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GEIST~館からの脱出~  作者: フランスパン
4/5

序の破②



「どうぞ」

 維と明巳は、取って来た食料を皆に分けていた。

 あれだけあった缶詰も、一一人で別けると少なくなってしまうが、仕方がない事だった。

 明巳は缶詰とは別に持って着たパンを食べて、とりあえず空腹を満たした。

(……米が喰いたいなぁ)

「これからどうするの……一応食料は手に入ったから、しばらくは飢えずに済むけど」

 随分嫌な言い回しで赤西が発言した。

 その言葉に怪訝な表情をしたのは、ハイキング部のメンバーだった。

「ちょっと、まさか何日もここに居る訳じゃないわよね」

「事と次第によってはの話だよ、まぁその可能性も否定できない訳じゃないけどね」

「嫌よ! 早く家に帰りたい!」

 赤西の言葉で、女の子が一人泣き出してしまった。色野や他のメンバーがそれを宥める。

「中島さん、泣かないで」「月子大丈夫だって」「泣くとメイク落ちるよ」

 宥めている女の子たちも、どこか不安げな表情だった。

「でも、赤西さんの言う通り、これからどうするかは決めないといけませんね」

「確かにそうだなぁ、ずっとここに居る訳にもいかないな」

 赤西の意見に賛同したのは、石崎と雁仁志だった。だが悩んでいる様子で、その後の言葉が続かない。

「けっ、決まってんだろう、外に出て出口を探せばいいんだろうが」

 乱暴に口を開いたのは、高松だった。

 座り方も乱暴で輩そのものだが、明巳は高松の意見に賛成だった。

 このままここに居るよりは、出口を探す方が良いし、先ほど食料を探す為に外に出たので、恐怖感は大分薄らいでいた。

「……まぁ、それしか方法はないよね」

 小さくため息をつくと、赤西は立ち上がった。

 それに続いて、石崎と雁仁志も立ち上がる。どうやら男性陣の大半は意見が一致しているようだ。

「僕ら外に出るけど、色野先生はどうするの」

「えっ、あっ僕も行きます」

 赤西に言われて色野が立ち上がるが、それを見たハイキング部のメンバーは驚いて色野にしがみ付く様にしてそれを阻止する。

「色野先生行かないでよぉ」「またあの変な奴出てきたらどうするの」「一緒に居てよセンセ」「教師の仕事でしょ!」

 断固として外に出たくないハイキング部のメンバー、やはり女の子には怖いのかと明巳が思っていると、維が立ち上がって扉の方へと歩いて来た。

「あっおい維……、お前も行くのか?」

「……はい、少しでも皆さんのお役に立てればと思いまして」

「外は危険なんだぞ、ここで待ってろって、出口見つけたら、俺が迎えに来るから」

「……でも、さっきも出ましたし」

「さっきは食料探すだけだったからいいけど、今度は出口を探すんだ、どれぐらいかかるか分からないんだから、ここで待ってるんだ」

「…………でも」

 維はしょんぼりした様子で、下を向いてしまった。

 なんだかいじめている様な気がして、明巳の胸が罪悪感でいっぱいになった。

「行きたいって言ってるんだから、連れて行けばいいじゃないか」

「なっ……、でも維は女の子だし、きっと危ないだろうし、それに体力ある男の方が良いだろうし……」

「ふ~ん、様は御篠さんがお荷物だって言いたいの?」

「そっ、そんな風には言ってねぇだろう!」

 赤西の言葉につい激高して怒鳴ってしまったが、維の方を見ると、変わらない無表情のはずなのに、何処となく悲しそうに見えた。

 こんなときに何かいい言い返しがあればいいのだが、口で赤西に勝つ事は、明巳には不可能だった。

「じゃあ行きましょう、二手に分かれて探しますか?」

「そうだね、その方が効率はいいよね」

「ちょっと、本当に行くの!」

 すっかり外へ行く気満々の皆に声をかけたのは、山崎だった。

 不安や脅えが、顔に出ていて一目で見て取れる。

「あたし達どうするのよぉ、女の子ばっかり置いてってぇ!」

「そうよ、もしあの化物が入って来たらだれが守ってくるのよぉ!」

 どうやら自分達を特別扱いして欲しいらしい、赤西がハイキング部を見て小さくため息をつくと、威圧する様に言った。

「一応言っとくけど、別に僕は女だからとか年下だからって事で特別扱いするつもりはないよ、それに君たちのその理論で行けば、一番特別扱いするべきなのは御篠さんだ。彼女は自分から食料探しをして、僕らの飲み水と食べ物を持って来てくれたんだ、そして今も危険を顧みずに自分から行動してくれた……、僕は彼女の方が好感を持てるよ」

