序の序
怖い、恐い。
どうしてこんな事になってしまったんだ。
こんな事がしたかったんじゃない。
ただ、ちょっとした気まぐれだったんだ。
本当の事が知りたくて戻って来ただけなのに、なぜこんな事になってしまったんだ。
怖い、足がすくむ。震えが止まらない。
きっとここから出たら、また襲ってくるだろう。
でも仕方がない事なんだ、元はと言えば全部俺が悪いんだ。
例えここから出て、殺されたとしても悔いはない。
これは俺の罪なんだ、向かい合わなければならないものなんだ。
全部、俺が悪いんだ。
序の序 邂逅
栃木県那須町。
北関東の北端、福島県との境で観光牧場などがある町だ。
避暑地としても人気があり、天皇家の御用邸があるほどだ。
それだけの観光地を保有しているにも関わらず、いまいち魅力も無く知名度も低い県。
そんな県の山奥のバス停で、一人の男がバスを待っていた。
黒髪はファッション雑誌でよく見かける流行りの髪形で、服もその辺の安物Tシャツ、同じ様に安物のズボン、そして大して防寒機能も無いジャンパーを着ている、さほど珍しくも無いどこにでもいる若者だった。
鷹宮明巳。
都内に住んでいるのだが、大学を一浪して職を求めてこの栃木へとやって来た。
なんとなく遠い所がいいと思い、コレもまたなんとなく見かけた牧場の若者向け求人を頼りに、体力に自信があった故なんとなく面接を受けにやって来た。
今はその面接の帰りであった。
しかしバスが二時間後という現実を知り、暇つぶしにアプリでもしようかとスマホを取り出すが、此処は圏外でゲームどころかメールも出来なかった。
「暇だ、死ぬ」
そんな明巳を嘲笑うかの様に、四方の森から野生の鳥の鳴き声が響き渡った。
『田舎万歳』と心の中で叫びながら、どうやって時間をつぶすか考えていた時だ。
ふわりと、春風の様に優しい風が吹いた。
まだ二月だと言うのに、不思議と寒さを感じない。
ふと横を見ると、誰かが山道を登って来ていた。
バス停に、一人の少女がやって来た。
寒さも厳しいと言うのに、白いワンピースを着て同じ様に真っ白な帽子を被っている。歳は一〇代半ばほど、明巳よりも年下に見える。
特に手荷物など持っておらず、本当に身一つだった。
(……変な子だなぁ)
そう思っていると、この少女もまた時刻表を見て、二時間後という現実にショックを受けたのか、酷く暗い表情をした後、明巳から間を開けてベンチに腰を下ろした。
随分小柄な細身の子で、タイプではなかったが可愛い子だった。
「…………バス、遅いですよね」
余りにも暇だったので、明巳はそう少女に尋ねた。少女は突然声を掛けられてとても驚いた様子で、眼をぱちくりさせていた。
「……はい…………そうですね」
弱弱しく、少し戸惑った様に答えてくれた。
大人しい子の様に見えるし、もしかしたら自分の事を変質者かナンパ男とかと勘違いしているのかも知れない。
だが、今の明巳は死にそうなぐらい暇なのだ、これぐらいではめげない。
「俺都内から来たんだ、君は?」
「……私も都内からです」
やはり警戒しているのか、何処かよそよそしい。しかし今はこの二時間という時間をどう潰すかが問題で、そんな事気にしなかった。
「俺は、鷹宮明巳っていうんだ、君は?」
「……私は、御篠維です」
甘美な響きだった。何と言うか儚くて綺麗な音の並びだった。
「へぇ綺麗な名前だね、俺はさこんな名前だから『アケミ』って呼ばれて、小さい頃は女の子と間違えられて……嫌な名前だぜ」
「…………」
維は、明巳の方をじっと見つめながらとうとう黙ってしまった。
こんな話などして不審者と思われてないだろうか、明巳は急に不安になって、なんとかして誤解を解こうと少ない脳みそをフルに活動させた時だった。
「きゃっ」
眼を開けてられないほどの強い風が吹いた。
