28ヘルマールの過去
誰かの泣く声が聞こえた。
……ここはどこだろう?
暗くて狭い納屋のような場所だが、足元からゴトゴトと振動が伝わってくる。
馬車の荷台か何かだろうか? なら、どうして全方位を木の壁で塞がれているんだ?
よくわからないながらも辺りを見回すと、床に子どもが倒れていた。一人ではない、十人ぐらいはいる。
子ども達は全員、足に鉄の鎖を付けられていた。
犯罪者、とは思えない。この世界の司法制度はよくわからないけれど、いくらなんでもこんな小さな子どもに鎖をつけたりはしないだろう。
もしかして、奴隷だろうか?
そう思って、よく見てみると、みんな骨と皮だけのように痩せている。口減らしのために売られたのか。
子どもの一人はヘルマールに似ているような気がするけど、今のヘルマールより五、六歳は幼いような印象を受ける。
「なあ、君は誰だ? もしかしてヘルマールの妹か何かか?」
話しかけても返事がない。無視されているとかではなく、声が届いていないようだ。
耳が聞こえないのかと思って、触ろうとしたら、伸ばした手は突き抜けた。
「……あれ? 幽霊?」
どっちが? もしかして俺が?
試しに、馬車の外に出てみた。幽霊なら壁を突き抜けられるはず、と思ったのだ。
結果から言えば、外には出れた。だが、そこは真っ暗な闇だけが広がった謎の空間だった。馬車の外側の色や模様も曖昧だ。
何かおかしい。馬車の中に戻る。
これは、もしかしてヘルマールの記憶か何かか?
だとすれば、さっき馬車の中にいた少女はヘルマール本人という事になる。
鑑定?
「使えないか……」
当然だ。俺がこの場にいるわけではないのだから。
今、俺はヘルマールの記憶を見ている。
あるいは、ヘルマールが昔の夢を見ていて、それが俺にも流れ込んでいるのかもしれないけれど、そういう事だ。
ヘルマール自身がこの時点で認識できなかった情報は、どうやっても手に入らないし、ヘルマールがよく見ていなかった物もうまく再現されていないのだ。
なんでこんな状態になっているんだ? 恋人の囁きのせいだろうか?
そういえば、魔術を教わるみたいな話の流れからエロい感じに行って、そのままベッドインしてしまったような気がする。
俺は何の説明も受けてないし、魔術っぽい事をした覚えもないんだけど……もう発動しているのかな? そうじゃないと、これに説明がつかない。
ヘルマールは体をガクガクと震わせていた。どこか具合が悪いのかもしれない。
見ていると、隣にいた少年が、ヘルマールを抱きしめて体を温めてやっている。
「ほら、しっかりしろ」
「お兄ちゃん……」
「心配ない。俺が絶対守るから」
ふむ。兄か、一緒に売られたのかな?
……いやいや、兄がいるならなお更俺をお兄さん呼ばわりしちゃだめだろ。
っていうか、その兄はどうなったんだよ。
◇
いきなり場面が変わった。
どこかの地下遺跡を思わせる四角い断面の通路。下り坂を数人の子ども達が必死に走っている。
窓もないのに薄ぼんやりと明るい。それは後ろから光が照らしているからだ。
光源は、巨大な岩石だった。
狭い通路ギリギリのサイズの巨大岩が転がってくるという典型的トラップ。どんな仕掛けになっているのか、岩は炎を纏っている。
なんだこの状況? まるで意味がわからない。
と思っていたら、誰かが転んだ……ヘルマールだ。
兄は一瞬怯えた目でそれを見たが、立ち止まる事なく逃げていく。
うん……判断としては正しいと思う。助け起こして、一緒に走るなり抱えて逃げるなりする時間的余裕はなかった。でもダイジェストで見せられてる俺からすると、数十秒前に「絶対守る」って言ったのに、おまえ……。
倒れたヘルマールは、転がってくる岩を見て、必死に通路の端に這う。
球体の岩は、左右に少しだけ隙間があったのだ。岩が転がりぬけた後、服が燃えていたが命は無事だった。
地面を転がって火を消そうとジタバタしているヘルマールの所に、黒いローブを着た魔術士がやってくる。魔術士は、顔に真っ白な仮面をつけている。
「ふむ。狙ってこう動いたわけではないようだが、結果的に生き残ったのはおまえ一人だけか」
兄は死んだのだろうか?
