プロローグ
針のように鋭く尖った岩山。その頂上に一人の少女が立っていた。
短いスカートが夜風に揺れる。
黒っぽい服、三角形の尖った帽子、服と帽子につけられた星を象ったアクセサリー。
どこかに幼さを残す十代半ばほどの顔に、かすかな笑みを浮かべている。
人が見れば、魔女、あるいは魔女っ娘と呼ぶだろう。
少女は無言で夜空を見上げていた。
星がきらめくなか、チカチカと規則性を持って点滅する光。三回、二回、一回。
「……来た」
少女は囁くように言いながら、岩を蹴って横に飛ぶ。
次の刹那、点から降り注いだ光線が岩山を撃ちぬいた。
中心から真っ二つに裂かれて両側に解け落ちていく岩山。
「はっ、こんな大技当たるかっての……」
少女は背中から落下しながら、ほくそ笑む。
それを追いかけるように迫ってくる火の塊が三つ。交差軌道を取りながら少女に迫る。
「《オーダリー・リーパー》」
少女が呪文を唱えると、空中に闇の刃が生み出され、火の塊を切り裂く。
それでも追加で飛んでくる火の塊。
少女はどこからともなく飛んできたホウキを掴むと、それに跨って高速で飛行し、攻撃圏内から逃れる。
「やるじゃないか! 小娘。食いがいがありそうだな」
頭上から響く声。
見上げると、上半身裸の男が宙から降りてくる所だった。
少女は男を睨みつける。
「一応聞いておくけど、何で私を狙うのかしらね?」
「成立の由来だ」
「そんなのおとぎ話みたいなものでしょう。今更関係ないわよ」
「なら食用のためと言っておこうか。こっちは食えるなら魔物だろうが人だろうが関係ないからな」
「……悪食ね」
「肉はついていないが、魔力だけは高そうだからな」
少女はむっとしたように自分の平べったい胸に手を当てる。
「同じデモニックイーターでも、成立の由来上こっちが格上って忘れないほうがいいわよ。『暴食』!」
「格ならこちらが上だろう。自分でおとぎ話と切り捨てた由来にすがるか。『強欲』!」
二人はお互いを罵り合い、距離を取る。
少女は高速で飛行しながら、魔術を放つ。
「《ハイパープレジア・サーキット》《ポイゾネス》」
少女の手から青白い弾が打ち出された。それはスパークを散らしながら空中で次々に分裂、増殖していく。
雷の魔術、一撃で人を焼き殺す威力がある。
しかも周囲の魔素を取り込んで、自己増殖する。相手側に魔術への防御手段がなければ、軍隊一つ壊滅さえるだけの威力がある。
しかし。無数の雷撃が飛び交う中、男は不敵に笑うだけで避けようともしない。雷撃は男に直撃している。だが、ダメージになっていない。
それどころか……
青白い弾が、男の方に吸い込まれていく。
「へぇ。魔力を食らうってのは本当だったか……」
少女は少し驚きながらも、様子を見守る。
放った呪文は、もう一つある。それの効果を確認するまで待つつもりだった。
だが、男の方がそんなノンキな事を許してくれるはずもない。
「《スカイロケッティング・フレア》」
男が呪文を唱えると、空を莫大な炎が多い尽くした。
直進する巨大な火炎弾と、細くすばやい追跡弾、そして行く手を制限するようなレーザー。
三種を織り交ぜた複雑な攻撃が少女に向けて放たれる。
少女は巨大弾とレーザーを避けながら地表スレスレを飛ぶ。
降り注ぐ炎の弾が地面に着弾して、土砂の雨を降らせる。
「ちっ、人の魔力で大暴れしちゃって……」
口の中に入ってきたドロを吐き出して、更に飛ぶ。
迫り来る追跡弾。カーブを描きながら飛んでも振り切れそうにない。
「《シールド・スフィア》」
少女が呪文を唱え、球体のシールドに守られた直後、追跡弾が直撃した。
デタラメな威力の爆発が連鎖し、爆炎の中から少女は叩き出された。グルグルと回転しながら落下する。
少女は地面に激突する寸前で体勢を立て直し、倒れるように着地した。同時に、跨っていたホウキがバラバラの破片となって砕け散る。
「ちっ、壊れたか……」
少女はよろめきながらも立ち上がり、服の中から杖を引っ張り出す。先端に星型の飾りがついた短いステッキだ。
