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プロローグ


 魔術は魔素の流れによってできてる。

 魔素の流れとは鬼脈である。

 すなわち魔術とは即席の鬼脈とも言える。


  ◇


 一人の少女が夜の森を早足で歩いている。


 少女の服装は、町娘のような半そでの上着と長いスカート。色はどちらも薄い赤。およそ森の中を行くには適していない服装だった。

 それに加えて、少女自身、線が細く儚げだ。

 これと言って特徴のない顔、感情を失ったかのような無表情、肩の辺りで雑に切り落とした短めの髪。町の雑踏の中ならすぐに見失ってしまいそうな印象の薄さ。

 だが瞳には頑なな意志が秘められている。


 少女の名はアムエルザ・アークマイン。

 嫉妬の結晶回路を埋め込まれたデモニックイーターだ。


 アムエルザは森の中のありとあらゆる事象を無視するかのように黙々と足を進める。目的があるというよりは、後ろから来るであろう何かを警戒しているようでもあった。

「……」

 アムエルザは、急に立ち止まった。

 正面に立っている樹木に向けて、先端に星飾りのついたステッキを突き出す。


「《フレイム・ダート》」

 呪文を唱えると魔術が発動する。

 世界に魔術が刻まれていく。組み合わせが物理を超越した仕掛けを構築し、この世界に現象を発生させる。

 口からつむがれる言葉は発動のためのキーワードでしかない。

 五感では感じ取れない構築、それが魔術の本体だ。


 空中に生み出された炎の矢。

 それは正面に向かって直進し、樹木に命中する。

『ギウガギャァッ!』

 樹木、いや樹木に偽装してこちらを狙っていた魔物は、奇声を上げながら燃え上がり、光になって消えた。

「……ふう」

 アムエルザは小さく息を漏らすと、何事もなかったかのように歩き出す。

「……」

 三年前にここの森を駆け抜けた時のアムエルザは果てしなく無力だった。

 小さな魔物一匹にすら怯えて、逃げ回っていた。


 同じ境遇の子ども達は何人もいたし、それなりに協力して進んでいたのだ。

 だが、魔物に襲われた。

 戦いを挑んだ者はその場で死に、逃げ切れなかった者もやはり死んだ。

 アムエルザが生き延びたのは、単に運がよかっただけに過ぎない。

「いや、今もあまり変わらないか……」

 強くなったとは言っても、多少選択肢が増えただけで、死を免れているのは運による部分が大きい。生き延びるとは、そういう事だ。


 そろそろか、とアムエルザは空を見やる。

 追っ手が迫っているはずだ。対策を打たなくてはいけない。


「《アノイング・ピジョン》」

 呪文が発動すると、月明かりのような光を放つ白い鳩が数十匹出現した。

『クポゥ』『クゥゥ』

 鳩達はアムエルザの方に近寄ってきたり、頭の上に乗って髪の毛をつついたりする。

 うざい事この上ない。


 これは魔術で発生させた擬似魔物だ。

 魔術と鬼脈はほぼ同一の物だから、やり方によってはこういう事もできる。

 ただし、通常の魔物と何かが違うのか、倒してもスーテータス稼ぎには使えない。知能が低いので命令をこなす事もできないし、戦闘力がないから暴れさせる事もできない。

 それでも、使い道はある。

「《エクスプロージョン》」

 爆発呪文。

 爆風に何匹かの鳩が巻き込まれて光と消える。

 そして生き残った鳩も、驚いて飛び立ち、四方へ散り散りに飛んでいく。

 これこそがこの呪文の存在価値。無数のウザイ鳩を周囲に撒き散らして囮に使う。


 先ほどの木に擬態していた魔物ぐらいならアムエルザの敵ではないが、この森には攻防ステータス100K越えの化け物が何匹かいる。

 その手の魔物だけは相手をしてはいけない。関わってもいけない。

 だから鳩をばら撒く。

 強い魔物は鳩を追いかけてアムエルザと逆方向に去っていく。これで身の安全を確保するのだ。


 アムエルザは森の中を走り続ける。目指すは一路、北へ。


 月明かりが背中からさす頃。

「どこへ行くのかね?」

 後ろから声が掛かった。


 アムエルザは逡巡の後に足を止めた。

 背を向けたまま対応できるような相手ではない。むしろ……全力を賭しても勝ち目のない相手だった。


 月明かりを背負って、一人の男が立っていた。

 雪のように真っ白いタキシードを着ている。 

 男は背中に、人が一人入りそうなぐらいの大きさの箱を背負っていた。

 女の傍らには、四本の足を持つ奇妙な生き物が潰れていた。瀕死のようにぴくぴくと震えている。

 ここまで移動するために使い潰したのだろう。それの正体が何かは解らないが、這いつくばった人間のように見えなくもないのが怖かった。


 アムエルザは嘆息する。

「あなたは人使いが荒いようですね」

「『傲慢』だからな」

 男は笑う。

 彼こそがイスフェルド・キルトンボード。傲慢のデモニックイーター。

「……よく追いつけましたね」

「君が自分で自分の居場所を伝えてくれたんじゃないか」

 そう言ってイスフェルドは右手を上に掲げた。

 そこには鳩がいた。重力を奪われたかのように、ぐるぐると不規則に回転している。

 先ほどアムエルザが放った鳩の一匹だった。

 鳩はアムエルザのいる場所から飛んでいくのだから、それを逆に辿ればいい。


 本来デモニックイーターは、魔術士ギルドに反逆できないよう精神に楔を入れられている。

 割と拘束が弱まりつつあるヘルマールでも、魔術士ギルドの人間を殺害する事だけはできない。それを想像するだけで精神の安定が崩れ、魔術的集中が乱れてしまう。そういうふうに設定されている。

