第百十六話 ラヴィニアの魂と生命の精霊
前回のあらすじ。
母は強し(物理)!!
「急げ、ウロくん。皆、長くは持たない!」
アルバートが、叫びに似た焦りの声を上げた。
それに呼応する様に、「ギギギッ」と言う不安な軋み音が部屋中に響いた。
ラヴィニアさんを拘束しているエセル、ヘンニーと、ニードルスの操るゴーレムちゃん(右腕破損中)は、一般的な成人男性よりも遥かに優れた筋力だと思われる。
それに加えて、エセルとヘンニーは全身、或いは部分的な身体強化が出来るみたいだから、比べるまでも無い。
今は片腕になっちゃってるけれど、ゴーレムちゃんだって昔、2メートル近くある脳筋待った無しな戦士を泥沼の中から軽々と引き上げた実績がある。
にも関わらず、ラヴィニアさんを抱えた腕はブルブルと震えているし、額には玉の汗が浮かび上がっている。
ゲームだった頃、敵に組み付かれた場合は“振りほどく”動作をする必要があった。でないと、投げられたり噛みつかれたりして大ダメージを受ける他、場合によっては即死攻撃を受ける可能性もあったからだ。
振りほどく場合、逃げ出すまでの時間が限られている為、のんびりはしていられない。
当たり前だけれど、組み付いた側にもペナルティはある。『スタミナゲージ』なる物が現れて、組み付いている間にジワジワと減って行く。
抜け出されずに技が完成すれば、何事も無く技は発動するのだけれど。
途中で抜け出されたり、技が完成する前にスタミナゲージが無くなってしまうと、その分だけダメージになって返って来てしまう仕様だった。
今いる世界が、デジタル的にその仕様な訳は無いだろうけれど、ラヴィニアさんが動こうとするたびに3人のHPはジリジリと減っているのは確かだったり。
ダムドによるロープ捕縛が試みられたのだけれど失敗。てゆーか、ロープの方が耐えられないアリサマでしたよ。
「さあ、ウロよ急ぐのじゃ。
ラヴィニアが、あんなむさ苦しい男共にしがみつかれておるなぞ、見ておれん!」
横を歩くユニコーンの長老様が、ブルルッと鼻息を荒くする。
「お、押忍! って、わたし、今更ですが何をして良いか解らないですよ?」
「心配無用じゃ。儂に任せておけ」
軽くウインクしつつ、足早になった長老様をわたしは慌てて追う。う、打ち合わせって大事だと思った。
ほんの数メートルの距離が、恐ろしく遠く感じるのに。移動は、アッと言う間な違和感に戸惑いを隠せない。
そして、目の前に迫ったラヴィニアさんの姿に、わたしは改めて驚いた。
近くで見るラヴィニアさんは、本当に美人だった。
人形病にかかっているからって訳では無いけれど、精巧に造られたドールの様に美しくて。逆に不気味だった。
艶やかで張りのある肌は、透き通る様に白くて柔らかそうだった。
なのに、エセルたちの手は、いっさい肌に食い込んではいないし、少しでも動こうものなら「ギギギッ」と言う不快な軋みが容赦無く歌い出す。
目は、とても澄んで光沢を讃えているのに。不思議な事に何も映ってはいないみたいで、至近距離に入ったわたしも映り込んではいなかった。
ふと、急に目の前が暗くなる。それと同時に、“ドゥン”と言う重くて低い打撃音が間近で轟いた。
ハッとして顔を上げたわたしの目の前には、盾を構えて立ちはだかるアルバートの姿が。盾には、ラヴィニアさんの頭がめり込んでいる。
どうやら、ラヴィニアさんの頭突きを止めてくれたみたいだよ。
もし、あんな至近距離で頭突きを受けていたら……。考えただけでも恐ろしい。
「大丈夫か、ウロくん!?
母上、私の友人への挨拶は正気を取り戻してからにして頂きましょう!」
盾を押す様にして、ラヴィニアさんの頭を外したアルバート。
自分の母親の顔を、盾で受け止めるってどんな気分なんだろう? もう、お腹痛くなりそうで困る。
「あ、ありがとう。ごめんね、アルバートくん!」
「気にするな。今の母上は、身体だけは頑丈な様だからな」
わたしの礼に、振り返らずに応えたアルバート。……すまねえ、すまねえ。
あと、木製の盾に全力頭突きしても無傷のラヴィニアにビビる。
ゆっくりと戻ろうとするラヴィニアさんの頭が、いきなり後ろへと下がる。その首には、何重かにもなった縄がかかっていた。
「絹のスカーフじゃあなくて失礼。何しろ急ぎなもんでよ。
それより、ヘンニー! 貴族のお姫さんなんざ、金輪際抱く機会なんかねえんだ。しっかりしやがれ!!」
「良く言うぜ。何なら、代わってやろうかダムドーッ!」
縄を、ベッドに括りつけながら叫ぶダムドに、ヘンニーが怒鳴り返す。
“始めるぞ、ウロや。儂の魔力に集中するのじゃ!”
あ、アイアイ!!
