第百十五話 マネキン
前回のあらすじ。
どこのお家のお母さんもラスボス気味。元の世界も。異世界も。
重くて鈍い打撃音が、広い寝室の中に響いて消えた。
だけれど、打撃音の原因となったエセルからは、音の様にダメージは消えていなかった。
「エセル、大丈夫か!?」
「ぐっ、あ、アルバート様。も、申し訳あ……ません」
アルバートに抱えられたエセルが、苦しそうに問いに答える。
良く見れば、エセルの鎧の胸部分に何やら手形が刻まれていた。
「ヨランダの奴め。面倒な事を……」
エセルに肩を貸しながら、視線はベッドを凝視しているアルバートが呟いた。
暗いベッドの奥に、エセルを弾き飛ばした腕が引っ込んだ。
それと入れ換わる様に、1人の女性がゆっくりと姿を現した。
それは、美しい女性だった。
わたしよりも頭1つ分位低い、小柄な背丈。
背中には、腰までありそうな金髪が灯りにキラキラと輝いている。
肌はゾッとするほど白くって、陶器の様な光沢が空間に彼女だけを浮かび上がらせている様に見えた。
「……紹介しよう。私の母、ラヴィニア・ローウェルだ」
くぐもった声で、アルバートが言った。
……なるほど。
表情が無いから解りにくいけれど、どことなくアルバートに似ている気がする。
てゆーか、肌が異常にツヤツヤな事を除けば、普通の、いやいや、かなりの美人……!?
ギギギッ
わたしがボンヤリと考えを巡らせていたのを遮る様に、耳障りな。なのに、やたらと懐かしい音が響いた。
音の出所は、ラヴィニアさんである。
ラヴィニアさんが動く度、身体のアチコチから軋む音が聞こえる。
まるで、木製の何かを動かしている様な。絶対に生身の身体からは聞こえないだろう乾いた音。
それって、わたしは死ぬほど聞いた音だったりする。
ゲームだった頃、自分の装備品を飾る事の出来る調度品があった。
その名も、ド直球に『マネキン』。
『人形師クエスト』と呼ばれる連続クエストをクリアすると、自分ソックリのマネキンを作って貰える様になる物で、作って貰ったマネキンは、ジョブに関係無く好きな装備を着けられるし、好きなポーズで固定出来た。
ただし、そのためにはクエストクリアの他に、7つのパーツを集める必要があった。
頭・胸・左右腕・腰・左右脚の7パーツ。
これらは、ゴーレム等の魔法生物の中でも『ドール系』と呼ばれる人形の魔物からドロップするのだけれど。そのドロップ率は、極めて低くって異常にシブい。
比較的弱くって出現数が多く、ドロップ率が(他と比べてちょっぴりばかり)高かったのが『ウッド・ドール』と言う、見た目には人間大のクロッキー人形みたいな魔物。
それが動く度に、この“ギギギッ”と言う軋み音を立てていた思い出。
チームのみんなと、人数分集めるためにくる日もくる日も闘っていたら、日常生活でドアが軋んだ音とか、不意に木目調の何かを見るとビクッとしてしまったトラウマ体験です。
まあ、目の前にいるラヴィニアさんは、ウッド・ドールとは似ても似つかない超絶美人さんなのですがなあ。
……あ!
もし、ラヴィニアさんがドール系の魔物に転化してしまっているとしたら。魔法使用時の魔力と……。
「母上、私です。アルバートです! ここにいるのは、私の友人たちで……」
わたしが考えると同時に、アルバートが叫んだ。
その途端、それまで静かだったラヴィニアは、真っ白に濁った目をカッと見開くと髪をなびかせながらアルバート目がけて突進して来た。
うおう、アルバート!
ドール系は、魔力と聴覚に反応するのですよ!!
そんな事、普通は知らないだろうし仕方がないのだけれど。わたしも、たった今まで忘れてたしね。
完全にイニシアチブを取られた状態で、避けたかった戦闘開始は始まってしまいました。
ラヴィニアは、足下で寝ているヘンニーたちには目もくれず、まっすぐにアルバートを目指している。
「皆、下がれ!」
エセルの号に、わたしたちは慌てて後ろに大きく下がる。
ガギィンッ
間を置かずに、乾いた金属音が響く。
ラヴィニアの右拳を、アルバートが剣の腹で受け止めた音だ。
「は、母上!」
「アルバート様!!」
ジリジリと押されるアルバートを、エセルがラヴィニアとの間に入って救出した。
「そ、そんな。昨日までは、まだ私の声に答えていたのに……」
「アルバート様、ラヴィニア様の髪が!!」
アルバートの独り言の様な呟きに、交戦しながらもエセルが答えた。
「どう言う事ですか、アルバート?」
「は、母上の髪が、硬質化から解けている!?」
ニードルスの問いに、アルバートが絶望的な声を上げた。
どうやら、人形病の進行の中に“髪の硬質化”があるらしい。だけれど、硬質化は病気の進行と共に無くなって、最終的には普通の人間と見分けが付かなくなるみたい。
だとしたら、もうダメなの!?