あまりの強さで必死にスカートを押さえる維。
だが帽子の事をすっかり忘れていて、あっという間に帽子は風に攫われた。
「あっ…………」
空高く舞い上がってしまった帽子を見ながら、維は哀しそうな表情をしていた。
それなりに高そうな物だったので、きっとお気に入りの物だったのだろう。
明巳はちょっと可哀そうになって来て、こう切り出した。
「……探しに行くか?」
森のほとんどは杉だった。
高い杉の木に囲まれ、太陽の光もあまり入らない鬱蒼とした森だった。
「あの……無理しないで下さい」
維が弱弱しく、山道を先に歩く明巳に向かって言った。
「大丈夫大丈夫、それよりその辺急だから、ゆっくり登るんだぞ!」
確かこの辺に飛んで来たと思うのだが、もしも木の枝の高い所に引っかかっていたら、取るのはとても大変だった。
「おっかしいなぁ……ん?」
しばらく進んで行くと、山道があった。
それは木と土を使って階段が造られており、明らかに人の手が加えられた物だと言う事が分かる。
(人が住んでるのかなぁ)
ようやく登って来た維と共に、明巳は幾分歩きやすいその山道を歩く事にした。
しばらく上へ上へと歩いて行くと、木々の隙間から紅い物が見えた。
「あっ!」
それは、赤い屋根の館だった。
館と屋敷の違いは明巳には分からないが、この豪邸は何と言うか館と言った方がしっくりくる様な気がする。
外観は煉瓦で組まれた物で、植木と柵の間から見える庭には噴水や花壇があって、何と言うか金持ちの家です、と主張している様に見える。
「へぇ……こんな所に家なんてあったんだなぁ」
明巳は開かれたままの門をくぐり、そのまま庭へと入った。
「…………」
維はその後を怖がりながらついて来た。勝手に人の家に入るのが失礼だと分かっているのだろう。しかし明巳はずんずん進んで行って、その館を見上げるばかりだった。
二階建てで、とても綺麗な外観だった。
「あっ、アレ維の帽子じゃねぇか?」
明巳が指差したのは、館の後ろに生えているモミの木。枝に維のものらしい帽子が引っかかっていた。
だが、どうやらそのモミの木は中庭に生えている様で、家の中に入らないと取れない。
「すいませ~~ん、誰かいませんか~~~、すいませ~~ん」
明巳が玄関の扉を何度も叩いて見るが、返事も無い。
もしかしたら別荘なのかも知れない。でも門は間違えなく開いていた。
「すいませ~~ん……あれ、開いてんじゃん」
明巳が試しにドアノブを捻ると、簡単に回った。
つまりこの家は不用心にも鍵を掛けずに留守という事になる、田舎に感心する明巳。
「じゃあ帽子をとって帰るか」
そう言うと明巳は悪びれる事も無く、家の中に入ろうとした。だがそんな彼のジャンパーの裾を、弱弱しく維が掴んだ。
「どうしたんだ維? 大丈夫だよ事情を話せば家の人も怒らないって」
「…………違うんです、ここ……怖い」
暗い維の表情が、より暗くなって何かに脅えている様にも見える。
「帽子は良いです……早く戻りましょう……鷹宮さん」
「そうか……まぁ維が良いなら良いけどさ」
何なら維に待っていて貰って、自分だけ取りに行っても良かったのだが、維の脅えている顔を見たら、そんな事も言えなくなってしまった。
明巳と維は来た道を戻ろうと館に背を向けた。
すると、先ほどの異常に強い風が吹いた。そのあまりの強さに、二人は眼を開けている事もままならないほどだった。
そしてゆっくり瞼を持ち上げた時、瞳にその景色が映って来た。
二階まで吹き抜けの広いロビーに大きな階段、二階の左右にのびる手すり付きの回廊。ロビーの床には、見ただけでその気持ちよさが分かる真っ赤な絨毯が敷き詰められていた。更に両の壁際には、武装してきちんと整列する西洋の甲冑達。
そして天井からぶら下がる大きなシャンデリア――。
二人は、館の中にいた。
扉を開けた覚えはない、足を踏み出した覚えもない。
