第七十二話 闇に沈む場所
探偵に憧れて虫眼鏡を持ち歩いていた事があります。ウロです。その日の内にどこかで無くしたテイタラク。虫眼鏡を探すために虫眼鏡を買わなくちゃ! ……3ループしました。
ランタンの灯りが、洞窟内をオレンジ色に照らし出した。
安全を確認したダムドの合図で、ヘンニーが火を入れてくれたのだ。
天井から降り注ぐ陽の光はか細くて、真下は明るいのだけれど、それ以外は暗くて心許ない。
岩肌にはヒカリゴケもあったりはするけれど、探索するなら安定した光源が必要って事で。
明るくなった洞窟内は、どことなく岩屋を小さくした様な形に思えた。
違うのは、岩屋にあった複数の横穴が無い事。
横穴の代わりに、木の枝や葉、藁などで作られた寝屋がある事。そして。
……そして、あちこちに散らばる血溜まりと羽毛。
壁に刻まれた、いくつもの爪痕がある事だった。
血溜まりは、時間が経っている事を示すみたいに黒く変色していて、臭いはあまり感じられなかった。
だけれど、目に入る光景が鼻の奥に鉄を思い浮かばせる気がして、思わず口と鼻をふさぎたくなる。
見れば、わたし以外にもニードルスやジーナ、アルバートも口や鼻を押さえていた。
平気な顔でいるのは、エセル、ヘンニー、ダムドの3人と、案内役のスヴァードだけだったり。
大人たちに遅れながら、わたしも洞窟内へと足を進める。
今更ながら、怖くて仕方がなかった。
だって、まるでドラマに出てくる殺人現場みたいな場所なんだもん。
歩く足は震えているし、肌は、ずっと泡立っている。
魔物と何度も闘って、命を奪っているのに。どうしてなんだろう?
そんなわたしにつられる様に、ニードルスとジーナもゆっくりとだけれど中へと進み始めた。
ちなみに、アルバートはエセルと一緒にサッサと中へ入ってしまっている。ぐぬぬ。
目の前に広がる絶望的な光景に、このまま目を閉じてしゃがみ込んでしまいたい衝動に駆られる。
それを、わたしの奥底に無理矢理押し込んで探索を開始する。
当たり前だけれど、寝屋は無惨にも打ち壊されているし、敷き詰められた草にも血が飛び散っている。
寝屋付近を調べていたわたしは、ふと、奇妙な事に気がついた。
血と同様に羽毛も沢山散らばっているのだけれど、それに混じって、折れた羽根がいくつも落ちている。
怪我をしたハーピィの中には、翼を大きく失っている者もいたのだから、折れた羽根が落ちていても不思議は無い。
でも、その一部は壁に深々と突き刺さっている様に見えるのですがどうでしょう?
……これ、どうやったらこうなるの??
恐る恐る引っ張ると、羽根は簡単に抜け……いや、千切れてしまった。と言うよりすでにボロボロで、見る間に崩れてしまった。
「どうやら、魔力が枯れてしまっている様ですね」
いつの間にか近くに来ていたニードルスが、壁に刺さった羽根を指で崩しながら言った。
「……魔力が枯れると、崩れてしまうの?」
「はい。正確には、急激な魔力の変化に耐えられなかったためだと思われます。
これと良く似た現象は、錬金を失敗した時に見かけますね」
ニードルスの説明によると、錬金術を行う際に魔力を加え過ぎたり、魔力属性の異なる素材を掛け合わせる術式を間違えたりすると、素材が劣化したり、最悪の場合、魔力を失って崩れてしまう事があるのだと言う。
わたしも錬金失敗で、素材を失った事はだいぶあるけれど、そんな理屈だったとは知らなかったよ。
……だって、失敗するとガラスが砕け散るみたいなエフェクトで消えちゃうだけだったもの。パリーンッて。
「ですから、適切な術式を組む事が錬金術師に求められる重要な……って、何故、ウロさんが感心しているのですか!?」
ほうほうと、思わず感心して聞いていたわたしに、ニードルスが訝しげな視線を投げかけて来る。
「うえ!? あの、えと、わたしってば、簡単な物しか錬金しないからあんまり失敗しないし。
てゆーか、ニードルスくんみたいな凄腕でも失敗する様な難しい錬金やらないし!」
「そ、そうですか。そう言う事なら仕方ありませんが……」
無表情を装いつつも、ほっぺがヒクヒクしているニードルス。このエルフ、チョロいです。
「皆、こっちに来てくれ!」
アルバートの声に、わたしとニードルスの肩が跳ね上がった。
どうやらわたしたち、無理矢理緊張感の無い話しに持って行ってたみたいだよ。
フラフラフワフワ、覚束無い足取りでアルバートの元へと向かうわたしたち。
みんなが輪になる傍らに、ヘンニーに抱えられて唸っているジーナの姿があった。
「ジーナちゃん!?」
驚きの声を上げるわたしに、ヘンニーは小さく「大丈夫!」と呟いた。
「どうやら、お嬢様にはショックが大きかったらしい。
おい、ガキ。案内役の鳥女に聞いてみちゃあくれねえかな?」
そう言って、ダムドは何かをヒョイと持ち上げた。
「コイツが、誰の脚かってよ?」
ダムドの手には、大きな鳥の脚の様な物が握られている。
もちろん、それは鳥の脚なんかじゃあ無いよ!
