいんだな」

 明巳がそう言うと鈴木は頷いた。

 そして懐から鍵を取り出すと、それを鍵穴にさした。

「開けるぞ……」

 そう言って鈴木はドアを開けた。鈍い音を立てながらドアは開け放たれた。

 生唾を呑みながら、明巳は身構えていた。

 だが、目の前にはあの『化物』の姿はなかった。

 それを見て、明巳は張りつめていた胸をなでおろした。

「行くぞ」

 鈴木が外に出ると、それに維、明巳と言う順で続いた。

 さっきは必死で分からなかったが、やはり壁際には絵画やら高価な壺やらが飾られていている。

 流石に三回目になると慣れて来たのか、厨房に行った時よりも緊張しない。

(てか一郎さんが居るからかな……)

 ライフルを持っているが、とても優しいし維の事も助けてくれた。

 目つきと言い方がきつい事があるが、それも別に嫌な訳ではない。明巳の中で既に鈴木一郎というこの男は、かなり信用における人物になっていた。

「…………下がっていろ」

 ロビーまでやって来ると、鈴木は維と明巳を止まらせてライフルを構えながら、一人階段の踊り場へと進んだ。

 ロビーには『化物』の姿はなく、何もないただの玄関だった。

「…………、大丈夫だ」

「はぁ良かったぁ……大丈夫だぞ維!」

「……はい」

 三人は警戒しながら階段を下りてゆく、明巳も後ろを警戒してしっかり任務を果たしていた。

 先頭を行く一郎は玄関には目もくれず、右側の通路――つまり皆が逃げて行った方へと向かって行った。

「一郎さん、食堂はあっちだぜ?」

「……お前達は左の通路から追われて右の通路へと逃げて来たんだろう、わざわざアレが向かってくる方へ行く馬鹿はいない」

(俺は向かって行ったんだけどなぁ……)

「それにこちらには俺の避難場所があるからな……」

「避難場所?」

「ああ、襲われた時にすぐに対応できるように、鍵がかけられる部屋を幾つか開けて置いた、もしお前の言う仲間と言うのがこちらに逃げたのなら、そこに逃げた可能性が高い」

「すっげぇな一郎さん、てか他の部屋の鍵も持ってるのか! あんた何者だよホント!」

 二日間も館に居るとこんなに順応できてしまうのだろうか、一郎の元々もスペックが高いと言うのも関係しているのだろうが、『化物』への冷静な対応やいざという時の機転、どれも明巳が持ち合わせていない物ばかりで、そんな彼がものすごくかっこいいヒーローの様に見えてしまった。

「この部屋だ」

 鈴木がそう言ったのは、何の変哲もないただのドアだった。

 右の通路の端から二番目の部屋で、隣には幾何学模様の青い魚の絵が飾ってあった。

「ここに皆が居るのか?」

「……皆さん、ご無事でしょうか」

 維も心配そうにドアを見つめていた。

 自分の方が大変な目に遭ったと言うのに、他人の心配をする彼女が、健気で可愛かった。

 早くみんなと合流して、維を安心させてやりたかった。

 明巳がドアノブを回してみると、鍵がかかっている。鈴木はこの部屋を開錠していたのだから、やはりここには人がいる。

「やっぱりここに居るんだ! やったよ一郎さん」

「分かった、早く開けろ」

 鈴木は喜ぶ明巳にそうそっけなく言うと、鍵を手渡した。

 古い鍵で、掌に収まるくらいの大きさだった。

 鍵穴にはすんなりとおさまった。明巳がカギをひねると、鈍い音を立てて開錠した。

 はぐれてから大分時間が経っている、みんなきっと心配しているだろう。

 そして最大の笑顔を浮かべながら、ドアを開けた。

「皆――」

 