男は空から降りてくると少女の前に着地した。
「根性だけは一人前だな。おもしろかったぜ」
「それはこっちのセリフよ」
少女は気丈に言うが、顔色は悪かった。
「強がっても無駄さ。さっさと俺に食われちまいな。そのほうが楽だぜ」
「どこが楽なのよ」
「いや、どうせなら最後に気持ちよくしてやろうかと思ったんだが……顔はともかく、体がなぁ」
男は少女の体を見下ろした後、
「まあそれは誰が悪いってわけでもないしな。いっそ、一思いにさっくり行くか?」
「へぇ? やってみなさいよ」
少女は挑発する。
男は何の疑いもなく挑発に乗った。
「じゃあな。《エレクトリック・スプーキー》」
男の周囲にいくつもの青白い弾が浮いた。そして、弾けた。
「ぐっ?」
自らの魔術に裏切られて、全身を焦がしながら膝を付く男。とっさに魔術吸収をしたが、ダメージの全てを吸いきれなかった。
「なんだ、これは? ……貴様、何かしたのか?」
「ふっふーん? 『強欲』が『暴食』の上位だと解ってくれたかしらね?」
「何をした!」
「最初の雷の魔術を出した時に、ちょっと別のも混ぜてみたんだけどね……何も疑わずに吸い込んじゃったからね」
「何をしたんだぁぁぁぁっ!」
「あんたにとって魔力が食い物だって言うなら、あれは下剤に相当するのかな」
「なんだと……」
少女はにやりと笑うと、スカートをヒラヒラさせながら逃げていく。
空気抵抗を操る魔術でも使っているのか、その逃げ足はやたら早い。
「ちょっ、ちょっと待て! わかった。負けを認めるから、これを何とかしろ、おい」
男は慌てて呼び止めるが、もちろん少女は聞きやしない。
男の周りで、魔術の爆発が連鎖し始める。
「このっ。負けてたまるかぁっ!」
『暴食』は周囲の魔素を食ってHPやMPを回復するらしい。男はその特性を利用して、自分のHPを回復し続けようとしているようだが、食っている物は元を辿れば自分のMPなのだ。
そしてMPは男の意志を無視して流出し暴発し、ダメージを与え続ける。
「こんなんで、勝ったと思うなよ」
逆に考える事もできる。
攻撃元は全て自分のMP。それなら自分のMPが尽きた時に自分のHPが残っていれば問題ない。
少女が襲ってくるかもしれないが、どうせ魔術の攻撃。それは吸収できる。
仕掛けられた下剤だか何だかがいつまで効果を示すのかは知らないが、永続ではないはずだ。
引き分けになる事はあっても負けになることはない。
と、男は思った。だが……
「《エア・カタパルト》」
少女が呪文を唱えると共に、石が飛んできた。何の変哲もない、そこらへんに転がっていた石だ。
それが、音速に近い速度で飛んできて、男の胴体に突き刺さった。
「ごふっ?」
男は声を出す事もできずに打ち倒されて、地面に倒れる。
少女は風の魔術を利用して石を飛ばしている。しかし、飛んでくる石自体には何の魔力も掛かっていない。男の持つ特性では吸収できないのだ。
そして、二発、三発と飛んでくる石弾。
男は、抵抗する術もなく死んだ。
男が放つ暴発がなくなり、傷の再生も始まらないことを確認してから、少女はその場に座り込んだ。
その顔は死人のように真っ青だ。
「ったく。なんだか知らんが酷い目にあっ……おううううええええ」
少女は胃の中の物を吐き出した。かなりの量の血が混じっている。
「くそっ、内臓に来るケガが……。こんな何もない所で……ホウキまでダメになって……どうすりゃいいんだ」
少女は夜空を見上げる。
「……町まで持つかな」
一番近い町まで、歩いて一週間はかかる。食料などの用意はない。
少女はため息をつくと、ヨロヨロと歩き出した。
混沌の世界に、デモニックイーターと呼ばれる者達がいた。
人の器を越えた力を得た魔術士達だ。
ある者は国家間の戦争に介入し、ある者は正義の行いに人生を賭け、ある者は破壊の限りを尽くした。
だが彼らは共通した目的を持っていた。
魔術の果て、究極の力を得ることだ。
これは、遠き目標を求めた者達の戦いと挫折の記録である……
……かもしれないし、違うかもしれない。