第六十九話 受け入れる時 後編
前回のあらすじ。
だいぶヤバイ!!
暗くなった視界に、鈍く光りながら高速で降ってくる爪が。その奥では、真っ赤な瞳がひたすら狂気を放っているのが見えた。
爪を避けなきゃマズイ!
ややフック気味な右の打ち下ろしは、確実にわたしの頭を狙っている。
このままジッとしていては、絶対に無事では済まないのは解る。
でも、どうしよう?
前のめりに崩れた体勢を支えるため、剣を杖代わりにしてしまっているし、脚には力が入らない。
しかも、じっくり考えている余裕なんて無い!
わたしは、無理矢理に身体をひねって右方向に飛び出した。
ガキンッ
乾いた打撃音が響いて、わたしの身体は叩きつけられる様に弾かれた。
「ぐうっ」
押し出される息に合わせて声が漏れた。
だけれど、痛みよりもまず、何が起こったのかが気になった。
フラつきながら顔を上げると、わたしの左前方に低く唸り声を上げるアウルベアの姿が。
その前には、折れ曲がったブロードソードが転がっているのが見えた。
回避成功!?
そう思った瞬間、わたしの左肩を鈍い痛みが襲った。
革鎧の肩部分がえぐれらて、無くなっている。
露出した肩からは、血がにじみ出していた。
ゾッとした。
たぶんだけれど、アウルベアの攻撃は剣が邪魔になって少しは弱まったのだと思う。
それなのに、革鎧の肩部分を簡単にえぐり取っていったのである。……わたしの知っているアウルベアの攻撃力より、かなり強い。
もし、あの爪が頭に当たっていたら?
そう考えたとたん、全身に恐怖が広がった。
「ゴアアアアッ」
低くビリビリと響く様なアウルベアの雄叫びは、わたしの恐怖を増長させるのには十分だった。
低く沈み込み、次の攻撃体勢に入っているアウルベアに対して、わたしは何も準備が出来ていない。
せめて剣を!
そう考えて腰に手を充てたけれど、当然、そこに剣は無い。
代わりの武器を取り出さなきゃ! ……と考えた直後に、鞄が無い事に気がついた。
鞄は、フリッカの近くに転がっているだろう。
たぶんだけれど、走り出す前に鞄を下ろしていたのだと思う。ほぼ、無意識に。
あれ?
もしかして、何も出来ない!?
不安と恐怖と、何だか解らない物がわたしの中でぐるぐると回っている。
あ、今、アウルベアが地面を蹴った。
徐々に近づいてくる真っ赤な瞳が、何だか笑ってるみたいに見える。
きっと、勝利を確信したのだと思う。
どうやら、今度は両手で左右からわたしの頭を狙ってるみたいだ。
あれじゃあ、どっちに逃げてもダメだろうなあ。
……そうだ!
もしかしたら、『ホームポイント』に戻れるかも知れない!?
『ホームポイント』って言うのは、あらかじめ設定しておいた復活場所で、殺られちゃった場合にそこからやり直す事が出来るシステムで。
わたしは確か、セーフルームに……。
ああ、何だ。こんなに苦労しなくっても、セーフルームに戻れる方法あったじゃない。
「……なんだ、簡単じゃん」
目の前が、真っ赤な瞳に飲み込まれて行く様な感覚になり、同時に、頭の中が戻る事でいっぱいになった。
その瞬間、横から黒い影が飛び出して来た。
高速で、しかも回転しているみたいな影は、わたしと真っ赤な瞳の間に滑り込む。
「ギャアアアッ!!」
けたたましい叫び声が耳を貫いた。
少しだけ遅れて、わたしの近くに何かがドサリと転がった。
腕だ。
鋭い爪のついた熊の様な腕。
さっきまで、わたしを狙っていた腕。……あれ?
「嬢ちゃん、大丈夫か!?」
頭の上で、声が聞こえた。
その途端、まるで冷たい水を頭からかぶったみたいな感覚がわたしを包み込んだ。
ハッとして顔を上げた先には、褐色の戦士の姿があった。
「……ヘンニーさん!?」
「悪いな、怪我させちまった。コイツを片付けたら、すぐに手当てしてやるからな!」
そう言ったヘンニーの前には、片腕になったアウルベアが傷口を押さえて唸り声を上げている。
身体が、ガタガタと震えだして止まらない。
何を考えてるのわたし?