 しかし、待って居たのは容赦のないタックルだった。


「うごっ!」

 鳩尾にヒットしたその一撃によって、明巳は無残にも倒れた。

 しかもそのままタックルして来た人物の下敷きになって、圧死しそうだった。

 明巳は手足をばたつかせて、どうにか圧迫から逃れようとするのだが、自分の上に乗っかっているのが、雁仁志である事に気が付いた。

「かっ、雁仁志さん! 俺だって、鷹宮だよぉ!」

「あっ……、鷹宮さん!」

 そう言ったのは、ドアの向こうからこちらを覗く石崎だった。

 ものすごく驚いて居る様子で、他の皆も外の様子を伺っていた。

「なっ、なんだ……お前生きていたのか!」

「……いまあんたのタックルで死にそうになったよ」

 明巳が打ち付けた背中を押さえながら立ち上がると、維がいつの間にか鈴木に守られるようにして、その後ろにいる事に気が付いた。

 どうやら彼が彼女を自分の後ろに下がらせた様だ。

(……俺は助けてくれないんだ)

「鷹宮さん、御篠さん、無事だったんですね……良かった」

 色野が心配そうに言ってくれる中――。

「なんだ、生きてたんだね」

 赤西が嫌みったらしく言ってきた。明巳は腹立たしさを内蔵の奥の方にしまい込んで、殴りたくなる衝動をどうにか抑えた。

「所で人数が減ったと思ったら、なんで一人増えてるの?」

「あっああ、この人は鈴木一郎さんで、維を助けてくれたんだ」

「スズキイチロー? 何そのふた昔ぐらい前の名前」

 そう赤西が疑いの目を向ける。そんな彼に鈴木は相変わらずの無表情で応えた。

 他の数人も突然現れた鈴木の存在に戸惑っている様子だった。

「とりあえず中で話しましょう、開けておくのは危険です」

 石崎の言葉に促されて、三人は部屋の中へと入った。

 部屋は一二畳ほどの広さで、幾つかのソファと低めのテーブルがあった。床にはフカフカな緋色の絨毯が敷いてあり、その近くには暖炉があった。

「ここは」

「……応接間だ」

 鈴木がそう短く言った。確かにここは客をもてなすには良い場所だろう。玄関もそう遠くないし、陽も当たる。

 奥の方でハイキング部のメンバーが座り込んでいるのが見えた。他にも高松も壁に寄りかかって、睨みつける様にこちらを見ていた。

「あんた、その背負ってるのって……」

 鈴木がライフルを持っている事に気が付いた赤西がそう言った。

 その凶器の存在に気が付いて、皆鈴木から離れた。

 ハイキング部の面々も甲高い悲鳴を上げている。

「なっなんでこんな所に銃を持った奴がいるんだ! こっ殺し屋か!」

「ちっ違うって、一郎さんが『化物』を撃ってくれたから俺も維も助かったんだ、この人は悪い人じゃないんだって」

「なんで君が言うんだよ」

「そっそれは……」

 そんな事言ったのは、鈴木がちっとも弁論としないからだった。

 それに明巳は彼が悪い人間でない事を知っている、だからついムキになってしまった。

「あれを撃ったって……まさか『化物』は死んだんですか?」

「なら、今なら出口を探せるんじゃ」

「無駄だ、アレはこいつでは死なない」

 鈴木がそう言うと、皆驚き困惑した。

 『化物』が銃でさえ死なない、それではいったいどうやってアレに太刀打ちできると言うのだろうか――。

「嘘だろう、銃で死なないなど、アレは本当に『化物』じゃないか……」

「なら銃なんて持ってる意味ねぇじゃねぇか」

「確かに、倒せないなら意味がないですよねぇ……」

 皆の疑惑と不満の眼が、一斉に鈴木へと向けられる。

 『化物』を倒せない凶器が、いつ自分達に向けられるか分からないからだ。

「ちょっと待ってくれよ、一郎さんは――」

「別に、俺はお前達と行動を共にするつもりはない」

 明巳が一郎を庇う前に、彼は皆に聞こえる様にそう言った。

 その言葉は、とても高圧的で決して協調性がある物ではなかった。

「俺はこの二日、一人で生き延びて来た、むしろお前達の様な荷物が居る方が迷惑だ」