それは、ハーピィの膝から下の部分に間違いなかった。
所々が折れているのか、ハーピィ本来の美しい脚とは程遠いそれは、断面が何か強い力で引き千切った様に崩れている。
……或いは、咬み切ったみたいな。
いきなりこんな物を見せられて、ジーナは卒倒寸前になってしまったっポイです。……当たり前だわよ。
でも、今はそんな事より!!
わたしは思わず、スヴァードの方を見る。
スヴァードは、真っ青な顔色のまま硬直して、ダムドの握った脚をジッと見詰めていた。
「スヴァードさん!? 大丈夫、スヴァードさん!?」
「ハッ!? だ、大丈夫です」
わたしの声に、正気を取り戻したスヴァードは、1度、目をギュッと閉じてからため息を吐きつつ、ゆっくり見開いた。
「スヴァードさん、この脚が誰の物か解りますか?」
わたしの質問に、スヴァードは少しだけ沈黙する。
ここまでの道中、スヴァードから聞いた話を思い出す。
事件当時、この村にはフリッカを含めて18体のハーピィがいた。
怪我を負いつつも、何とか逃げ出す事が出来たのは16体(内4体は、怪我により事件後2日間で死亡)。
逃げ遅れて生死不明な2体の内1体が、フリッカの姉リュッカである。
「……これは、リュッカの脚ではありません。
逃げ遅れたもう1人、パシエトに間違い無いでしょう」
「何で解る? 俺には、お前さんの脚と同じに見えるが?」
スヴァードの言葉に、ダムドが続く。
スヴァードは、ダムドに小さく首を振って見せた。
「私たちの脚は、爪が前に2つと後ろに1つ。パシエトも同じです。
でも、長の血を引くリュッカの爪は、後ろは1つで同じだけど前は3つと違っています!」
スヴァードの言葉を受けて、ダムドを始め、みんながスヴァードと残された脚に目を見張る。
「……なるほど、良く解ったよ」
そう言ってダムドは、持っていたパシエトの物らしき脚をそっと地面に置いた。
黒く変色した地面に、黄緑色の脚はやけに浮き上がって見えた。
そこから東に向かって、ハーピィの物とは別の大型動物を思わせる足跡が、赤黒く点々と続いている。しかも、複数。
「良し、この足跡を追おう。
スヴァーダ殿、この先はどうなっているかご存知か?」
「この先は、沢へと続く岩間です。この山と緑山にいくつかある水場の水は、全てこの沢に流れて来ます」
アルバートの問いにスヴァードが答える。
むう。
もしかして、アウルベアって水場をたどってここまでやって来たのかな?
もしくは、最初がここで、今、正に山を登って岩屋を目指してる可能性も!?
「では、沢を辿りましょう。
ヘンニー、ダムド、足跡を追えるか?」
「ここしばらく雨も降ってねえし、任せてくれよ旦那!」
「足跡の主が沢の中を移動してなければ、ダムドからは逃げられやしないさ。
と、悪いが旦那、嬢ちゃんを頼むよ?」
ダムドとヘンニーはそう答えて、エセルにジーナを渡すと、荷物を取りに洞窟の入口へと走った。
わたしやニードルスも含めて、探索の邪魔にならない様にと、みんなの荷物は洞窟の入口にまとめて置いておいたんだっけ。
わたしたちも、荷物を取りに入口へと走る。
横目に見えたエセルは、ジーナを抱えて困った様な表情になっていた。
「あ、アルバート様。荷物は私が運びますから、ジーナ様を……」
「駄目だ、エセル。
荷物なら私が運ぶ。お前は騎士として、しっかり姫をお守りしろ!」
ハッハッハッと笑うアルバートの背中に、エセルは肩を落としてため息を吐いていた。ちょっぴり可哀想かな?
事件は、その直後に起こった。
わたしたちが、入口で荷物をまとめている最中、突然、洞窟の奥から叫び声が上がったのである。
声の主は、もちろんジーナだった。
まさか、エセル!?