死んだら、この世界の一部になるって、ヴァルキリーが言っていたのに。
ほんの一瞬だけれど、死んでホームポイントに戻れると、さっきは本気で思っていたのだ。
「おい、ガキ。気を抜くんじゃねえ。後ろに下がってろ!!」
ダムドの声に、ビクッと肩が跳ね上がる。
慌てて、だけれど這いずる様に岩壁に張りついた。
目の前の戦場では、ヘンニーの鋭い打ち込みを紙一重でかわすアウルベアの姿があった。
「ったく、ちょこまか動きやがって!」
そう言ったヘンニーは、剣の腹でアウルベアのクチバシを跳ね上げる。
アウルベアの首が、本物のフクロウみたいに伸び上がった。
「ダムド!」
「おう!」
ヘンニーに応えたダムドの腕が、一瞬だけぶれた様に見えた。
「ギャアアアッ」
再び、アウルベアが悲鳴を上げる。
たたらを踏んで後ずさるアウルベア。その両目には、ナイフが深々と突き刺さっている。
「おりゃ!!」
すかさず、ヘンニーがアウルベアの頭に剣を叩き込んだ。
ドンッ
鈍い打撃音が辺りに響く。
ヘンニーの打ち下ろした剣が、アウルベアの胸辺りまで食い込んで止まると、アウルベアもまた、残った腕をだらりと垂らして動きを止めた。
アウルベアは、それっきり動かなくなった。
「バカ野郎、ヘンニー! 頭を潰しやがって。これじゃあ、首を売れやしねえじゃねえか!」
「あ、しまった。ついクセで……」
ナイフを回収しながらぼやくダムドに、ヘンニーは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「ピーッ!!」
わたしの元に、泣きながらフリッカが駆け寄って来た。
涙で顔がグシャグシャな以外は、怪我は無いみたいで良かった。
わたしは、フリッカの頭をなでながら2人の方へと向き直った。
助けてくれた、お礼が言いたかった。
だけれど、何故だかなかなか声が出てこない。
「あ、ありがとうございます!」
やっとの思いで声を出したわたしに、2人は視線を向ける。
ダムドは、間を置かずにツカツカと近寄るとわたしの胸ぐらをグイと掴んだ。
その表情は、眉間に深くシワを寄せた怒りに他ならなかった。
「おい、ガキ。俺は下がれと言ったんだ。なのに、何で飛び出したんだ?」
「あ、うう……」
「いいか、俺たちの仕事は護衛だが、死にたがりを守る程お人好しじゃあねえ!
死ぬんならな、この旅の後にでも1人で死にやがれ!!」
それだけ言うと、ダムドはわたしを離してアウルベアの死体の方へと歩いて行った。
「ゲホッ、ゴホッ」
咳き込むわたしの隣に、今度はヘンニーがしゃがみ込んだ。
「……その、何だ。
護衛ってのは、思ったより難しいんだ。護衛される側の協力が必要でな。
嬢ちゃんは、鳥娘を守りたかったんだろ?
嬢ちゃんがそうした様に、俺たちも嬢ちゃんたちを守りたいんだ。
エセルの旦那に比べたら頼りなく見えるだろうが、もう少し、俺たちを信用してみちゃくれねえかな?」
そう言って困った様な笑顔を見せると、わたしの身体をヨイショと持ち上げ、水場まで運んでくれた。
傷を洗い、薬草と包帯を巻いてくれたヘンニー。
わたしの鞄を回収してくれたダムド。
みんなの所へ戻る途中、わたしは、ポロポロと流れる涙が止まらなかった。
疲労からの判断ミス。
……いや、そうじゃない。
わたしは、ヘンニーが言う様にヘンニーとダムドを信用していなかったんだと思う。
2人だけじゃない。
この世界の全てを、信用していなかったのかも知れない。
それは、この世界が“ゲームに良く似た世界”だから。
もちろん、ここがゲームじゃないのは解っている。
解っているのだけれど、心のどこかで、まだ自分に起きてる事の全てが嘘だと思いたいと考えているのだ。
だから、『ホームポイント』なんて事を考えてしまったんだと思う。
もう、ホームポイントなんて無い。
死ねば、倒れて土に還るだけな自然の摂理。……たぶんね。
「……で、こんなに時間がかかった釈明はあるんでしょうね?」
みんなの所に戻ったわたしたちを待っていたのは、氷の様な視線を向けてくるエセルの姿だった。
「いや、その……」
「……先客がいやがって」
「それで、護衛対象に怪我をさせたと言う訳ですか?」
「ち、違うの! これはわたしが勝手に……」
「そんな事は解っています!」
はうっ!