もしかして、もう二度と言及されないのか?
「一応、合格としておこう。とは言っても、十ある試験の一つを突破したに過ぎないがな」
◇
どこか、暗い部屋だ。
ヘルマールは裸にされて、両手両足を鎖で固定され、石の台に寝かされている。
口には何か棒のような物を噛まされていた。声を出せないようにするためか、舌を噛んで自殺できないようにするためか。
暗い中から、複数の人の気配がする。
「十ある試験の全てを突破した。それなりの逸材のはずだ」
「この固体の生存値は240です」
「微妙だな」
「もう三年連続で失敗続きだぞ。毎年、こちらの精度は上がっているはずなのに」
「四年前の成功例よりも生存値が高い固体だ。今回は上手く行くだろう」
「そんな数字など当てにならん。これなら数をこなした方が安くつくのではないか?」
「来年から方針を変えるかね?」
「その話は後にしましょう。今するべき事は目の前の固体を成功させる事です」
「処置を始める」
明かりが灯る。
黒いローブを着た魔術士達が何人もいた。全員が手に刃物を持っている。
何をする気なんだ?
物凄く痛そうな事が始まりそうな気がする。
俺が何もできないでいる前で、ヘルマールの肌に刃物が触れて血が流れる。
「っ! ぐっぅううっ!」
ヘルマールは暴れている。
魔術士達が持っている刃物が現代日本ならメスに相当する医療器具だとしてもが……麻酔に相当する物はないのか?
痛みでヘルマールの意識が途切れたのか、場面も真っ暗になった。
◇
体感的には一時間ぐらい真っ暗だったような気がする。
「奴隷リングを自ら壊すまでになるとはね! 君は《強欲》系列では初めての完全体だよ」
魔術士らしき男が嬉しそうに言う。
どこかの研究室のようだが、室内は燃えていた。光の壁を展開している魔術士以外の何もかもが、炎に包まれている。
炎の渦の中心に立つのはヘルマールだ。背格好も服装も、今のヘルマールとだいたい同じように見える。
「死ね! 《アルケミック・デバスター》」
ヘルマールは杖を突きつけながら呪文を唱える。
空間がガラスのようにひび割れ、飴のように捻じ曲がり、魔術士を守っている光の壁すら突き破って、収束する。が……魔術士にあたる寸前で止まった。
魔術士が何かしたわけではない。
ヘルマールが魔術をやめたのだ。何かに怯えるようにガタガタと震えながら。
これは見たことがある。スケルトンの要塞の地下で、魔術士に合った時と同じだ。
何が起こっている?
「無理だ、おまえは魔術士ギルドを攻撃できない。そういう風に作られている。反乱防止措置ぐらいはあるんだ」
魔術士が余裕ぶって教えてくれた。
そんなルール、あったのかよ。
……いや、昨日の夜、めっちゃ攻撃してなかったっけ? あれはルール適用されないの? まあいいか。
「もっとも、こちらも君を縛り付ける事はできない。これからは好きに生きるがいい。だが、遅かれ早かれわかる。おまえの居場所などどこにもない。最後は魔術士ギルドに戻ってくるしかないとな」
◇
どこかの地下通路のような場所。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ……」
光の球体のような物が無数にヘルマールへと群がっていく。だが、ヘルマールはそれを魔術を連射して瞬殺していく。
ステータスを上げるためにやっているのだろうが、魔物に八つ当たりしているようにも見えた。
◇
「おなか、すいたな……」
ヘルマールは森の中に倒れていた。
死人のような土気色の顔で、瞳には生気がない。
《遭難者》から《行き倒れ》に変わる寸前なのかもしれない。
すぐ近くには川が流れている。
水を求めてここまで来て、とりあえず渇きは癒したが、食料を探すために動く体力も残っていないという状況だろうか?
「もう、ダメなのかな」
乾ききった瞳で、近くの木を見つめながら呟く。
風景がぼやけていく。
「寒いよ……、誰か、助けて……」
もう誰か助けてやれよ。……いや? 待てよ、このシチュエーションもしかして……。
と思っていると、やはり人がやって来た。誰か? 俺である。
俺は、ヘルマールを見下ろして何か小声でぶつぶつ言っている。何でさっさと助けないんだよ。当時の俺はこの時は何を考えてたんだっけ?