 確かに維はハイキング部とは違って、自分から危ない事でも積極的にやってくれるいい子だ。正直そう言う子の方がずっといい。

「何よ、あたし達も缶詰取って来たり、外に出ろっていうの!」

「自分の事ぐらい、しっかり自分でやれって言ってるんだ、君たちは高校生になってもそんな事も教わらなかったのかい」

 言い方はかなり悪いが、赤西の言う通りだ。駄々をこねてばかりでは無くて、多少の事は我慢して協力してくれないと困る。

「どうでも良いだろう、行きてぇ奴は行く、残る奴は残ればいいだろうが!」

 高松がそう言うと、山崎はとても不機嫌な顔をしてから維を横目でにらみつけた。

「分かったわよ、御篠さんみたいに、行けばいいんでしょう、行けば!」

 怒鳴り付ける様に言われた物だから、維は少し怖がっていた。

 幸先が不安だが、とりあえず外へ出る事でまとまった。

「……では、開けますよ」

 石崎と雁仁志が、閂を外した扉を慎重に開けた。

 蝶番が軋むような音を立てながら、扉は開かれた。

 絨毯が敷かれた長い廊下が、一一人を待ち構えるようにそこにはあった。

「まず、どうするのだ」

「とりあえず、玄関に戻った方が良いんじゃない、それから二手に分かれるなりすればいいよ」

 この館の構造がどうなっているのかも分からない。

 とりあえず、玄関の方へ向かう事にした。

 一一人は寄り添う様にして、廊下を慎重に進んでいった。

 先頭は色野と雁仁志、その後を赤西と石崎、ハイキング部の面々と明巳と高松、そして一番後ろに維が続いた。

 さすがにこの人数だと大所帯で、広いと感じた廊下も圧迫感がある。

 皆どことなくピリピリしていて、何とも言えない緊張感がその場にあった。

「維、怖くないか?」

「……はい、大丈夫です」

 結局維も外に出たが、明巳は心配だった。

 やっぱり無理にでもさっきの食堂に残していくべきだったと、そう思っていた。

「ちんたら歩いてんじゃねぇ」

「……すっすいません」

 高松が維にそう怒鳴って来た。別に止まった訳でも遅い訳でもない、ほんの少し話しただけなのに、この言い方は酷い。

 皆恐怖でピリピリしているのは分かるが、高松の態度は酷いと思った。

 明巳が何か言い返そうと思った時、何処からともなく床が軋むような音がした。

 ギギギッ ギギッ ギギギギッ

 一一人の足音ではない、そもそもここの床は軋むほど傷んでいない。

 なら、これは一体何の音なのだろうか――。

「なっなによぉ、この音」「やだ、怖い」

 音はどんどん大きくなってくる。館全体が軋んでいる様な音がして、ここが崩れ落ちてしまうのではないかと誰もが不安になった時だった。

 突然、音が止んだ。

 何の前触れもなく突然音が止んだ。

「……一体、今のは何だったのだ」

「さあ……分からないよ」

「止まったんですからいいじゃないですか……」

「早く玄関へ行きましょう、皆さん」

 そう言って、皆が再び玄関を目指して歩き始めようとした時だった。

「あっ――」

 明巳の視界に、白い物が飛び込んで来た。

 先ほど自分達が通って来た廊下、その奥の暗がりに何か蠢く白い物が見える。

 その白い蠢く物が何か明巳が分かった時には、その白くてずんぐりした足が見えていた。


 それは『化物』だった。


 白濁とした顔に開いた、二つの穴。本来は眼のあるべき所には眼球はなく、真っ黒な闇が詰められていた。

 その眼とは到底呼べないものと視線を合わせてしまった明巳。

 一瞬全てが止まった様な感覚に陥ったが、それは本当に一瞬だった。

「――走れぇ!」

 明巳は叫んだと同時に走り出していた。

 その言葉を聞いて、皆後方を見た。そしてあの白い影を見た瞬間に、その言葉の意味と状況を理解して走った。

 壁に体をこすりつける様に、ギリギリの通路を進んで来た。