「なにぃ、我々が足手まといだと言うのか!」

「ああ足手まといだ、無鉄砲に体当たりなんぞしてくる奴は、余計に邪魔だな」

「なんだとぉ!」

 鈴木の言葉に怒った雁仁志が大声を上げて、今にも殴りかかりそうだった。

 明巳は止めに入ろうと口を開いたのだが、それよりも先に、色野が動いた。

「まぁまぁよしましょうよ、僕達は仲間なんですから」

「誰が仲間だと!」

「鈴木さんは僕達よりも、この館やあの『化物』にお詳しいようですし、同じ境遇に置かれた者同士、協力して脱出しましょうよ」

「まぁ、確かに丸腰で居るよりは、危なそうな奴でも銃持っている奴がいる方が幾分かマシかもね」

 赤西もそう言ったので、雁仁志はどうにか怒りを抑えて、鈴木をひと睨みするにとどめた。だが肝心の鈴木は、そんな事どうでも良い風だった。

「そう言えば皆さんは、この部屋の鍵を持っている様でしたが、一体その鍵はどうしたんですか……」

「あっああ、これは鈴木さんが持ってたんだ」

「それじゃあ玄関の鍵は?」「もうこんな所やだぁ!」「早くこんな所出ようよぉ!」「おうちに帰りたい!」

「玄関の鍵なんて持ってたら、その人はこんな所に居る訳ないだろう……少しは考えなよ」

「何よぉ、そんな言い方しなくたっていいじゃない!」

 赤西のきつい言い方に山崎がそう反論した。

 なんというか、本当にまとまりがないなと明巳は感じていた。

「……鍵は、他の部屋で見つけた」

「じゃあ、他の部屋にもあるのか?」

「さあな、俺も全ての部屋を探した訳ではない」

 鈴木はそう言うと、背負っていたライフルを手に持ってドアへと近づいた。

 そしてドアノブへと手を伸ばしたので、皆驚きながらそれを止めた。

「何をしているのだ、不用意に開けるんじゃない!」

「そうですよ、またあの『化物』が襲ってくるかも……」

「おいおっさん、自殺なら一人でやれよ」

「…………」

 鈴木は高松を睨みつけた。その眼はどこか凄みがあって、睨まれた高松は直ぐに視線を逸らした。

 怯んだ高松を無視して、鈴木はドアへと向かい今度こそ外へと出て行こうとした。

 しかしそれを引き留めたのは明巳だった。

「一郎さん、気を悪くしたなら謝るから、この館から出るにはあんたの力が必要なんだよ、頼むから出て行かないでくれよ」

「……なぜお前が謝るんだ」

「えっ?」

 別に明巳は何もしていないのに、謝罪をしようとしている。

 明巳はただ鈴木に出て行って欲しくないのだ、この人は悪人ではない、そう確信していたから――。

「…………、俺の持っている鍵でまだ行っていない部屋がある、そこに行って手がかりを探すだけだ」

「本当か! じゃあ俺も行くよ一郎さん!」

 嬉しそうに言う明巳を、鈴木は呆れた顔で見ていた。

 残念ながら明巳はその視線に気が付かないのだった。

「ちょっと待て、外に行って鍵を探すのは非常にありがたいが、外には『化物』が居るのを忘れているだろう!」

「別に大丈夫だよ、一郎さんが居るんだから! 一郎さんすっげー強いんだぜ」

「いや……そう言う訳じゃないんです……けどね」

 首を傾げる明巳に、石崎は言い辛そうにそう言っていた。

 他の面々も石崎と同じ様で、何か言いにくそうな様子だった。

「…………アレが入って来ないか心配なんだろう」

「えっ……」

 鈴木が言うと、皆視線を逸らした。

 皆あの『化物』が怖いに決まっている。もしもドアの向こうに『化物』が待ち構えていて、開けた瞬間に入って来たら逃げ場などない。

 明巳と鈴木の安全よりも、それが心配だった。

「えっ、皆そうなのか?」

「いやっ……そのえっと……」

 明巳の問いに石崎は困った。他の皆も口にする言葉が見つからなかった。

「怖いなら部屋の隅に居るんだな、だが外へ出る勇気のない奴は、ここから脱出など到底出来ないがな」

「…………」