だがここはどこをどう見ても室内で、あの館の中としか考えられなかった。
「なっなんで……」
「たっ、鷹宮さん! ドアが」
見ると先ほどの玄関らしき扉が、今にも閉まろうとしていた。
明巳は急いで扉に向かって走った。
「閉まるな!」
手を伸ばして、ドアノブを掴もうとするのだが、扉は明巳の目の前で大きな音と共に閉まった。
すぐにドアノブを回すが、鍵がかかっていて開かない。
体当たりも試みるが、男一人の力ではびくともしなかった。
「……なんで、これじゃあまるで……」
閉じ込められたみたいだ、と明巳の頭は認識した。
あの風は何だったのか、なぜ館の中に入ったのか、なぜ鍵がかかっているのか、わからないことだらけで、今にも明巳の頭は爆発してしまいそうだったが、そうならずにいられたのは、維と一緒だったからだろう。
一人ではなかったし、何より女の子の前では恰好つけたいというのが、世の男子の心理。自然と冷静さを取り戻せた。
「怪我とかないか維?」
「はっはい、大丈夫です……鷹宮さんは大丈夫ですか……」
「うん俺も大丈夫だ」
明巳の無事を聞いて維は安心したのか、ぎこちなかった表情が少し和らいだ。
だが問題はここが見ず知らずの誰かの館という所だ、入ってしまった以上出るしかないのだが、この館どうも薄気味が悪い。
暗い訳ではないのだが、どことなくよどんだ空気があって到底良い気分には成れない。
「とりあえず、中庭の帽子取りに行くか? 折角だし」
「いっ……いいです、それより早く出ましょう……ここなんだか変です」
確かに変だ、だがどうせ中に入ってしまったのだから、取ってから出口を探せばいいのにと思う明巳だった。
(やっぱり怖いのかな……)
先ほども怖いと言っていたし、きっとこの館の雰囲気とか、そういうものが怖いのだろうと明巳は自分を納得させた。
「じゃあ、俺だけで帽子とってこようか? 維はここで待ってればいいよ」
「いっいいです、帽子なんかどうでもいいですから、早く出ましょう!」
どうでもいい訳ないと思う、帽子が飛んで行った時の維の表情はどこか悲しげだった。
きっと大切な物だったのだろう、館の奥へと踏み込もうとしている明巳の腕を掴んで、維は必死にそれを止めていた。
ちょうどその時だった。
「誰だ、お前達!」
知らない男の声がして、明巳と維が振り返っていた。
吹き抜けのロビーの二階、左側の回廊から、一人の男がそれを見下ろしていた。
歳は三〇代半ばか後半ぐらいで、体つきがとてもよく、日に焼けた肌に角刈りというスポーツマンの様な男。着ている服は上下共に七分丈のラフなものだが、ファッションに乏しい明巳でも知っているブランドの服だった。
そんな男が、険しい表情でこちらを見下ろしている。
「……あっ、あの俺達迷い込んだものなんですけど、あなたはこの家の人ですか?」
そう明巳が尋ねると、男はなぜかとても不機嫌な表情になった。
何か失礼なことでもしてしまっただろうかと明巳が思っていると、男が口を開いた。
「私は、この館に雨宿りに入った者」
つまり彼もまた自分と維と同じで、この館に迷い込んでしまった人間という事になる。自分たち以外にも、この館に迷い込んだものがいる事に驚いていたのだが――。
「――の一人だ」
「えっ?」
明巳が驚きのあまり、阿保らしい声を出した時だった。
一階の左右の廊下から男が二人やって来た。
一人目は、三〇代後半から四〇代前半ぐらいの男で、どことなく幸薄というか皺の多い影のある苦労人な雰囲気で、服装といえばどこにでも居そうな白いワイシャツにノーネクタイ、紺色のスーツズボンを穿いた、サラリーマン風の男だった。
二人目は、二〇代ぐらいで髪が長く肩まである青年で、青いパーカーにジーパンという恰好に銀縁のメガネをかけていて、イメージだけならオタクや引きこもりを想像させる、そんな感じの男だった。