ヘルマールは最後の力を振り絞って、俺の脚に手を伸ばす。
「ん?」
俺はしゃがんでヘルマールに視線を合わせる。
「お願い、何か、食べる物を……」
◇
その後、なんだかんだで過去の俺は、夕食を与えて、魔術の話を聞きだして、一緒に毛布に包まって寝ていた。
この辺りはだいたい俺の記憶と一致しているな、と思っていたら……俺が完全に寝た頃、ヘルマールはもぞもぞと動き出した。
何をするのかと思ったら……、俺の唇に軽くキスしている。何やってるんだよ!
そして小声で囁くヘルマール。
「お兄さん。次の時にはエッチな事してね」
おいおい、何を言ってるんだおまえは。……っていうか、結果的に、本当にやっちゃったんだけどさ。
◇
腕の中で何かがもぞもぞと動く気配がした。
まだ夢の中かと思ったが、今度は俺も物を触れる。現実に戻ってきたのか?
時間的には明け方ぐらいか、だ。
腕の中でヘルマールの体が熱を放っている。
抱き合うようにして寝るのはいつもの事のような気もするけれど、お互いを隔てる布がなくなったせいか、ヘルマールの体は、いつもよりも熱を帯びているように感じる。
俺はヘルマールの胸の辺りをそっと触ってみる。
夢の中で手術されていた辺り。古い傷跡だろうか? 一ミリほど肉が盛り上がっているような気もする。
魔術士達はヘルマールに何をしたのだろう? デモニックイーターとかいう固有スキルと何か関係があるのだろうか?
と、ヘルマールが何かを期待するような目で俺を見ている事に気付いた。
ヤバイ。寝てると思ってた。
これはかなり変態的なタイミングだ。
「お兄さ……タクミ? 何やってたの? ……また、欲情しちゃった?」
「ち、違う……。っていうか、ごめん……起こしちゃった?」
「起きてたし嫌じゃないけど。予想外に積極的になってくれたからビックリしちゃって」
「いや違う。本当に違うから……」
どうしていいかわからなかったので、とりあえずヘルマールの頭を撫でてみた。
ヘルマールは俺に抱きついてくる。
そうされるのが当然、というような顔をして撫でられている。
そうやっているうちに、俺も少しずつ理性を取り戻してきた。
昨日の夜は、雰囲気に流されてとんでもない事をしてしまったような気がする。というか、冷静に考えれば、一糸まとわぬ姿で抱き合っている現時点の状況も十分とんでもないような気がするのだけど。
「本当に、よかったのか?」
「ん? そうだね? やっちゃったね」
ニヤニヤ笑っているヘルマール。
こいつだって事の重要性を理解していないわけではないだろうけれど……。
俺も、取れる範囲で責任は取ろう、と心に誓った。
せっかくなので、さっき見た夢について聞いてみる。
「なあ、おまえ、魔術士ギルドの……」
「ん? 何の話?」
とぼけるつもりか……。
いや、もしかしたら、俺が見てしまったのは本来はいけない情報だったのでは? プライバシー侵害的な意味で。
話変えるか。
「変な夢を見たんだ」
「どんな夢?」
「寝ている俺に、おまえがキスをする夢」
「うえっ? ええっ?」
ヘルマールは顔を真っ赤にしてうろたえる。昨日の夜は自分から迫ってきたくせに。
俺が頭を撫でてやると、申し訳なさそうに聞く。
「……ごめん、嫌だった?」
「いや?」
俺はヘルマールにキスをした。
唇を離すとヘルマールは、にへらと笑う?
「キスするだけ?」
ふむ。
部屋はまだ暗い。空は赤くなり始めているが、朝までは少し時間がある。
「俺はいいけど……おまえは大丈夫か?」
「タクミは心配性だな。むしろこの一ヶ月で一番元気だよ」
「そっか」
俺が耳を甘噛みすると、ヘルマールは声を上げないようにしながらも体を震わせた。
ああ、ああ……爆発しろ爆発しろ爆発しろ
っていうか、たぶん次回かその次ぐらいに爆発します(シーフギルドが)