 鈴木の言葉に誰も反論できなかった。

 彼の言う通り、ずっとここに居ても外に出られる訳がない事を、皆十分分かっていたからだ。

「……あの、私もついて行ってもいいですか」

 静寂の中口を開いたのは維だった。申し訳なさそうに、鈴木に向かって言っていた。

 維の積極性には脱帽の思いだった。

「絶対に足手まといにならないので、お願いします」

「駄目だ」

「……でも私、皆さんの力になりたいんです、足手まといにはならないので、私も……」

 維はどうしても着いて行きたいのか、そう言って小さく頭を下げたのだが、鈴木はそれを見下ろしながら、少しきつい口調で言った。

「お前はさっきまで気を失ってたんだろう、そんな奴が一緒に来ても何の力にもならない……いいからお前は此処で大人しくしてろ」

「ちょっと、いくらなんでもそんな風に言わなくても……」

 いくらなんでも維が可哀想だった。

 彼女なりに皆の役に立ちたいと思っているのだ、もっと言い方を考えて欲しかった。

「……はい」

 哀しそうに維はそう言った。

 明巳は彼女の頭を優しく撫でると、笑顔で励ました。

「大丈夫だ維、すぐに戻って来るからここで待っててくれ」

「…………」

 維はきょとんとして明巳の事を見上げていた。

 明巳はそんな事無視して、にこにこと笑顔で維の頭を撫でていた。

 だがそんな彼を鈴木は睨みつけていた。

「とっとと行くぞ」

「えっちょっと待ってくれよぉ」

 鈴木は明巳の言葉などどうでも良いと言わんばかりに無視して、開錠するとドアを開け放った。

「うわあっ!」「ひっ!」「やー!」

 皆が驚き短い声を上げた。だが鈴木は臆する事無く廊下へと足を踏み出した。

 長い廊下が続いているだけで、あの『化物』の姿はない。

「……いない、のか?」

「行くぞ、二階の部屋だ」

 鈴木はずんずんと進んで行くが、その手にはしっかりと握られたライフルがあった。

 明巳がふと後ろを振り返ると、閉じかかったドアの隙間からこちらを心配そうに見つめる維の姿が見えた。

 声をかけるべきかと思ったが、口を動かそうとした時には、もう扉は閉められていた。

「……維」

 なんだか罪悪感があったが、彼女の身の安全を考えると仕方がない事だった。

 廊下を進んでロビーまで戻って来た、やはり『化物』の気配などなく、左右の壁際に整列する西洋甲冑達が二人を迎えているだけだった。

 二人は左側の階段で上へと上がった。逃げる時は必死で気が付かなかったが、よく見ると階段の手すりにもたくさんの細かな細工が施されていた。

 この館はきっとものすごい価値のある建造物に違いないと、明巳はそう思ったが、そんな館がどうしてこんな所にあるのだろうか、なぜここに『化物』がいるのか、考えても明巳ちっぽけな頭では全く理解する事が出来なかった。

「……ここだ」

 左側の通路の、一番端の部屋。

 その部屋の前に、赤いチューリップの造花が花瓶に飾られていた。

「……まだ通路があるのか」

 左の通路は突き当たると、右に折れていた。長い廊下は薄暗くその先に何があるのか分からなかった。

 鈴木は鍵を取り出すとドアを開けた。

 そこは八畳ほどの部屋だった。見るからに高価な細工が施された机と椅子が置かれ、その下にはもこもこの絨毯が敷かれている。

 部屋は窓以外本棚に囲まれており、本棚の間に暖炉があり、その前には灰掻きと薪が置いてあった。

「すごい本棚だなぁ……」

 明巳の背丈よりもずっと大きな本棚で、その中には何冊もの本と明巳には解読できないアルファベットの羅列が掘られた楯が飾られている。

「ここって、書斎だったのかな?」

「……だろうな」

 鈴木はドアに鍵を掛けると、周囲の本を片っ端から開き始めた。

 どうやら手がかりを探しているらしい。

明巳も呆けていないで、同じ様に本棚から本を引っ張り出してそれをめくり始めた。

(うわ……全然読めない)