 あの短足からは想像出来ないほど、足が速い。

 ロビーにたどり着いた頃には、『化物』はすぐそこまで迫っていた。

 先頭を走っていた色野と、いつの間にか皆を追い越していた明巳が、扉に飛びついてドアノブを回してみるが、やはりビクともしない。

「くそっ、やっぱり開かねぇ!」「ぶち破りましょう!」

 二人は体当たりをして扉を壊そうとするが、ビクともしない。

「早く開けるのだ!」「早く開けて!」「早く開けろ、この愚図!」「もういやあ!」

 皆口々に文句を言うが、この扉は開く気配を見せない。

「ここは無理だ、進むんだ!」

 『化物』の右足がロビーに入って来た時、赤西がそう叫んだ。

 このままでは『化物』に襲われるし、これ以上判断が長引けば逃げきれなくなる。

 明巳もこれ以上は無駄と判断し、赤西の言う通り反対側の通路、ロビー向かって右側の通路へと走った。

 『化物』のドシドシという足音と共に、揺れを感じる。

 その体躯の大きさと重さをまじまじと見せつけられている様だった。

 若い明巳と色野を先頭に、その後ろを元サッカー選手の雁仁志、何とかついて来ている様子の石崎と赤西、泣き叫びながら走るハイキング部、そして最後尾に高松と維が居た。

 最後を走る維と『化物』の間は、ほんの数メートル、気を一瞬でも緩めればたちまち追いつかれてしまうほどの距離だった。

「ちっ……」

 高松は振り返りながら舌を打った。

 そして、視線をすぐ後ろを走る維へと向ける。息を切らせながら一生懸命走る彼女は、着いて行くので限界だった。

「…………」

 高松は少しスピードを緩めると、二人は並走する形になった。

 全力で走って、脳に酸素がいきわたらなくなった時だった。

「あっ――」

 突然、維の体が宙に浮いた。

 奇妙な浮遊感に襲われたその時、全身を痛みが襲った。気が付くと、自分の体が床に倒れている事に気が付いた。

「うっ、はあっ……はあ……」

 床に体を打ち付けたショックからなのか、体が上手く動かず、胸が苦しい。

 維が薄れ行く意識の中、視線を上へ向けると、走り去る皆の後ろ姿が見えた。

「…………」

 その中で、唯一自分を転ばせた高松だけが、こちらを見ながら走って行った――。




「……維?」

 逃げる事に必死だった明巳は、ふと周囲を見渡して維がいない事に気が付いた。

 右側の通路に入って、部屋を一つ二つ過ぎ、廊下が左に折れる手前の事だった。

 明巳はあろう事か立ち止まって振り返った。

「鷹宮さん?」「うわっ、急に止まるんじゃない!」「はぁっ、はあっ」「ぜぇ……ぜぇ」

 隣を走っていた色野に不思議がられ、真後ろの雁仁志に怒鳴られ、息切れを起こして顔を真っ赤にしている石崎と赤西が、明巳の横を通りすぎて行く。

「はあっ、はあっ」「もういやあっ」「うっうええっ」「もうムリィ」

 ハイキングの四人が少し遅いペースで、明巳の横を通り過ぎて行く。

「邪魔だぁ、どけ!」

 そしてその後に、高松が続き怒鳴り散らしながら走り去って行った。

 だが、維の姿が無い。

「維……」

 明巳の胸に不安がよぎる。先ほどまで走っていたはずなのだ、その維がいない。

 たまらなくなって、明巳はあろう事かロビーへと来た道を引き返して行った。

「維、ユイ――」

 名前を呼びながら逆走するが、返事がない。

 とうとうロビーまで戻って来てしまった明巳の眼に、その光景は飛び込んで来た。

「あ――」

 ロビーの中央辺りに立って居る『化物』。逆走して来た明巳などまるで見えていないかの様に、ただその場にたっていた。

 右手で口を覆う様にしているが、その手の隙間から、何かが見える。

 真っ白な、どこかで見た事のある白い布――なぜあんな所に布があるのか、一瞬分からなかったが、そこから腕の様に細い足が二本生えているのが見えてようやく分かった。