「おっ、俺たちだけじゃなかったんだな……」
驚く明巳に、少し戸惑う維。
そんな二人の気も知れず、若い眼鏡の男が口を開いた。
「誰こいつら……この家の人な訳?」
険しい目つきでこちらを見ていて、言い方もなんだか少しきつい。
嫌な奴だなぁと明巳は一瞬で思った。
「我々と同じで迷い込んだらしいぞ」
「それは大変ですねぇ、せっかくのデートで」
サラリーマンの男が、そう同情してくれるのだがその同情の仕方は維に非常に悪いので、懇切丁寧に否定する。
「ちっちち違います、この子とは別に恋人とかデートとかそういうのじゃなくて、そのぉ別にそういう関係ではなくてですね、なんと言いますか……」
「つまり、恋人じゃないって言いたいんでしょう」
メガネ男が簡潔にまとめてくれた。だがどうしても言い方が好きになれない。
「とりあえず、我々の紹介をしておこうか」
唐突に切り出したのは、スポーツマン的な男だった。
「私は、あのJリーグで活躍した雁仁志遼だ」
Jリーグと聞いて、明巳のデータベースにヒットした。確か一〇年くらい前に活躍した選手だ。しかしあまりサッカーに興味がないので、彼がどれぐらいすごい選手だったのかも、オフェンスなのかディフェンスだったのかさえ分からない。
(あぁ、だから機嫌悪くなったんだ……)
先ほどの雁仁志の態度に明巳は納得した。
「私は、石崎晶大と申します、以後お見知りおきを……」
そう言って名刺を渡してきた。その会社名は明巳でも知っているほどの大企業であった。ここ最近急成長して、いくつものアイディア商品や、斬新な企画を打ち出している会社だ。
「…………僕は、赤西満、特に職に就いてないよ」
赤西というこの眼鏡の言動は、いちいち明巳の感に触る。こういう頭の良い皮肉屋というのは明巳が嫌いなタイプなのだ。
「私達は、雁仁志さんと行く高原ハイキングという企画を立てておりまして、今日はその試験運用のテストで、当選者の方々とこの辺一帯を回っていたのですが……」
「ダイエットや体力をつけたい人向けの、ウォーキングツアーだ」
雁仁志が自慢気に言うが、赤西は誰に向けてではないが、毒を吐いた。
「他の人達とははぐれるは、こんな屋敷に迷い込むはで……もう最悪だね」
つまり、雁仁志と石崎は企画担当の運営の人で、赤西は客という事になる。
それで石崎は赤西に妙に申し訳なくしているのだろう。
「んで、君達は? 恋人じゃないならなんなの?」
「俺は鷹宮明巳、そこのバス停でたまたま一緒になって……それで維の帽子を探しにここまで来たんだ、帽子は中庭の木に引っ掛かってんだ」
「……御篠、維です」
小さくお辞儀をしながら、維も名乗った。
「……君会ったばっかりの人を名前で、しかも呼び捨てで呼んでいるの?」
「えっ、普通じゃねぇの?」
赤西は得体の知れない物でも見た様な顔をして、それ以上は何も言わなかった。
「これからどうしましょうか……」
石崎がそう切り出した。今はここでただ立っているよりも、玄関以外の出口を探すのが先決だろう。
「とりあえず、二手に分かれますか? それでお互いに右回りと左回りから出口を探すというのはいかがでしよう」
最年長に見える石崎が、的確な案を出してくれた。他に方法もなさそうなので賛成する。
「じゃあ、三対二に分けようか……、御篠さんは女の子だから強制的に三人の方、取り敢えず僕ら男四人をどう分けるか話し合わないとね」
「じゃあ、あみだくじでもするか? 俺書くよ」
「なぜ選択肢があみだなんだ、普通にじゃんけんでいいだろう!」
雁仁志そう怒られて若干しょげる明巳、あみだくじが好きな身としては切ない。
「じゃあ行くよ、じゃーん、けーん」
赤西のやる気のない掛け声の元、男達の拳が上下に振るわれる。