頭の中響く長老様の声に驚きつつ、わたしも頭の中で返事をする。
わたしが見上げると、長老様は小さくうなずいてからスッと目を閉じた。
瞬間、長老様の身体が少しだけ光った様に見えた。
それから光は、長老様の角へとゆっくりと集まり始める。
“角が折れておるでな、少しばかり不格好なのは許せよ?”
再び、頭の中に声が響く。
そう言えば、長老様の角って先端部分が少しだけ折れてましたっけね。
その一部は、アルバートくんが持ってるんだっけな?
長老様の魔力が、角の螺旋に合わせて渦を巻きつつ先端に収縮されて行くのが見て取れた。
「良いか、男共。
これより、ラヴィニアの魂への道を作る。何があってもラヴィニアを放すで無いぞ!? 動けば、儂とウロが死ぬと知れ!!」
長老様の雄叫びの様な声に、わたしの肩が跳ね上がる。
「お、おう。了解したぜ爺様よ!」
「お任せを!」
「は、早く見……してください!」
ヘンニー、エセル、ニードルスが、それぞれに答える。……ニードルスは後で話がある気がしたけれど。
「良し、では参るぞウロ。前を開けよ、ラヴィニアの子!」
「母上を頼む!」
長老様の声に、短く言葉を残してアルバートが横へ飛び退いた。
わたしは、無言で長老様とアルバートにうなずいて見せた。
長老様の角が、ほんの一瞬だけ強い光を放つ。
光の中で、魔力が緩やかな螺旋を描きながらラヴィニアさんの胸に吸い込まれて行った。
「ウロ、儂の魔力を追え。
召喚士の其方なら、それが出来るはずじゃ!」
マジで!?
「マジじゃ!! 急ぐのじゃ!」
ヤバイ。頭の中を読まれちゃった。てゆーか、マジが通じてビビッた。
わたしは、慌てて長老様の懐へと入り込む。
ちょうど、わたしの目線に長老様の魔力の渦の中心が見える位置だ。
「うおっ!?」
思わず、わたしは声を上げた。
渦の中心の先、ラヴィニアさんの胸だと思われる辺りにポッカリと穴が開いて見えた。
しかも、その穴の中に、何やら紅くて丸い宝石の様な物が浮かんでいるのが見えた。
何だろう? ルビーみたいに輝いて、とても綺麗だけれど。……でも、黒い汚れがかなりくっついてる様にも見える。
「ち、長老様。紅い宝石みたいなのが見えます! でも、黒い汚れがいっぱい付いてるみたい」
「それが、ラヴィニアの『魂』じゃ。
まだ、完全に黒くはなっておらんな? それならば救える!」
あ、あれが『魂』!?
魂って、あんなに綺麗なんだ。
……などと感動してる場合じゃないよ!
これから、どうすれば良いのかしら??
「儂の魔力に、其方の魔力を合わせるのじゃ。そうすれば、ラヴィニアの魂に手が届くじゃろう。……後は、自ずと解る」
だいぶアバウト! だけれど、ラジャッた。
頭の中でうなずいたわたしは、長老様の魔力に自分の魔力を重ねてみた。感覚としては、誰かに魔力を流し込むのに似てるかな?
その途端、わたしの視界が歪む様な感覚に襲われる。
紅い宝石……改めラヴィニアさんの魂が迫って来るのに、それ以外の風景なんかが遠くなって行くみたいな。映画とかテレビとかで観た事のあるアレな感じのに似てる気がするソレです。
やがて、魂が手の届く距離になろうとする頃。
騒音は消えて、ドックン、ドックンと言う様な心臓の音みたいな物だけが響いている事に気がついた。
「……ここ、ドコ??」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
わたしのいる場所は、乳白色がややピンクがかっている様に見える、広いのか狭いのか、距離感が解らなくなる様な謎空間だった。
そこにわたしと、わたしの目の前に紅く輝くラヴィニアさんの魂がある。
魂は、わたしの胸位の高さに浮いている状態であるのだけれど。むしろ、わたしも浮いてね? などと。
イロイロ不安を覚えつつ、わたしは、目の前の魂をまじまじと見詰めた。
掌サイズより、ちょっぴりばかり大きい位のルビーの様な紅い塊。
最初は玉だと思ったのだけれど、卵形になったり縦長になったり。少しずつ、絶えず変形している。
大部分はツヤツヤピカピカなのだけれど、下半分位が黒く変色していて、それが、ジワジワと浸食しているみたいに見えた。
この汚れ、どやって取るんだろ??