わたしは、ラヴィニアの状態を確認する。
名前 ラヴィニア・タヴィルスタン (状態異常 人形化の呪い 進行度 92%)
種族 人間 女
職業 籠姫 Lv40/1
HP 247/12
MP 161/79
よ、良かった。
まだ、人間だ!! てゆーか、籠姫って何??
そんな事より、絶望中のアルバートに教えてあげなくちゃだわよ。
「アルバートくん、大丈夫だよ。お母さん、まだギリ人間だよ!!」
わたしの言葉を受けて、アルバートの目に力が戻った。
「ほ、本当か、ウロくん。しかし、何故、解るのだ!?」
うおう。
思ったより、冷静に返してきたアルバートにビビッた。
「え、え~と……」
「生命の精霊力を見るのだ、人の雄よ。
乙女の言う通り、ラヴィニアにはまだ、生命の精霊力が残されている。
しかし、攻撃してはならん。傷を負えば、生命の精霊力がどんどん失われてしまうぞ!」
おおう。
ユニコーンの長老様より、お言葉を頂戴しましたわよ。
生命を司る幻獣、ユニコーンの長老様のお言葉ほど説得力のある物は他にありますまい!? ……でも、攻撃不可とか。無理じゃね??
「な、なるほど。解った。
元より、母を傷付けるつもりは毛頭無い。エセル!!」
アルバートも、これには納得したみたいだよ。
アルバートに呼ばれたエセルにも聞こえていたらしく、コクンとうなずくと、体当りでラヴィニアを弾き飛ばした。
守る闘いの難しさは、メインキャラクターが聖騎士だったわたしは良く解ってるつもりだけれど。
となれば、剣だけでしのぐのはかなり厳しいと思われる。
わたしは、鞄の中から盾を2枚取り出した。
小型の丸盾で、『バックラー』と呼ばれる物だ。
レア物の盾は、全てセーフルームの中で。今あるのは、合成用の物しか無い。……あっても、重くて取り出した時点で潰れちゃうかもだけれど。
「気休めかも知れないけれど、使って!」
そう叫んだわたしは、アルバートとエセルに向かって2枚のバックラーを蹴り出した。
2枚のバックラーは、絨毯の上を上手く滑って2人の元までたどり着いてくれた。
「すまん、ウロくん!」
「感謝いたします、ウロ様!」
ラヴィニアの攻撃を掻い潜りながら、アルバートとエセルはバックラーを見事に拾い上げてくれてホッとする。
「貴様ら、いつまで寝ているつもりか!? さっさと起きろ! 怠け者に払う報酬は無いぞ!?」
盾を装備した事で、少しだけ余裕が出来たのだと思う。
エセルの怒号が、部屋中にビリビリと広がった。
それは、弾き飛ばされて転倒したラヴィニアの索敵を一瞬だけれど混乱させるほどだった。
にも関わらず、ヘンニーとダムドは起き上がらなかった。
そりゃそうだよ。
ただ、寝てる訳じゃあ無いんだもん。
確か、『眠り男の砂』で寝ちゃった場合は目覚めの魔法で起こすか……。
「駄目です。
眠り男の砂で寝た人は、目覚めの魔法か、朝露で目を洗わなくちゃ起きません!!」
そう叫んだのは、ジーナだった。
さすが、マジックアイテムも扱うティモシー商会のお嬢様。
「良く学んでおるな、乙女よ。
だが、そんな物が無くても、其方らの涙には朝露にも負けぬ力があるぞ?」
長老様は、言うが早いか気を失っているカーソンの額に角をそっと当てた。
角の魔力が、カーソンの目から溢れている涙に宿ったらしく、涙が淡い光をまとって見える。
「さあ、この涙であの雄共を起こしてやると良い」
「は、はい。ありがとうございます、長老様!」
震える声で答えたジーナは、自分のハンカチでカーソンの涙を拭った。
これで、ヘンニーとダムドを起こす事が出来るハズなのだけれど。
問題は、ここからである。
わたしたちとヘンニーたちの間では、アルバートたちとラヴィニアの戦闘が行われている。
ラヴィニアの攻撃スピードは、驚くほど速い訳ではない。
でも、その打撃は恐ろしく重いみたいだった。
アルバートとエセルが、交互にラヴィニアの攻撃を捌いてはいるのだけれど。
直撃こそしないけれど、武器や鎧をかすめる度に、派手な打撃音や身の毛もよだつ様な摩擦音が部屋中に轟いているのだから。
にも関わらず、こちらの立てる声や物音にもラヴィニアは反応している。
一体、どうやって聞き分けているんだろ??