明巳がグーを出し、雁仁志がパーを出し、石崎がパーを出し、赤西がパーを出そうとした、正にその時の事であった――。
鈍い音を立てながら、扉が開いた。
扉が開いた事を脳が認識できずに、固まる四人の男と一人の少女。
なぜ開いたのか、まさかじゃんけんをしたら開く仕掛けにでもなっていたのかと、馬鹿な考えが頭をよぎった時、人の声が耳に入って来た。
「もおぉ、ちょー最悪なんですけどぉ!」
見た目は高校生くらいの、化粧が目立つ女の子。
服装はピンクのストライプ柄の七分丈のTシャツに赤い登山用のベスト。下は、蛍光色のピンクのズボンにグレーのレギンスを穿いて、登山用のシューズを履き、手には同じく登山用の杖、見るからに登山をしに来たという少女だった。
「ちょっと蓉子、早く中に入ってよぉ」「濡れちゃうでしょう」「つめたあぃ!」
「ちょっとみんな、家の人の許可もなく勝手にはいる……なんて……」
その少女に続き、色違いの服装をした同い年くらいの少女が三人と、同じ様に登山の恰好をした二〇代後半ぐらいの男が入って来た。
「あっ……」
こちらに気が付いて、四人の少女と一人の男が固まっていた。それはこちらも同じ事だ、先ほどまで開かなかった扉が今開いているのだ。明巳はとにかく叫んだ――。
「閉めるなぁぁ!」
今なら脱出できる、明巳は急いで扉を押さえ様と走った。最後に入って来た男も、この必死さが伝わったのか、閉めようとしていた手を止めた。
「えっうっうわあっ」
しかし誰かが引っ張った様に、扉は大きな音を立てて閉まり始めた。
「うっあれ? 扉が勝手に!」
ものすごい力で勝手に閉まっていく扉。男も必死にノブにしがみ付くのだが、ビクともしなかった。
大きな音を立てて、扉は再び閉まった。
「畜生っ!」
明巳は扉の前に居た少女達を蹴散らし、男からノブを奪い取ってそれを壊れるくらい回した。
「くそっ、開けよ、開けよぉ!」
「……やめなよ、壊れるだろう」
赤西がそれを止めた、いくら回してもやはり扉は開かなかった。
明巳はノブから手を離して、歯を食いしばりながら扉を叩いた。
「なんで外からは開いて、中から開けられねぇんだよ!」
「そんな事で怒っても仕方ないだろう、それよりよかったじゃないか……同じ状況に置かれた仲間って奴が増えてさぁ」
「なんだとてめぇ!」
「まあまあ、鷹宮さんも赤西さんも落ち着いて下さい! こんな状態で喧嘩をしても仕方がないでしょう」
石崎が二人を宥めてどうにか大きな衝突にはならなかった。だが唐突に現れた一縷の望みが、こうも簡単に断たれてしまい、皆焦っていた。
「……あっあのぉ、これは一体どういう事なんでしょうか……」
男がそう聞きにくそうに尋ねて来た。無理もないだろう、全く状況が分からないのだから、最年長の石崎が今の状況を説明してくれた。
「実はですね――」
「なるほど、この館はなぜか入る事は出来るのに出る事が出来ず、貴方達五人もこの館に迷い込み、出口を探そうとした時、我々が入って来たという事ですか……」
石崎の説明が良いのか、男の理解力が良いのか、とりあえず今の状況を理解してくれた。
「遅ればせながら、私は都内の高校で教師をしている色野裕也と言います、それから彼女達が……」
「はぁ~い、あたしはぁ高校三年のぉ山崎蓉子っていいま~す! それでこのポニテの子が杉山奈々(すぎやまなな)美でぇ、帽子の子がぁ中村薫でぇ、こっちの髪が短いのがぁ中島月子でぇ~す!」
特徴を添えて教えてもらったのだが、皆メイクの仕方や恰好がほとんど同じなので、今の段階で見分ける事はほぼ不可能だった。
なんというか、明巳が苦手とするタイプの女子だった。
「一気に一〇人……大所帯だね」
「まぁまぁ、皆で探した方が出口も早く見つかりますよ」
それも一理あるのだが、少し人数が多すぎると明巳は感じていた。