 だがイスフェルドは別だ。彼女は既に何人かの魔術士を殺していると言われる。

 まあ、どちらにしてもデモニックイーター同士の殺し合いを制限するようなシステムではないので、アムエルザにとっては大した違いはないのだが。

 それでも、魔術士同士の殺し合いの経験を持つというのは、この場ではに成り得る。


 問題はもう一つある


 傲慢型のデモニックイーターが持つ能力は『魔術そのものの魔術抵抗を貫通する』というにわかには理解しがたい物だった。


 現象としては、他人の放った魔術を好きに操れる。

 一度掴んでしまえば、威力、方向、発動タイミング、何もかも思いのままだ。

 つまり魔術を使って『傲慢』を殺すことはできない。それどころか手痛い反撃にあうだろう。


 精神、能力共に、魔術士殺しと呼ばれるに相応しいバケモノ。

 それがイスフェルドだ。

「さて、もう一度問おうか。どこへ行こうと言うのかね?」

 イスフェルドはアムエルザに向かって一歩近づいてくる。

 だがアムエルザもここで引くわけには行かない。

「嫉妬は傲慢の上位と位置づけされています。あなたに勝ち目があるとでも思っているんですか?」

「嫉妬コアの基礎設計をした魔術士はそう言ったかも知れないがねぇ」

 イスフェルドはニヤニヤ笑いながら言う。

「その魔術士がどんな最後を迎えたかは、君も聞いたことがあるだろう?」

「……」

 アムエルザは答えず、次に放つべき魔術を考える。

 『暴食』ではないので、無限のスタミナを持つわけではない。

 『強欲』ではないので、それほど多くの選択肢を持っているわけでもない。

 だが……嫉妬のデモニックイーターだけは、魔術戦闘において『傲慢』を打ち破る可能性を持っている。

「無視か。だが、勝ち目はもちろんある。勝敗の結果など、その気になれば、どうとでもできるのだから」

 果てしなく傲慢な事を言いながら、イスフェルドは手を掲げるが……。


 アムエルザがステッキを突きつける方が早い。

「《サンダースピア》」

 放たれる雷撃。光の速度で迫る攻撃を人間の反射速度でつかめるわけがない。

 だが。

「速度があれば、何かできるとでも思ったのかね?」

 雷撃は、イスフェルドの手前で止まっていた。


 イスフェルドはつまらなそうにその雷撃の先端を掴むと、アムエルザから奪い取り、頭上に掲げる。

 次の動作は、これをアムエルザにぶつけるのだろう。だが……それこそ予定通りだ。

 アムエルザは左手をイスフェルドに向けて、ドアノブを捻るような動きで手を回す。


「《世界よ、回れ》」


 ガチャリ、と金属質の音が響いて空気の流れが変わった。


 世界が万華鏡のように分割されながら回転した。雷撃の槍も砕け散った。秩序を失った魔術はその場で暴発し、周囲を電流で焼く。

 『嫉妬』のデモニックイーターは、魔素のベクトルそれ自体をランダム更新できる。直進する魔術に当たる事などない。

「……」

 イスフェルドもそれは予期していたのか、手元に残った雷撃の欠片を投げ捨てた。欠片は空中で破裂する。


「この場にて、魔術の撃ちあいは不毛ではないかね?」

「……そのようですね」

「ならばなぜ無駄な足掻きをする? 時間稼ぎをすれば、包囲網が完成する。君は不利になるだけだ」

「その包囲網に、私に勝てる魔術士はいるんでしょうか?」

「……あくまで降伏はしないと言うか。愚かな者よ」

 イスフェルドは面倒くさそうに両手を左右に広げた。

「《我が記述する、現象の道、停滞の風、世と我の隙間、深遠にて滅ぼされる始祖の獣》」

 複雑な呪文。

 イスフェルドの周囲にキラキラと輝く光が浮かび上がる。