洞窟の中を覗いた瞬間、そんな馬鹿な事を考えた自分が情けなくなった。
ジーナとエセルの前に、赤い目の魔物が現れたのだ。
それは、間違いなくアウルベアだった。
しかも、わたしたちが闘った物より1周り大きく見える。
最初に動いたのは、やや遠くにいたスヴァードだった。
頭の羽毛を逆立てて、その瞳には、明確な怒りが宿っている。
威嚇の声を上げるアウルベアに、フワリ浮かび上がったスヴァードは翼を背中一杯に引き絞る。
その緊張が弾ける様な音に変わり、同時にスヴァードの両の翼が一瞬だけ見えなくなる。
次の瞬間、わたしたちの間を突風とアウルベアの悲鳴が駆け抜けた。
風に目を細めた一瞬の間に、アウルベアの茶色い身体は、無数の鮮やかな青い羽根が突き刺さった。
スヴァードの羽根が、高速でアウルベアに降り注いだんだと思う。
スゴイ!
これが、あの壁に刺さった羽根の正体!!
わたしの知っているハーピィと言えば、鉤爪での攻撃か、相手を掴まえて高く飛び、上空で離して落下させる位だったのだけれど。
恐るべし、ダングルド山のハーピィ!!
だけれど、スヴァードの翼攻撃は、アウルベアを仕留めるまでには至らなかった。
さっきの勢いが嘘の様に無くなり、肩で息をしているスヴァードに対して、アウルベアは身体を振って羽根を振り払ってしまった。
しかも、岩間からはもう1匹のアウルベアの姿が。
ジーナ!!
スヴァード!!
あと、エセル!!
「ヤバイ、助けなくちゃ!!」
わたしが剣に手をかけて、走り出そうとした瞬間、わたしの肩を力強く掴む手が現れた。
「慌てるなよ、嬢ちゃん?」
ヘンニーだ。
「で、でも……」
「大丈夫。
旦那がいるんだ、平気だろ。なあ、大将?」
戸惑うわたしに、腕組みしながらダムドが笑っている。
その視線の先には、笑顔でうなずくアルバートの姿があった。
「あ、アルバートくん!?」
「心配無用だ、ウロくん。
エセルは、私の剣の師だぞ?」
何、この信頼感!?
エセルって、そんなに強いの!? 見た目は怖いけれど。
エセルは、ジーナを後ろ手に立つと腰の長剣に手をかけた。
同時に、エセルが何事か呟くと、ジーナがこちらに向かって走り出す。
ジーナが、ある程度の距離を逃げたのを確認して、2匹のアウルベアは、獲物をエセル1人に定めたみたいだった。
赤い目が4つ、エセルを睨みながらにじり寄って来る。
エセルが、ゆっくり、だけれど油断無く剣を抜いた。
前にも思った事だけれど、エセルの細い身体には不釣り合いな、幅広で重そうな剣。
クレイモアの様な、だけれど、剣身はクレイモア程細くは無い黒の長剣。
それをエセルが構え様とした瞬間、2匹のアウルベアは、同時にエセルへと飛びかかった。
その刹那、空中に、エセルを中心とした黒い丸浮かび上がった。
黒い丸、そうとしか言い様が無い。
黒の円盤を一瞬だけ立てたみたいな?
黒い丸が消えると同時に、2匹のアウルベアはよろめいて、そのまま、前のめりに倒れて動かなくなった。
それもそのハズ、倒れたアウルベアの更に少し前方には、2匹の物だろうアウルベアの首が転がっていたのである。
「さあ、準備は整いましたかな?」
何事も無かったかの様に、剣をしまったエセルが口を開いた。
直ぐ近くには、首を失って倒れているアウルベアが2匹。
そして、エセルの立っていた辺りの地面には、深さ30センチメートル程の溝が出来ている。
いや、あの、ここの地面、岩なんですけれど?
それに、さっきのエセルの技。
あんなの、見た事無いんですけれど??
わたしの予想通り、あの男は最凶にヤバイ人ですよ!!
などと考えていましたら、再びジーナの悲鳴が上がる。
今度は、さき程の切り裂く様な悲鳴では無く、空気が抜ける様な「ふええええ」気味な声。
慌ててジーナの方を振り向くと、そこには、アウルベアの首を両手で掴むジーナの姿が。
「じ、ジーナちゃん、何してんの!?」
「ふうう、う、ウロさん、ちょっと手伝ってください。
アウルベアの首を、塩漬けにするんです!」
ふぁ??
何言ってるのこの子!?
どうやら、ハーピィの塩漬けが出来ないため、それの代わりに〝何か〟が必要なんだとか。
「ここまで来て手ぶらで帰ったら、お父様と叔父様に叱られちゃいます。
せめて、珍しい魔物の首を!!」
ああ、げに恐ろしき商人魂!!
一方、ひっそりとアウルベアの胸を切り開くエルフの姿が目の端に入った気がしたのだけれど。
きっと、気のせい。
気のせいなんだったら!