「良いですか?
私はこの2人と旅をし、信頼して護衛に雇ったのです。
にも関わらず、護衛対象が怪我をする結果から理由は明確です。が、それが怪我をさせて良い理由にはなりません!」
「……すまない」
「……面目ねえ」
エセルの言葉に、ヘンニーとダムドは反論しなかった。
あれ?
わたしの中で、何かが小さく跳ねる。
「そして、ウロ様!」
「はい!」
エセルの一喝に、思わず気をつけの姿勢になる。
「貴女には、失望しました。
元とは言え、冒険者だったと言うのに状況を把握し、行動する事が出来ないとは。
ともすれば、パーティ全滅を起こしかねないのですよ!」
ああ!!
エセルの言葉が、わたしの中の大切な記憶と重なった。
それはまだ、わたしがゲームを始めたばかり。駆け出し冒険者だった頃に聞いた、チームの先輩の言葉。
「ウロや、良くお聞き?
レベル上げや装備を整える事も大切だけど、パーティではチームワークを重要視するのですよ。
仲間を良く見て、その時に必要な行動をするのです。
必要なのは、強いプレイヤーより上手いプレイヤー! 独走はダメですよ!?」
この世界に来て、再び初心者に戻っていたのに。
知らず知らずの内に、高い高い所からみんなを見下していた。
だから、心の底では誰も信用しようとしなかったんだと思う。
「な、泣く程の事は言ってませんよ!?」
エセルが、急にうろたえ始めた。
わたし、また泣いてたみたい。
今度は、イロイロと理解出来たからだけれど。
「エセル、負傷した女性を泣くまで説教する奴があるか!」
「い、いえ、私は決してそんなつもりは……」
「まあ良い。
しかし、このまま放って置くのは良くないな」
そう言いつつ、アルバートがわたしの肩に触れる。
グニッ
「痛い!!」
「ふむ、骨は折れてないみたいだな。ならば、大丈夫だろう!」
アルバートは、わたしの肩に手を当てたまま、もう一方の手に杖を構えつつ、スッと目を閉じる。
そして、何事かを口の中でモゴモゴと呟いた。
「うおっ!?」
わたしの肩に置かれたアルバートの手が、蒸しタオルの様に熱く感じた。
手は、少しの間柔らかな微光を放っていたけれど、やがて消えた。
それは、わたしの肩から痛みが消えたのと同時に思われた。
「ふう。どうかな、ウロくん?」
「……痛くない!」
肩をぐりんぐりん動かしながら、わたしは答えた。
包帯を外すと、血のにじんでいた傷は跡形も無く消えていた。
「スゴーイ! アルバートさん、治癒魔法が使えるんですね!?」
様子を見ていたジーナが、目を見開いて驚いている。
「まあ、これしか出来ないのだかね」
そう言って、肩をすくめるアルバート。
「ありがとう、アルバートくん。楽になったよ!」
「気にするな。お役に立てたなら、それで良い。
それにな、エセルの事も悪く思わないでやってくれるか? あれで、1番気を揉んでいたのはあいつなのだからな!」
お礼を言ったわたしに、アルバートがソッと耳打ちした。
あらやだ。
エセル、実は良い人?
「ごめんなさい、エセルさん。それから、ありがとうございます!」
「説教に、お礼を言われるのは初めてですね。頭でも打ちましたか?」
ひ、ひどいよ! やっぱりエセル怖い!
「それにしても、相手は何者だったんですか?」
腕組みして押さえてはいるけれど、好奇心に瞳を輝かせてニードルスが口を開く。
「アウルベアだったよ。
フリッカたちを襲ったのも、同じだと思う」
ねっ? と、フリッカに訪ねると、フリッカは何度もうなずいて見せた。
「……アウルベアですか。
ハーピィの巣を襲ったのもそうだとして、書物でしか見た事がありませんが、それ程に手強い相手だったのですか?」
「いや、えと……」
わたしは、ニードルスにわたしが怪我をした顛末を話した。
ニードルスは、呆れた様に頭に手を当てて十分に空気を吸い込んでから、再び口を開いた。
「ウロさん!
貴女、また、戦士みたいな闘い方をしたんでしょう?
貴女には、魔術師としての自覚が無いのですか?
何故、魔力や知力でなく筋力に頼ろうとするのですか?