 分かったと同時に、明巳は体から血の気が引くのを感じた。


 『化物』が、維を喰っていた。


 大きな口からはみ出ているのは、維の着ていたあの白いワンピースで、あのか細い足は維の足。

 頭から『化物』は維を喰っていた。

「ゆっ……ゆいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 悲鳴のような叫びを、明巳は上げた。

 ロビーどころか館全体に響く様な、そんな声だった。

「あっああ……あっ……」

 維の体は既に半分以上飲み込まれていて、あの足の先に上半身がちゃんとついているのか確認できない。

 維が喰われる、維が死んでしまう。明巳はどうしようもない恐怖に襲われた。

「やめろおっ!」

 維が死ぬのは駄目だ、絶対に駄目だ。

 明巳は気が付くと『化物』に向かって走っていた。

 『化物』は明巳の倍以上の身長がある、そんな相手にちっぽけな彼に何が出来ると言うのだろうか――。

 ただひたすらに、維を助けなければとそう思った。

 だが、明巳の接近に気が付いた『化物』はその大きな手を振りかぶった。

 手相が見えるほど近くに迫った掌、もう避ける事も出来ないほど近づいてしまった。

「あっ――」

 明巳に向かってその巨大な掌が振り下ろされた――。


 その時、大きな破裂音がした。


 花火ではない、明巳が聞いた事の無いもっと乾いた音。

 状況が全く分からない、だが目の前の『化物』は突然苦しいのか身をよじる。

「一体何が……」

 唖然とする明巳、だがその間にもう一度あの破裂音が響いた。

 すると『化物』は苦しそうに膝をついた。そしてよほど苦しいのか、飲み込めなくなった足を吐き出した。

 口から毀れた物を、明巳は確認しなければならなかった。

 例え脹脛から上が食い千切られていようと、明巳は確認しなければいけなかった。

「あっ……ああ」

 維の足には、美しい太ももに細い腰、細い腕に肩と首、そして頭がしっかりとくっついて居た。

 どこも無くなってはいない、全部ある。それだけで明巳は泣きそうになった。

「維、維!」

 明巳は維に近づくと彼女を抱き上げた。だが軽い体を揺すっても、維の瞼は固く閉じられていて開く気配がない。

 どうすればいいのか分からず、明巳はパニックを起こしていた。

「何をしている、早く逃げろ!」

 耳に突然見知らぬ声が飛び込んで来た。

 見ると、ロビーの階段の踊り場に、一人の男が立って居た。

 背格好でかろうじて男と分かるが、遠すぎて歳までは分からない。ただ全く知らない男だと言う事しか分からなかった。

「こっちだ、上に来い!」

 見知らぬ男はそう言っているが、信用していいのか分からない。

 だが、明巳には考えている余裕などなかった。

 苦しそうにもがいて居た『化物』が、上半身を起こして明巳と維に事を睨みつけている。目はないから、睨んでいるのかなど分からないのだが、明巳にはその様に見えた。

 そして『化物』は、再び明巳に向かって大きな掌を振り下ろそうとしていた。

「うっうわっああ」

 明巳は維を俵担ぎにすると、急いで階段へ向かって走った。

『化物』の手は、先ほどまで明巳が居た場所に振り下ろされて、大きな揺れを起こした。

 そして逃げる明巳を這いつくばって追う。

 短足の割に素早い『化物』は、階段を器用に這い上がって来て、明巳へと迫った。

 もう駄目だと思ったその時、明巳の視界にあの男が映った。

 男が何か長い物を頬に当てて、両手で構えているのは見えたが、何なのか理解するのはかなり時間が掛った。


 それはライフルだった。


 黒い小銃。映画やアニメなどフィクションの世界でしか見た事の無い物、目の前でこうやって見るのは初めてで、銃口が自分に向いていないと分かっていても、明巳の体は本能的に止まってしまった。