たかが一〇数分の間に、これほどの人間が山奥の館に足を踏み入れるなど、考えられるのだろうか、そこまで人通りの多い場所には思えなかった。
「それでどう分けましょうか、この人数なら三チームに分ける事もできますよね」
「あの、もしかしよくテレビに出てる、雁仁志さんですか?」
山崎がそう尋ねると、雁仁志は待っていたという塩梅で自己紹介を始めた。
「私があのJリーグで活躍した雁仁志遼だ、お嬢さん達、私が居るからには安心したまえ」
「え~やばいやばい! 写真いいですかぁ?」「私も一緒にお願いします!」「サインもお願いします!」「やば~い、こんな恰好で芸能人と写真だよ!」
こんな状況だというのに、スマホを取り出してのんきに写真撮影を始める。これが女子高生と言う生き物なのだなぁと明巳は実感した。
「それでどうするの? 人数だけは増えたけど」
「二つに別れますか? それとも三つにしますか?」
「あの~どうしても出口を探さないと駄目ですかぁ?」
ハイキング部の山崎が、そう切り出した、それにあからさまに嫌そうな顔をする赤西。
「あたしたち女の子だし、ここで待ってていいでしょ?」
「そうですよ、男の人達が出口を探してる間、此処で私たちが待ってて、また誰かが扉を開けたら、そのまま開けておけばいいんですから」
確かにただ出口を探すだけよりも、また誰かがこの扉を開けるのを待っている方が早いかもしれない、現にここに一〇人もいるのだ、また迷い込む人間が居るかもしれない。
「それじゃあ、僕もここに残らないと……君達を守るのも僕の仕事だからね」
「あははっ、色野せんせかっこい~~」
「私も残ろう、私が居れば何があっても大丈夫だ」
雁仁志がそうかっこつけて言った。ここはこれ以上残る人間を増やしたくない所なのだが、そんな暗黙の了解が全く分からないのか、ハイキング部の面々はとても楽しそうにはしゃいでいる。
「なるべく男は探して欲しいんだけどなぁ」
「まぁまぁ赤西さん」
「維はどうする? みんなと残るか?」
「えっ……」
突然声を掛けられて驚いたが、しばらく考えると明巳を見つめる。
「鷹宮さんは、どうなさるんですか?」
「えっ、俺は出口を探すよ、男だしな」
「じゃあ、私も出口を探します……、扉は皆さんが見て下さっていますし……」
「ごめんね御篠さん、本当ならもっと適任の人が居るんだけどね」
赤西はそうあからさまに雁仁志を見つめながら言う、だが肝心の彼にはこの言葉は届いていないのだった。
「じゃあ僕は石崎さんと探すから、君は御篠さんと一緒に探してよ」
「なんだよ、俺が維と一緒で良いのかよ」
「別に、彼女がそれを望んでるし……君らはこの辺でも探してなよ」
相変わらず感を逆なでする奴だ、言葉の一つ一つが突き刺さって、そのうち大きな穴が開いてしまいそうだった。
「雁仁志さんはぁ、やっぱり芸能人の知り合い多いんですよね!」「え~じゃあじゃあ、モデルの亘水イルモとも知り合いなんですかぁ?」「えぇホントに!」「やばいってそれ!」
「もちろん、彼とはマブダチだよ、あははっ」
ちやほやされて嬉しそうな雁仁志と、芸能人に会えて嬉しそうなハイキング部、なんだか緊張感がないにもほどがある様に思えた。
それに比べて維は自分から進んで出口を探すと言うなんて、なんてできる子なのだろう。頭でも撫でてあげようかと思ったのだが、維はなぜか深刻な顔をしていた。
「どうしたんだ維、やっぱり怖いのか? 無理しなくてもいいんだぞ」
「いっいえ……」
やはり無理をしているのだろうか、こんな普通ではない所大の大人でも怖いだろう。
「違うんです……何か、何かが来るんです」
「維?」
酷く脅えている様だった、館に閉じ込められてずいぶん経ったというのに、今更こんな風に脅えるなんて、少し変だった。
「……何か来る……怖い」
怖いのか胸に手を当てて握りしめていた、その小さな手が震えているのを明巳は見逃さなかった。