大体、貴女は最初に会った時から……」
いつもの、ニードルスのお説教。
普段なら、泣く程ウンザリだけれど。
今は、嬉しく感じる不思議です。
「ニードルス、悪いが説教は後でゆっくりやってくれ。そうだな、エセル?」
「はい。
水場での騒ぎを聞きつけて、仲間や他の何かがやって来るかも知れません。早急に移動するべきだと考えます!」
ニードルスの説教を止めたアルバートに答えるエセル。
……はい、すみません。
こうして、わたしたちは再び山道を歩き始めた。
あまり体力は回復していないものの、わたしたちの荷物をエセルやヘンニー、ダムドが持ってくれた事と、まめに休憩を挟んだ事で、歩き続ける事が出来た。
何回目かの休憩の時、ヘンニーがわたしに話しかけて来た。
「嬢ちゃん、さっきはすまなかったな。怪我させた上に小言までよ?」
「いいえ! わたしの方こそ、軽率でした。本当にごめんなさい!!」
「いやいや。
所でよ、あの最初のダッシュは悪くなかったぜ?
あのまま、ちゃんと接敵出来てりゃ先手は取れてただろうしな? なあ、ダムド!?」
「ああ、そうだな。
ガキにしちゃあ、良い踏み込みだった。
少なくとも、俺やこいつが止められなかったんだからな?」
わたしとヘンニーの間に、ドカッと腰を下ろしたダムドは、水袋を傾けながら笑った。
「あ、ありがとうございます」
「しかしよ、嬢ちゃんは魔術師だろ? 何で魔法を使わなかったんだ?」
……あ。
「ガキ、まさか忘れてたんじゃあねえよな?」
えと、あの、はい。
まったくすっかり全然ちっとも1欠片も魔法を使うなんて思いもしませんでした!!
わたしの表情を見た2人は、同時に、盛大に吹き出した。
「ワハハハハッ、こりゃ、傑作だ!」
「クックックッ。おい、ガキ。いっその事、魔術師なんざ止めて戦士にでもなった方が良い線行くんじゃねえのか?」
……むう。
元聖騎士だったもん! っと言うセリフを、わたしはゴクリと飲み込んだ。
イロイロ、台無しになっちゃうからね。
そんなやり取りをしながら歩き続け、気がつけば陽が傾き始めていた。
ふと、わたしは、辺りの空気が少しだけ変わったのを感じていた。
これって、もしかして?
「ウロさん、解りますか?」
ニードルスも気づいたらしく、肩で息をしながらもわたしの隣までやって来た。
「うん、これって魔力だよね?」
「恐らく、自然魔力でしょう」
自然魔力は、この世界のどこにでもあるマナ的な物だ。
それが、特定の場所には通常よりずっと多くの自然魔力があったりする。
これを〝魔力溜まり〟なんて呼ぶらしい。
ゲームだった頃にも、〝魔力が歪んでいる〟とか〝清らかな魔力で満ちている〟なんて表現がされる場所があった。
また、わたしたちの師であるマーシュさんの住んでいるイムの村も、自然魔力の豊富な魔力溜まりだった。
だけれど、ここはそんなのとは比べ物にならないくらいに濃い魔力で満ちている。
しかも、ここの自然魔力は『風』の属性がかなり強いみたいだよ。
「みんな、早く!
もうすぐ、あたいたちのお家だよ!」
岩と岩の間を飛びながら、フリッカが嬉しそうに振り返った。……何だか、動きにキレが増したみたいだけれど。
やがて、道は細くなって無くなり、完全な岩壁登りとなった。
フリッカの示した道は、どうやっても翼が無くては進めなかったけれど。
低めの岩を登り、やっとの事でたどり着いたそこは、巨大な風穴を思わせる様な場所だった。
「……これは」
「すげえな!」
誰とはなく、口をついて出る感嘆の言葉。
それもそのはず、辺りの岩肌や小さな石ころまで、そのほとんどが魔石だったのだから。
「長い年月、自然魔力にさらされ続けたのでしょう。
この場所が、まるで巨大な魔石みたいな物ですよ!」
やや興奮気味に、ニードルスが呟いた。
「みんな、こっち!」
フリッカに促され、魔石の洞窟を進む。
「ようこそ、あたいたちのお家に!」
洞窟の先、崖の上に張り出した様な場所。
その中央は、すり鉢状の広い空間になっている。
そして、その中を自由に飛び回る、数十体のハーピィたちの姿があったのでした。