「止まるな走れ!」

 男はそう怒鳴りつけた。その言葉で我に返った明巳は再び階段を駆け上がる。

 すると男は狙いを定め、再び発砲した。

 撃鉄が雷管を打ち火薬が着火し、ガスが弾丸を押し出した。銃口を抜けた弾丸は回転しながら、空を裂き、真っ直ぐに飛んで行った。


 弾丸は『化物』の眉間を貫いた。


 眉間を貫いた弾丸の衝撃で、階段を這う様に上っていた『化物』はバランスを崩して、そのまま頭からゴロゴロと階段を転がり落ちて行った。

 その白濁とした体が床に落下すると、まるで地震の様な揺れがして、明巳もバランスを崩しそうになった。

「うわあっと……」

 どうにか階段を上り切って、男の真横までたどり着いた。

 男は三〇代半ばか後半くらいで、大量生産されている薄汚れたワイシャツに濃紺のズボンを穿き、安物の靴を履いていた。

 そして映画のスナイパーの様に、薄手の毛布をまるでマントの様に肩から羽織っていた。

(……かっこいい)

 明巳がそう思っていると、男は眉間に皺を寄せて、鋭い視線をこちらに向けて怒鳴る。

「もたもたするな、早く走れ!」

 男はそう言って、顎で右側の通路を指した。そっちへ行けと言う事なのだと明巳はようやく理解して、言われるがまま走り出した。

 二部屋ほど通り過ぎると、ドアが開いて居る部屋を発見した。

 明巳が滑り込む様にその部屋に入ると、男もライフルを構えたままそれに続いた。

 そしてドアを閉めると、ズボンのポケットから古そうな鍵を取り出して、施錠した。

 鍵を持って居る事も驚きだが、何より男が手に持っているライフルが気になって仕方がない。

 なんと無くいう事を聞いてしまったが、一体この男は誰なのだろうか――。

「……あっあの」

「…………いつまで担いでるんだ」

 男はライフルを壁に立て掛けながらそう言った。明巳はようやく維を背負っている事を思い出した。

「えっえっとぉ……」

 辺りを見渡すが、あるのは大きな本棚が二つと小さな机と椅子だけだった。

 床には絨毯が敷いてあるが、このまま寝かせるのは忍びなかった。

 明巳は自分のジャンパーを脱ぐと、その上に維を寝かせた。

「……維」

 明巳は不安そうな顔で維を見つめていた。

 まさかこのまま死んでしまうのではないだろうか、そうだとしたら自分の責任だ。あの時、なんとしてでも維を食堂にとどめておくべきだったのだ。

 明巳の胸を、どうしようもない後悔がよぎった。

「維……ごめんなぁ、守ってやれなくて」

 そう言って維の手を包み込む様に握った。

「…………大丈夫だ、死にはしないさ」

「え……」

「息もして、何処も怪我はしていない……ただ気を失っているだけだ」

 どうやら気にかけてくれているらしい。

 ライフルを持っていると分かった時は恐怖したが、この男は悪い人ではないと、明巳の頭の内閣が閣議決定を出した。

 男はどうやら味方らしい、少し安心すると、すっかり忘れていたあの『化物』の事を思い出した。

「ここ大丈夫なのか……あいつがまた維を喰いに来るんじゃ……」

 あんな薄っぺらいドアなど簡単にぶち破ってしまいそうだった。

「あの『人形』は鍵のかかった部屋には入れない」

「えっ……そうなのか!」

 そう言えば、食堂に逃げ込んだ時も扉をぶち破って入っては来なかった。

 密室に入れないと言うのは、嘘ではなさそうだった。

「それに、あれだけ撃ったんだ、しばらくは出てこないだろう」

 この男随分あの『化物』について詳しかった。

部屋の鍵も持っているし、一体この男は何者なのだろうか――。

「あんた、この家の人なのか?」

「……いいや、違う」

「じゃあ、あんたも俺達と同じで迷い込んだのか?」

「…………まぁ、そんな所だ」

 まさかまだ迷い込んだ人間がいるなど、この館は人を寄せ付ける何かがあるのだろうか、もっといい商売でもすれば儲かるだろう。

「…………」

 男は小さな吐息を立てて眠る維を見つめていた。その表情はどことなく悲しげで、彼女の事を本気で心配しているのが分かった。

(……もしかしてロリコン)