 アルファベットの文字列が綴られていて、全く理解できなかった。

 時折日本語の本もあるが、それも明巳が初めて見る漢字の羅列ばかりで眩暈がしてきた。

 十冊ほどめくってギブアップした。

「もう無理……頭痛くなって来た」

「字を追うな、内容に意味などない」

 そう言う鈴木は、本の文字列になど眼を通しておらず、本の中に何か挟まっていないかを確認していた。

(……それなら初めから言ってくれればいいのに)

 どうも鈴木は言葉が足りないと言うか、説明不足というか、とにかく明巳に対してよく分からない壁を持っている。

 明巳は本棚を探すのは諦めて、高価な机の周辺を漁り始めた。

 机の上には何も物が置かれておらず、綺麗な木目が見える。

「……アレ、鍵かかってる」

「そこは貴重品入れだ、鍵がかかっていて当然だ」

 視線さえ向けずに、本をめくりづづけている鈴木がそう言った。

 だったらそう言う風に言ってくれればいいのに、明巳はそう思いながら捜索を再開すると、引き出しに何やら紙が挟まっている事に気が付いた。

 上質な紙で、その辺のコピー用紙とは明らかに物が違っていた。

「……なんだ? これ」

 引っこ抜いてみると、半分に折られた便箋だった。

 ただ線が引かれただけの、簡単な便箋だったが、シンプルで上品な物だった。

「……一郎さん、これなんだろう?」

「…………」

 一郎は本を捜索する手を止めて、こちらへやって来た。便箋を受け取るとそれを開いた。

「なんだ、これは」


『きょうは おとうさんとおかあさんといっしょに ピクニックにいったよ。

 おかあさんのごはんがすごくおいしかった みんなでいきたいな』

 