また、長老様の言った理由で、アルバートとエセルはラヴィニアに攻撃する事が出来ない。
エセルが本気になったのなら、完全に人形化していないラヴィニアなら、レベルが上でも倒す事は出来ると思う。たぶんね。
となれば、『捕獲』が妥当なのだけれど。
その為には、やっぱりヘンニーとダムドがいないと難しいと思われるので、2人の復活が不可欠なのだけれど。
もしもの時、ジーナちゃんでは攻撃をかわせないかも知れない不具合です。
……ならば。
「ジーナちゃん、わたしが……」
「駄目じゃ!」
わたしの言葉を遮って、長老様が声を上げる。
「な、長老様!?」
「良いか、ウロよ。
其方には、生命の精霊を喚び出すと言う使命がある事を忘れてはならん。
それは、其方にしか出来ぬ事じゃ!」
長老様の言葉に、わたしは反論する事が出来ない。
いくらわたしがバカでも、長老様の言ってる事が正しい位は解るもん。
とは言え、レプスくんやゴーレムちゃんに、「ヘンニーたちの両目をハンカチで拭え」なんて指令が出来るとも思えない。
レプスくんには、そもそも無理ッポイし、いくら小型のゴーレムちゃんと言えど、目は怖い。グチッとか。うひいいい。
で、では、ゴーレムにジーナの護衛をさせれば?
これは、足音がドスドスとうるさいので逆に危ない。
てゆーか、魔力を帯びたハンカチなんて持って近づいたら、最優先で攻撃される可能性が高いのですがなあ。
「ウロさん」
「うえっ!?」
ニードルスに、急に声をかけられてビビッた。
「な、何、ニードルスくん?」
「ウロさん。ゴーレムを喚び出して、私に渡してください」
「ど、どゆ事、ニードルスくん??」
話の飲み込めないわたしに、ニードルスは小さくため息を吐いた。
「良いですか。あのゴーレムは私が作り、2人で主人登録をしたんです。
私にゴーレムを喚び出す事は出来ませんが、この場にいるのなら、私の命令にも従います。
私が注意を引きますから、その間にジーナさんが、寝ている2人を起こしてください」
な、なるほど。
頭良いね、ニードルス!
でも、それなら……。
「ニードルスくん。
それならば、ゴーレムちゃんに直接ラヴィニアさんを抑えさせちゃった方が良いのでは?」
「残念ながら、それは無理です。
ラヴィニアさんは、明らかにゴーレムより素早いですから。それに、エセルさんの鎧に手形を残す攻撃力では、石が素材のゴーレムでは耐えられないでしょう」
な、なるほど理解。
と言う訳で、プラン決定です。
ゴーレムちゃんとレプスくんを喚び出して、ゴーレムちゃんはニードルスに。レプスくんは、ジーナの護衛につける大作戦です。
わたしは、アルバートとエセルに向かって声を上げる。
「アルバートくん、エセルさん。
これから、レプスくんとゴーレムちゃんを喚び出します。ラヴィニアさんが、魔力に反応しちゃうので押さえてください!」
「了解しました、ウロ様!」
「すまん、皆」
エセルとアルバートが、それぞれに声を上げる。
この瞬間にも、ラヴィニアの攻撃の手は緩みはしない。
たった数分なのに、バックラーはすでにボロボロになりつつあった。
わたしは、レプスくんとゴーレムちゃんを順番に召喚する。
魔力に反応したラヴィニアを、アルバートとエセルは、見事な連携でその場に留めてくれていた。
「レプスくん、ジーナちゃんを守……レプスくん!?」
現れたレプスは、明らかに険しい表情をしている様に見える。
な、何があったか知らないけれど、こっちも必死なんです!
わたしは、改めてレプスに命令する。
「良い、レプスくん。ジーナちゃんを守ってあげてね?」
わたしの命令に、シブシブながら従うレプス。
「さあ、私たちも行くぞ!」
ニードルスの命令に、ゴーレムちゃんは素直に従った。
ジーナとレプスは右回り、ニードルスとゴーレムは左回りに進んで行く。
何も出来ずに、後方で長老様とカーソンと共に待つ時間は、恐ろしく長く感じられた。
予想外だったのは、涙の魔力の高さだった。
ちょうど、ジーナたちがラヴィニアの横をすり抜けようとした瞬間。
ラヴィニアが、今までよりも圧倒的なスピードでジーナたちに襲いかったのである。
滑る様に、横へスライド移動するラヴィニアに、アルバートとエセルも対応出来なかった。
「ジーナ!!」
わたしの絶叫にも、ラヴィニアは振り向かない。それほどに、涙の魔力が強いって事!?