「……あ」

 そうこうしていると、固く閉じられた維の眼が開かれた。

 明巳はそれを見ると、急いで維の顔を覗き込んだ。

「維!」

「……たかみや、さん」

 まだ意識が完全ではないのか、目がうつろで、何もない宙を暫く見つめている。

「私、どうしたんでしょうか……」

「えっ……何も覚えてないのか?」

 維は小さく頷いた。

 だがこれは不幸中の幸いかもしれない、『化物』に食われるなんて記憶無い方が良いに決まっている。

「確か……皆さんと食堂から出て……それで玄関へ向かって」

「あっ……いや、あの後『化物』に襲われたんだ、でもこの人が助けてくれたんだ」

 明巳がそう言って男の方を見ると、維はようやく彼の存在に気が付いた様だった。

 見知らぬ男の存在に驚いた様だったが、横になったまま頭を下げる動作をした。

「あの……助けて下さってありがとうございました……えっとぉ」

 維は言葉に詰まった、そう言えばこの男の名前をまだ聞いて居ない事を思い出した。

「そう言えば、自己紹介まだだったな、俺は鷹宮明巳、都内在住で現在就活中の一九歳、それでこの子が――」

「……御篠維です」

 維は恥ずかしそうに小さく会釈をした。

 次は男が名乗る番だが、彼はほんの少し間を開けた。

「…………鈴木、一郎」

「へぇ一郎さんか、野球強そうな名前だな!」

「ああ、よく言われる……」

「維、一郎さんにしっかりお礼を――維?」

 気が付くと、明巳の腕の中にいる維が小刻みに震えていた。顔色が悪く血の気が引いている、唇が青色に変色していた。

「ゆっ維、大丈夫か!」

「……はっはい」

 そう返事はしているが、到底大丈夫には見えなかった。

 どうすればいいのか分からない明巳、だが鈴木はいたって冷静で羽織っていた毛布を彼女に掛けて暖めてやる。

 明巳も背中をさすって暖めてやろうとするのだが、あまり効果がない様に見える。

 これもあの『化物』に食われた反動なのだろうか、明巳が不安に思っていると、鈴木は部屋の隅に行った。

「これを飲むんだ」

 そう言ってブリキのコップを持って着た。中には水らしきものが入っている。

 維はそれを振るえる両手で受け取ると、促されるまま口へと運んだ。

「――っ!」

 するとあからさまに嫌そうな顔をした。

 よほど不味いのか眉間に皺を寄せて、今まで聞いた事のない声を上げている。

「出来るだけ多く飲むんだ」

 鈴木がそう言うと、維は再び口へと運んだ。

 我慢して何口か飲むと、維はコップから口を離して片方の手で口を覆った。

 明巳は維の手からコップを取ると、一口分ほど残っていたので自らもそれを飲んだ。

「ん! これ日本酒じゃねぇか!」

「そうだ、それ一口で数百円はする最高級純米大吟醸だ」

「そう言う問題じゃねぇだろう! 維は未成年なんだぞ!」

「お前だって未成年だろう」

 そう言われて明巳は反論できなくなってしまった。

 鈴木もコップに酒を注ぐとそれを呑んだ。それなりに強い酒だろうに一気に飲み干してしまった。

 維を見ると、震えも止まり青白かった顔色に赤みが戻って来た。

「あっ……良くなってる」

「温かい……です」

 酒を呑んで暖を取るなんて、まるで雪山の遭難者の様だった。

 だが、食べ物を摂取するよりもアルコールの方が、早く熱に成りやすいと言う話を聞いた事があるので、ある意味正しい判断に思える。

「……もしかして、冷蔵庫の干し肉を持って行ったのもあんたか?」

「ああ、食い物が無いと何も始まらないからな」

 維と一緒に食料を探しに行った時、なぜかなくなっていた干し肉、その謎は解けた。

 だがそうなると、鈴木は明巳達が厨房に行くよりも早く、この館に居た事になる。

「あんたここにどれぐらい居るんだ?」

「……もう二日になる」

「二日! そんなにここに居るのか」

「まぁな」

「なら、出口とかは……」

「知っていたらとっくに出ている」

 確かにその通りだった。

 二日間もここに居て、彼は未だに出口を見つけられていないと言う事になるのだろう。

 どうやらこれは長期戦になるかもしれない。

「維を早く外に出してやりたいのに……」

「…………」

 酒の効果もあってか、維は眠ってしまった。

 小さな寝息を聞きながら、明巳は彼女を見つめていた。

「…………だいじだ」

「えっ?」

「……必ず出口はあるはずだ、必ずな……」

 明巳と維に言っている様にも聞こえるが、自分自身に言い聞かせている様にも聞こえた。

 鈴木の顔は、無表情だがどことなく物哀しげにも思えた。

 


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