 ピンクの色鉛筆で書かれたもので、それは明らかに子供の字で書かれた物だった。

「……これって、日記かな?」

「…………分からない」

「あの『化物』が書いた訳じゃないよな……」

「……あの手で色鉛筆を持つなど、不可能だ」

 となると、この色鉛筆のメモは一体何なのだろうか。『化物』以外に、この館に人がいるのだろうか――。

「この館、人が住んでるのかな」

「……さあな」

 その様に返すと、鈴木は便箋を手提げ袋へとしまった。

 随分重そうな手提げ袋からは、何か金属同士がぶつかり合う様な、そんな音がした。

「なぁ、それ何が入ってるんだ?」

「……知ってどうするんだ」

「いや、重そうなのにわざわざ持ち歩くって事は、何か大事な物でも入ってるのかと思ってさ」

「……ライフルの弾だ」

 確かに大事な物だったが、考えもしなかった物なので驚いた。

 そもそも、鈴木の持つこのライフルは一体何なのだろうか――。

「その銃って一郎さんのなのか?」

「ここにあった物を拝借しているだけだ」

「えっ、銃なんて置いてあるもんなのか! まさかこの館殺し屋の家なんじゃ……」

「……ただの狩猟用ライフルだ」

 想像力豊かな明巳に向かって、鈴木はそう冷たく言った。

 狩猟と聞いて、確かに金持ちの趣味だと納得できた。

 きっと自分で仕留めた獲物を剥製とか絨毯とかにしているに違いないと、明巳の脳は勝手に断定した。

 だが、そうなると新たな疑問が生まれた。

「あれ、でもなんで一郎さんライフルなんて撃てるんだ?」

 普通一般人が銃を撃つ事など出来るはずがない、例え館にあったとしても使おうとか、持とうとか思わないはずだ。

 明巳なら絶対に撃てない。しかも鈴木は正確に『化物』を撃っている。

 良くは分からないが、それはかなりの技量が無いと出来ないはずだ。

「…………俺も狩りをするんだ」

「えっ、一郎さんハンターなのか! すげぇっ」

 ハンターという響きだけでかっこいいと思う明巳を、鈴木は呆れながら見ていた。

 そして話題を変える様に、脱出の手がかりを探し始めた。

「雑談はいい、早く鍵を探すぞ」

「あっ、ああ……」

 鈴木に促されて鍵の捜索を再開した。

 本棚の本を一冊ずつ開いて行く鈴木、何冊か開いた後、その中から鍵が落ちた。

 古い銀色の鍵が絨毯の上に落ちた。

「やった、これで外に出られる!」

「……違う、これは玄関の鍵ではない」

 歓喜する明巳に鈴木はあくまでも冷静にそう言った。

 確かに鍵は小さくて、あの玄関の扉を開ける物には思えなかった。

「それ、どこの鍵なんだろう……」

「二階の北側の部屋だ」

「えっ、分かるのか一郎さん」

 驚く明巳に鍵を手渡した。よく見ると『F2N2』と書かれていた。

「えっ、つまり?」

「……F2が二階、Nがノースで北、2が二番目の部屋と言う意味だ」

 なるほど、鍵に部屋の場所が書かれていたのかと、納得した。

 家の鍵に場所の名前を書くなどありえないが、この館は書かねばならないほど部屋数が多いのだろう。

「もちろん、全ての鍵に書かれている訳ではない訳だが……」

 鈴木はそう言うと明巳から鍵を取り、ドアの方へと向かって行った。

 目的の鍵も見つけたし、これ以上の捜索は不要だろう。早く次の部屋に行かなくてはならない、やる気満々で外へ出ようとした明巳だが――。

「……戻るぞ」

「えっ? なんでだよ一郎さん、せっかく鍵が手に入ったのに!」

「だからだ、これ以上は危険だ」

「危険? 何が危ないんだよ」

「もうすぐ日が暮れる……この館は電気が付く場所もあるがつかない場所もある、暗闇の中襲われれば、いくら俺でも対処しきれん」

 そこまで言われて明巳はようやく理解できた。

 もうこの奇妙な館に日が暮れるまで居た、その事実に驚いたとの同時に、夜への恐怖が胸の鼓動を早くした。

「この続きは明日にする」

「あっああ」

 明巳は部屋の窓からふと外を見た。いつの間にか光量が減っていて、随分暗くなっている。

 その夜の闇が、全てを飲み込んでしまいそうで怖かった。




 その後二人は、部屋へと戻った。

 相変わらず赤西に皮肉を言われ、ハイキング部は脅えており、それを色野が宥めていた。

 だが何よりも明巳をビックリさせたのは、維は二人が部屋を出て行った時と同じ様に、ずっとドアの前で待って居た事だった。

「維、お前ずっとドアの前に居たのか!」

「……はい、お二人が戻られるか心配で……」

 維はそう弱弱しく言ったが、その言葉の中に安堵の表情がある事を見逃しはしなかった。

 健気にもずっとドアの前で待って居た彼女に、明巳はなんだか感動して来た。

「維っ、お前は本当にいい子だなぁぁ」

 目尻に涙を溜めながら、維の頭を撫でる明巳。

 そんな彼を鈴木は睨みつけると、視線を撫でられて少し戸惑っている維へと向けた。

「維、ドアの前は危険だ、次からは待たなくていい」

「……はい、すいません」