 アムエルザにとっては聞き覚えのない詠唱だった。何か、特別な魔術でも使うつもりか。

 だがそれも乱してしまえば同じ事だ。

「《回れ》」

 魔術を捻る。

 しかし手応えがなかった。

 どの領域に干渉しようとしているのかが解らなければ、邪魔もできない。


 だが、結果は予測できる。イスフェルドの目的は、物理、あるいは精神にダメージを与えてアムエルザを行動不能にする事。

 なら、完成した段階の攻撃を無効化すればいい。


「《フルネルソン・ベロシティー》」

 呪文が完成し、極太ビームが撃ち込まれる。

 だが無意味だ。ただの高為力攻撃、それも第二階梯の光府魔術だった。これが奥の手だと言うのか。

 アムエルザは少々失望しながら、ドアノブを捻るような動きで手を回す。

「《世界よ、回れ》」

 ガチャリ

 世界が万華鏡のように分割されながら回転し、直進する光の塊だったビームが砕けて四方八方に飛んでいく。爆発の連鎖。森の木がばたばたと倒れていく。


 だが……。


「残念。それはただの目暗ましだ」


 イスフェルドの声は後ろから聞こえた。

「……っ?」

 軽く押されるような衝撃。

 そして体に熱が走る。


 アムエルザの体に剣が突き刺さっていた。背中から入り、脇腹に抜けている。

 赤い血がじわじわと広がって服を染めていく。

「……どう、して?」

 魔術を放った瞬間にはイスフェルドはアムエルザの正面にいた。

 それが一瞬で後ろに回りこめるわけがない。

「移動するには時間が必要だと思っていたのだろう? だがね、時間にも魔術抵抗があるのだよ」

「何を、言って……」

「これで解らないなら、説明しても、君は理解できない」

 イスフェルドは剣を引き抜く。

 アムエルザはその場に座り込んだ。

 傷口から体力が抜けていくかのように、体がいう事を効かなくなってくる。

「実に無様だな。魔術の頂点を極めようと言うデモニックイーターが、結局は近接武器で殴りあいをしなければ決着がつかないとは……。はっはっはっは!」

「……」

 イスフェルドの高笑いを聞きながら、アムエルザは目を閉じた。

 意識が深い闇に落ちていきそうになる。

 だが、それは許されなかった。

 イスフェルドの指が脇腹の傷口を抉る。

「あっ? ぐあぁぁぁぁぁぁっ!」

 激痛が全身を走りアムエルザを強制的に覚醒させる。

 全身を震え上がらせながら、アムエルザは這って逃れようとするが、その背はイスフェルドに踏みつけられる。

「どこへ行こうと、言うのかね? え? え? え?」

 楽しげに笑いながら、何度も脇腹を蹴とばされる。

「やめ、て……」

「おやおや、この程度で、何を死にそうになっているのかな? 君の人生がそんなに生易しいものだと思っているのかね?」

「……」

 アムエルザは言葉もなく絶望に満ちた表情でイスフェルドを見上げる。

 イスフェルドは、淡々と言う。

「立ちたまえ」

 アムエルザは全身をガタガタ震わせながらも、なんとか立ち上がった。

 動くのも辛かったが、それより辛い物があるとたった今経験させられてしまった。従う事しかできない。

「君は自分の足で歩いて帰るのだ。わかっただろう? 魔術士ギルドから遠くに逃げれば逃げるほど、苦しむ事になるのだよ」

「……」


 魔術士ギルドからの脱走に成功したデモニックイーターは、存在しないとされている。


イスフェルド「目暗ましと本命を同時に撃つのは基本戦術なんだよなぁ(どやぁ)」

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