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【8】募る想い・1

 週に一度死ぬとは、いったいどういう事なのだろうか。治療をする土曜日に彼女は死ぬのか? 毎週? いや、実際に死ぬわけじゃないだろう。

 死ぬほど辛い治療だと言う事だろうか……

 省吾はその夜寝付けなかった。思考が勝手にフル回転して、眠気を吹き飛ばしてしまう。

 あのか弱い身体で澪はどんな治療に耐えているのだろうか……

 苦しいのか、痛いのか、普段の彼女にはそんな素振りがまったく無いだけに、何も判らない省吾はそれだけでも歯がゆい。

 結局澪の病名は判らない。自分が聞いた所で知らない病気なのかもしれない……そんなに辛い治療を彼女は受けているのだろうか。

 毎週苦悩に浸るその日を、彼女はどんな思いで待ち受けているのだろうか……

 カーテンの隙間から白み始めた外の光が薄っすらと零れ始めて、窓の外にカラスの鳴き声が聞こえていた。



 翌木曜日。省吾は朝の電車で何時ものように澪に会う。

 ……相変わらず白い肌。そう言えば色つきリップは何種類か持っているのだろうか。その日によって色が微妙に違うような気がする。

「何?」

「えっ?」

「なんか、じっと見られると恥ずかしいよ」

 窓の外を眺めていた澪は、省吾の視線を感じて少しだけ頬を紅潮させて笑った。

「あれ? 俺そんなに見てた?」

「見てた見てた。ガン見してたぁ」

 澪は省吾の腕を叩いて笑った。

 朝は相変わらず何の意味も無い会話で時間が過ぎてしまう。

 それでも省吾は以前のように、時間を惜しんで何かを話そうとはしなくなった。その先にいくらでも彼女との時間を感じているからだろう。

 以前と比べて、追い立てられるように喋らなくなった澪も、省吾と一緒にいる事が自然に感じるようになったのかもかもしれない。

「帰り会える?」

「うん。大丈夫だよ」

 電車の下り際に急いで訊く彼に、澪も急いで応える。

「じゃあメール入れるから」

 閉まる扉に向って省吾が言った。



 蒼い空の向こうにはうねる様な雲が集まって、差し込む陽光が幾つものグラデーションを作り光沢を発している。まるでアクリル水彩で描いた風景画のようだ。

 校庭の木々の緑は風に溶けるように色を失い、心なしか黄緑色に変わり始めていた。

「どうしたよ、浮かない顔して」

 昼休み、ベランダで頬杖をつく省吾に、裕也が声を掛けてきた。

 省吾は無言で振り返ると、彼の手にあったポッキーを一つ抜き取って自分の口へ運ぶ。

「別に」

 裕也はベランダの手すりに背中を着けると空を仰ぐ。

「夏も終わったな」

 見上げる高い空には雲は無い。何処までも抜けるような蒼だけが成層圏まで続いていた。

「ねえ、ショウ」

 愛香が教室の窓から身を乗り出して、細長い手のひらで省吾を手招きした。

 風に吹かれた前髪をたおやかに靡かせながら振り返った省吾は、少し前屈みで彼女に近づく。

「あれ、訊いて来たよ」

 彼女ははためく自分の髪を手で押さえながら、そう言って意味深に裕也に目を配ると「ここじゃない方がいい?」



 この学校の屋上は一部だけが開放されている。

 グラウンドが狭い為、テニスコートも屋上にあるが、部活の時以外は施錠された金網の扉が閉まっている。

 二つの校舎がくの字に交わったA棟とB棟を繋ぐ屋上の階段通路に、省吾と愛香は来ていた。 その場所だけ階段付きの、屋根の無い台形の橋が渡されているが、もしそこから落ちてもコンクリートの床に這う太いパイプ類が受け止めてくれる。

 A棟とB棟の端は給水塔やエアコンの室外機などが設置してある為、その動力パイプ等を跨ぐ為に橋状の通路が渡されているのだ。

 三階では穏やかに感じた風が、四階建ての屋上では少々強く感じられて、階段の途中で愛香のスカートがふわっと舞い上がった。

「きゃっ」

 慌ててそれを押さえる姿は、あまり教室では見せない慎ましさがある。

「見えた?」

「えっ? いや」

 省吾は遠慮がちにウソを言った。愛香の後ろから階段を上がっていた彼には、ほんのり日焼けした太もものその上まで丸見えだった。

「けっこう風強いね」

「ああ、だから誰もいないんじゃん」

 風の無い日は、屋上の限られた場所のあちらこちらでお昼を食べる者や、雑談で盛り上がる連中の姿が見えるが、今日は全く人影が無かった。

 愛香は橋の手すりの柵にスカートを押し付けるように寄りかかった。

「で、何だって?」

 省吾も彼女の隣で手すりに寄りかかる。

「それがさあ、週に一度集中的に治療するってだけじゃあ、何とも言えないってさ」

「なんだよ」

 省吾はがっくりと肩を落とすと「そんな事なら教室でいいだろ」

「だって、裕也とかいたし……」

「まあ、そうだな」

 省吾は立ち位置を変えて、向かい風になるように手すりに肘をのせると、街並を眺めた。

 まるでほうきで雲を集めたかのように、遠くの空にばかり犇めき合っている。

「ねぇ、白血病……とかじゃ……」

 愛香は遠慮がちに小さな声で言った。

「いや、そうじゃないらしい。たぶん」

 省吾は遠くに見えるOZの屋上看板を眺めて言った。

 確かな事は判らない。英美に聞いただけだし、ガンの告知を澪本人が受けるとも思えない。あえて違う病名を知らせる可能性もあるだろう。

 それでも「週に一度死ぬ」という言葉が頭の隅にずっと引っ掛かっている。

「なあ、死ぬほど辛い治療って、なんだろう」

 省吾は再び手すりに背を向けて愛香の方に身体を向けた。

「死ぬほど?」

 彼女は思わず眉間にシワを寄せた。

「そんなに辛い治療をしてるの?」

「いや、判らないんだ。彼女の友達がそんなニュアンスで言ってた」

「そう……まさか本人に面と向かって訊けないもんね」

 愛香は風に踊る茶色い髪を指でかき上げた。

 省吾は再び遠くへ続く空を眺める。

「ねえ……彼女の事……好きなの?」

「はあ?」

 愛香は彼の声に思わず身を引くように瞬きをした。

「当たり前だよね。そんなの……決まってるよね」

 彼女の作り笑いの意味を、省吾は察する事が出来なかった。

 何時もより慎ましい彼女の姿は時折見せる魅力でもあるが、それは省吾と二人きりになった時に限る事だと彼は気付いていない。

「そろそろ戻るか」

 省吾は髪をかき上げながら階段に足を踏み出した。

「うん……」

 自分の前を歩く彼の姿を、愛香は何時もよりずっと澄んだ瞳で見つめた。





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