「ちょっと一郎さん、維は俺達の事を心配してたんだぞ、そんな事いうなよぉ、なあ維」

「…………」

 維は少し困った様な表情で、明巳の事を見ていた。

「お二人とも無事で本当に良かった……それで何か分かった事はありましたか?」

 色野がそう話しかけて来た。

 明巳は先ほどの書斎での事を、包み隠さず皆に話した。

 ピンクの色鉛筆で書かれた子供の日記、本に挟まっていた次の部屋の鍵の事も――。

「ふーん、子供の日記ね」

「なんだか気味が悪いですね……」

 赤西は見つけた紙を見ており、その横から石崎が覗き込んでいた。

 一見はただの日記だが、こんな所にあるとやはり気味が悪い。

「なんだ、あの『化物』が書いたのか……」

「ピンクの色鉛筆って、なんかきもっ」「全然女子力になってないし」

「…………まぁ、問題はこの日記に意味があるのかって事だよね」

 赤西は、雁仁志とハイキング部の山崎と杉山を呆れた目で見詰めると、話を本筋へと戻した。

「意味があるのかは分からないけど……とりあえず持って来たんだ」

「ふーん、まぁどんな些細な事でも何が出口へつながっているか分からないし、重要だけどね……」

 遠まわしに使えないと言っているのだろう、明巳はムカッと来たので、口をへの字に曲げて強めの口調で言った。

「じゃあ次はあんたが行ってくれよ、俺なんかよりも色々見つけられるんじゃねぇの」

「僕には無理だよ、それで見つけた鍵って、一体どこの鍵なんだい?」

 赤西は明巳の言葉に軽く返すと、話題をずらした。

 その態度に明巳は更にイラついた。

「二階の鍵だ」

「そこまで分かってんのに、次の部屋行かなかったのかよ」

「暗くなると危険なんだ、明日明るくなったら行くよ」

「はぁっ夜になったらおねんねかよ、餓鬼か」

 高松はそう吐き捨てる様に言う。色々文句を言ってやろうとしたが、明巳は何とかそれをこらえた。

「……これ以上の探索は不可能だ」

「ちょっと、それじゃあ今日ここで寝ないといけないの!」「嫌こんな気持ち悪い所で寝られない!」「早くおうち帰りたい!」「早く玄関開けてよぉ!」

 ハイキング部の面々がそう嘆くのだが、鈴木は聞く耳を持とうとはしなかった。

「そんなに外に出たいんだったら、お前等が行け」

「おいあんた、いくらなんでも女の子にそんな言い方は酷いじゃないか!」

「ならお前が行くか?」

 鈴木は突っかかって来た雁仁志に向かって見つけて来た鍵を突き出した。

 しかし雁仁志はその鍵を受け取る事が出来なかった。

「うっ……うう」

「勘違いするな、俺は別にお前らの為に鍵を探している訳ではない、あくまでも俺自身の為だ……お前らはあくまでもついでだという事を忘れるな」

 彼を睨む鈴木の眼はかなりの凄味があって、言い返す言葉が口から出なかった。

 逃げる様に窓際へ移動する雁仁志。

 そんな光景を見ていた石崎のふとしたつぶやきが、明巳の耳に入った。

「あの人、どこかで見た事あるんだよなぁ」

 一体どういう意味なのか、明巳には分からなかったし、独り言で聞き返しづらかった為、気にしない事にした。

 ふと窓の外を見ると、もう真っ暗で完全に日が暮れたのが分かる。

部屋は電気がついているが、廊下は真っ暗で探索など不可能だろう。

 この館での夜を、一体どうやって過ごせばいいと言うのだろうか――明巳は急に不安になって来た。

 不安を紛らわす様に隣に居た維に話しかけた。

「維、怖くないか?」

「……いいえ、大丈夫です」

 てっきり怖がっているかと思ったが、維は冷静でとても落ち着いて居た。

 他の女子とは違って、維は大人びた子だ思ったが、どうやら肝も据わって居る様だ。

 こんな女の子がその様に言うのだから、自分も怖がっている場合ではない、明巳は思い切り深呼吸すると維に向かって最大の笑顔を見せる。

「そっか、維は強いんだな!」

「…………はあ」

 維は少し驚いた表情をして、捻り出した様にそう返した。

 その時大きな音を立てて、明巳の腹が空腹の合図を出した。

 周囲の視線は迷う事無くその音の出所に向けられた。

「……あ~え~と、もうこれ位にして今日は休んだ方が良いんじゃないかな~って」

「呆れた、君は少し空気読んだ方が良いよ」

「どちらかと言うと、夕食にした方が良いかもしれませんね」

 呆れる赤西に、笑いながらフォローを入れてくれる色野。

 だが空腹は自然の摂理、仕方がない事だ。

 気が抜ける様な間抜けな音を耳にして、ハイキング部の面々も自然と泣き止んだ。

「とりあえず、今日はもう休みましょう」

 石崎がそう言って、皆休息をとることになった。




 空腹が満たされた明巳は、いつの間にか眠ってしまっていた。

 部屋のソファは女の子に使わせてあげようという話になって、ハイキング部の面々がそこで寝て、男は各々好きな場所で眠りについた。

 明巳は本棚の脇を陣取り、安物ジャンパーを枕代わりにして寝ていた。

(……ん、今何時だ?)