「じゃあ、この四人で探そうか……とりあえず僕達はこっちを、君達はそっちを探してよ」
赤西がそういうが、維の様子が可笑しいので明巳が言葉を発しようと、息を吸い込んだ時だった――。
「四人じゃなくて、五人だ」
それは聞いた事のない声だった。
一〇人の視線が、一気に声のした方に向いた。右側の廊下から、一人の男がやって来た。歳は二〇代前半から半ばほどで、どこにでもありそうなTシャツにダメージがやや激しすぎるGパンを穿いていて、少し長めの金髪を垂らしていた。
唐突に現れたこの男に、皆が戸惑っていた。
「あっあんたは一体」
「……高松正治、おめぇらにとっての一一人目の仲間って奴だな」
まさかまだ人が居るなど思いもしなかった、誰も彼が館に入ったところを見ていないという事は、彼は雁仁志と赤西と石崎が入ってくる前に、この館に迷い込んだのだろう。
「へぇ、まさかまだ人が居るなんて……なんで出てこなかったの?」
「まさか、君がこの家の家主か?」
「ふざけんじゃねぇ、俺がこんな気味のわりぃ家に住むわけねぇだろう!」
高松という男は雁仁志を睨みつけながらそう怒鳴り散らした、どうやら協調性があるとは言えないらしい。
「では私達と同じ迷い込んだ方、という事でしょうか?」
「なんで出てこなかったのよ!」
「はっ、誰とも知らねぇ奴に声をかけるのは、多少様子を見てからに決まってんだろう」
確かにその通りなのだが、どうにも腑に落ちなかった。
「出口を探すんだろう、とっととこんな所から出ちまおうぜ」
「男性が増えるのはいいですね、では高松さんには、高宮さんと御篠さんと行動を共にしてもらうのはどうでしょうか?」
「あっああ、分ったよ……」
維はまだ震えていた。高松が怖いのだろうか、確かに少し圧のある人間だが、ここまで怖がるのは少し可笑しい気もする。
やはり維は此処において行った方が良い、明巳がそう進言しようとした時だった。
ドシン、ドシン、何か重量のある物が歩いてくる音と、大きな振動がやって来た。
「えっ、何この音」「えっ、地震?」「やだこわ~い」「皆、頭を守るんだ」「違う、何かが近づいて来てるんだ!」「えっ何かって何?」「人間か?」「一体、何がどうなって」「何が来るんだよ!」「しっ知らねぇよ!」「…………」
一一人が戸惑い、不安と恐怖に苛まれていた時、『そいつ』は現れた――。
最初に見えたのは、赤ん坊の様にぷっくりした白い手足。それに続いて同じ様にずんぐりとした白い胴体は、足が短いせいか長く感じられる。
頭には金色の糸が幾本か見えるが髪の毛とは到底言えない、本来眼球があるべき所は、まるで闇でも捻じ込んだ様に黒かった。
だが何よりも一同を驚愕させたのは、その大きさである――。
そこには大きさが四メートルはあろうかという『化物』だった。
誰も何も言えない、いや言葉が出なかった。
唐突に現れたこれが、生物なのかさえも分からない。様々な事が頭を巡るが、明巳はこの目の前の存在が何なのか全く分からなかった。
「あっ……あっ」
恐怖に耐えかねて声を上げたのは高松であった。その『化物』の存在に恐怖し、自然と後ろへ下がった。
「ひっ……きやあああああああああああああああ!」
ハイキング部の誰かが悲鳴を上げた、一体誰が上げたのか明巳に確認する余裕などない。だがそれでも、この悲鳴のお蔭で覚醒する事が出来た。
「逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
腹の底から思い切り声を上げた。
明巳は維のか細い手を掴んで、反対側の左の通路とにかく走った。
此処から逃げなくては生命が危ぶまれるからだ。明巳と維の逃走を見て、他の九人もようやく足を動かす事が出来た――。
それが最悪のファーストコンタクトだった。