「……ロ、聞……ておるか、ウロ?」
途切れ途切れに、長老様の声が耳の中に響く。
耳の中と思ったのは、ヘッドフォンのノイズみたいに聞こえたからだけれど。
「てゆーか、長老様。何か、電波遠いよ!?」
「で……? わ……の解らんこ……く聞くのじゃ。
ラヴィニアの魂を黒く染めているのは、『生命の精霊』じゃ。魂を守る為、自ら強固な殻になろうとしておるのじゃ。
全てが黒く染まれば、魂の守護は完成する。しかし、同時に肉体と魂は切り離され、何も見えず何も聞こえず。魂は生きたまま魔石となり、肉体は、魔石を守る人形になり果てる。
その前に、生命の精霊に正気を取り戻すのじゃ!」
途中から、やたら鮮明に聞こえて来てビヒッた。あと、黒いのは汚れじゃなくって更にビビッた。
「ぐ、具体的にはどうすれば良いのですか?」
「生命の精霊の声を聞け。
精霊の声は、とても小さい。とりわけ、生命の精霊の声は小さい。
通常状態の声ならば聞こえようが、今の精霊の声は儂には聞く事が出来ぬ。
だが、ウロ。召喚士たる其方ならば、妖精の羽音が如き呟きも聞く事が出来るじゃろう。……うう、これ以上は魔力が乱れ……ウロ……頼……」
「ちょっ、長老様!? モシモシ、モシモーシ!?」
……それっきり、長老様との交信は途絶えてしまった。
ま、まあ、やるしかないのですがなあ。
わたしは、改めて黒い染みを見詰めた。今度は、『召喚士の瞳』で。
するとどうでしょう。
さっきまで黒い染みみたいに見えていた物が、苦悶の表情で固まる無数の少女たちになったではありませんか!!
それだけじゃあないよ。
今まで何も無かったと思っていたこの空間に、突然、ピンク色の霧が沸き上がった。
……いや、たぶん突然じゃあないよね。ずっとあったんだよね。きっと。
ピンク色の霧は、まだ黒く染まる前の少女たちだった。
それって、リブンフォートの森で見た事がある。
残されていた血痕の中で体育座りしてシュンとしていた、あの少女。つまり、彼女たちが生命の精霊である。
少女たちは、辺りをゆっくりと漂いながら、吸い寄せられる様に魂に張り付き、しばらくワチャワチャと動いた後、急激に黒く変色して、そのまま動かなくなって行く。苦しそうに、顔を歪めたまま。
と、とにかく、彼女たちの声を聞かなければですよ。
でも、精霊の声って、今まで聞いた事無いのですがどうでしょう?
とは言え、まずは試してみましょうそうしましょう。
わたしは、スウと深呼吸を1回すると、口を開いた。
「生命の精霊さん。わたしは、召喚士のウロです。ラヴィニアさんを助けに来ました。どなたか、声を聞かせてください!」
わたしの声が、ワンとこもる様に響いて消えた。
次の瞬間、漂っていた霧がわたしの目の前で渦を巻きながら集まり始めた。
つ、通じた!?
集まり続ける霧を見詰めながら、わたしはゴクリと息を飲む。
異常に長く感じた数秒後、霧は、1人の少女の姿になっていた。
身長1メートルくらいの、半透明なピンク色の少女。
長い長い髪は、フワフワと宙を漂っているし、輪郭がボヤけていてユラユラと揺れている様に見える。
顔は可愛らしいのだけれど、目に瞳が無い、或いは見当たらないせいか、ハッキリとした表情は窺い知る事は難しいかもしれなかった。
「は、初めまして。召喚士のウロと申します。
貴女は、生命の精霊さんですか?」
……我ながら、マヌケな質問をしてる気がするけれど。ピンク色の少女の答えを静かに待った。
「……?」
んん?
小さくて聞こえない!?
口をパクパクさせて、何かを言い続けている少女に、わたしはもう1度耳を傾ける。ただし、今度は耳にも魔力を集中させて。
「……貴女モ、アノ子ヲ殺スノ?」
「うえっ!?」
少女の口から聞こえた、やたら物騒な言葉に思わず変な声が出ちゃった。
「殺す!? 殺すって、誰を?」
「私ハ、アノ子ヲ守ラナクチャイケナイノ。ソノ為ニココニイルノ。貴女ハ、アノ子ヲ殺スノ?」
いまいち、会話が成り立っていないみたいだけれど。
これって、ラヴィニアさんの心の声だろうか? だとしたら、“あの子”って、アルバートの事だよね!?
「あの子って、アルバートくんの事?
わたしは、アルバートくんの友人です。殺したりなんか、絶対にしません!!」
わたしがそう言うと、少女に少しだけ笑顔が浮かんだ様に見えた。
少女は、ゆっくりとわたしに近づくと、わたしにフワッと抱き着いた。フウッと力が抜ける様な、優しい暖かさが伝わって来る。
「ソウ、ソウナノネ」
「そうです。アルバートくんは、ラヴィニアさんをとても心配して……っぐう!?」
次の瞬間、わたしを抱き締める少女の腕が、万力の様にわたしの身体を締め付け始めた。
「ぐっ、なっ!?」
ダイレクトな苦しさと、状況が飲み込めないわたしは、困惑しながら少女を見下ろした。
少女は、わたしのお腹に顔を埋めながら小さく呟く。
「貴女モ、コノ女モ、ヤッパリアノ子ノ敵ナノネ。
……じゃあ、さっさと死んじゃえば?」
「!?」
驚愕の表情でのぞき込むわたしに、少女がぐりんと顔を上げる。
そこにあったのは、さっきまでのボヤけた様な少女の顔は無く、邪悪に歪んだ笑顔を張り付けた怪物の姿でありましたさ。