 眼を覚ました明巳は、ふと辺りを見てみると部屋はまだ真っ暗だった。

 皆眠っているのか辺りは静かな物で、寝られないと喚いて居たのが嘘の様だった。

 どのみち朝になるまで動く事は出来ない、明巳はもう一度寝ようと睡魔に身を委ねたのだが――。

(あれ……確か電気つけっぱなしにしたんじゃなかったっけ?)

 確かハイキング部が暗くては寝られないと言うので、電気は付けたままにしたはずだ。

 それが今消えている。明巳が暗闇の中眼を凝らして辺りを見ると、ドアの近くに白い影があった。

 明巳の記憶が確かなら、ドアの近くで寝ていたのは維だった。

 白いワンピースを着ていたので、間違いない。

(……なんだろう、もしかして夜食か?)

 前に女の子は食べる姿を見られたくない、という雑誌の記事を見た事があった。じろじろ見るのは止めようとか、そんな内容だったのを覚えている。

(そういやぁ、維が食べてるところ見てないなぁ)

 明巳がそんな事を考えていると、白い影――維は立ち上がってどこかへ歩き出してしまう。

 あろう事か維はドアへと手をかけて、外へと出ようとしていたのだ。

「(おっおい維! どこ行くんだよ)」

 声を潜めてそう言うが、維は聞こえていないのかドアを開けてしまった。

 明巳は維を止める為にドアの方へと行こうとするのだが、今は深夜皆を起こさない様に背を低くして歩いていたら、壁に思い切り頭をぶつけてしまった。

「(いでぇ!)」

 大声を出さなかったのは奇跡に等しい。暗闇に目が慣れていないので思う様に前に進めない。

「(維、待ってくれよぉ!)」

 明巳がドアの前につくと、もう維の姿はなくドアも閉められていた。

 外へ出てしまった、急いで連れ戻さなければ、明巳は後を追う様にドアを開けて外へと出た。

「……維?」

 しかし廊下に維の姿はなかった。

 彼女が出て行ってからそんなに時間は経って居ないはずだ、それなのに姿が見えない。

 ひんやりと冷たい廊下、明かりが無く暗闇だけがそこにある廊下は、どこか気味が悪くかった。

『うっ……ううっ』

 その時、すすり泣く様な声が響いた。

「誰だ!」

 明巳が大声を出して廊下を見渡すが、人影はなく返事もない。

 ただ哀しそうなすすり泣きばかりが、暗闇の廊下に響き渡るだけだった。

『……うっ、うううっ……』

 体のあちこちから、何とも言えない汗が出ているのを感じた。

 得体の知れない物への恐怖が、明巳の体を蹂躙する。

 心臓が脈打ち、全身の血管という血管に過剰に血液がいきわたっていそうだった。

『……うっ……うう……』

 すすり泣きは徐々に小さくなり、まるで闇の中に溶ける様に消えてしまった。

 廊下にはただの静寂と暗闇だけが取り残されていた。

「……なんなんだよ」

 ただ茫然とドアの前に立ち尽くしていた明巳。だがその視界の端に眩い光が映った。

 振り返ると、先ほどまでついて居なかったはずの部屋の明りが付けられていた。

 なぜ、一体誰が付けたのか明巳は部屋の中へと戻った。

 皆変わりなく眠っていて、誰も動いた形跡がない。

 ならば一体どうして、明巳が戸惑っているとそれ以上に戸惑う事があった――。


 扉の横で、維が眠っていた。


「な……んで」

 維は蹲る様にして眠っていた。疲れから熟睡しているらしく、目覚めた様子もない。

 ならば、外へ出て行ったあの人影は一体何だったのだろうか――――。

 そもそもなぜ電気が消えていたのだろう、あのすすり泣きは一体何だったのだろう。

 何とも言えない恐怖が、腹の奥底の方からじんわりと漏れ出して来た。

 

 


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