だけれど、ラヴィニアはジーナ届く前に床へと倒れ込んでしまう。
その足元には、ゴーレムちゃんがしがみついていたのである。
「早く、ジーナくん!」
体勢を立て直しつつ、アルバートが叫ぶ。
「は、はい!」
レプスに先導されて、ジーナが走り出した。
ギッギギギッ
さっきまでとは違う、耳障りな軋みが響く。
次の瞬間、ラヴィニアの右手が半円を描いて降り下ろされた。
パキンッ
軽い、乾いた音が耳を貫いた。
同時に、ラヴィニアを掴んでいたゴーレムちゃんの左腕が粉々に砕けて散った。
「ゴーレムちゃん!」
思わず叫ぶわたしだったけれど、それとは対照的に魔法の杖を冷静な表情で振るニードルス。
ニードルスの杖に合わせる様に、ゴーレムは残った右手でラヴィニアの足を掴んで離さない。
その隙に、ジーナはベッドの手前へとたどり着く事が出来たみたいだった。
ヘンニーとダムドへと駆け寄ったジーナは、素早くハンカチでそれぞれの目を拭った。
「起きて、2人共。お願い!」
ジーナの絞り出す様な声が、軋み音の中でも聞こえる。
「……んん」
「……あぁ」
張り詰める緊張の中で、やけに気の抜けた声が響いた。
「やった、起きた!!」
ジーナの声から、喜びと安堵が感じられた。
「んん。ここは……?」
「俺は、何を……?」
「起きたか、クズ共。では、さっさと働け!!」
寝ぼけた様なヘンニーとダムドに、エセルの怒号が覆い被さる。
「やべえ、寝ちまってたのか!」
「熟睡したのなんざ、何年ぶりか。おかげで、スッキリしたぜ!」
弾かれた様にその場を飛び出すヘンニーと、ジーナを守りつつ辺りを警戒するダムド。
ヘンニーは、その長剣を構えるとラヴィニアめがけて振り下ろそうとした。
「駄目だ! ラヴィニア様を傷つけてはいけない!!」
「何だとー!?」
ガキンッ
エセルの絶叫に、ヘンニーの剣が高速で直角に曲がって床を叩く。
「ヘンニー、そいつが王子様の母君だろうぜ。せいぜい、失礼の無い様にするこったな!」
「チッ、俺はダンスは苦手だっての!」
ダムドの言葉に、ヘンニーが毒づいた。……キミタチ、寝起きなのに余裕ですね!?
「ヘンニー。ラヴィニア様の動きを封じるんだ。お前は左腕を抑えろ」
「はいよ、旦那!」
エセルの指示で、ヘンニーは剣を捨ててラヴィニアに突進する。
背後から、ラヴィニアの左腕にしがみついたヘンニーは、そのまま捻り上げようとしたのだけれど。
予想以上のラヴィニアの力に、ギョッとした表情になった。
「おいおい。これじゃあ、トロールの方がいくらか大人しいぜ!?」
「黙れ、ヘンニー。
に、ニードルス様、その石人形でラヴィニア様の足を……!!」
ラヴィニアの右腕に組み付いた状態のエセルが、顔を真っ赤にしながら唸る。
「は、はい!」
エセルに答えて、ニードルスが杖を振るう。それに従って、片腕になったゴーレムちゃんがラヴィニアの足にしがみついた。
小柄な女性に、大男2人と小型のゴーレムがしがみつくの図。場合によっては事案ですよ、事案。などと。
一方でダムドは、カーテンにくるまっているヨランダをそのまま拘束していた。
何やら話しているけれど、手前の騒ぎのせいで聞こえなかった。
「今だ、長老殿。ウロくん。急いでくれ、長くは持たない!」
アルバートが、ジーナとウィルバーを回収しつつ叫ぶ。
「うむ。
さあ、ウロ。其方の出番じゃ。大丈夫、儂が導く。気を入れて臨めば良い」
「は、はい。よ、よろしくお願いします!」
長老様の声に、わたしの肩がビクンッと跳ね上がる。
自分で言うのも何だけれど、わたしは、召喚士としては全然少しも大した事のない新米に過ぎない。
それは、ゲームだった頃はもちろん、この世界に来ても変わらないのだけれど。
今は、そんな事を言っている暇も余裕も無いよ。
友人、アルバートのお母さんを救う為に、わたしは、身体に満ちる魔力を感じながら長老様の隣を歩き始めた。
 




