【6】寄せる想い・3
澪と省吾の二人は、なんとなく練馬駅で降りると街道沿いのアイスクリーム屋に入った。
空が暮色に染まる時間に、何処へ行くとも言えず、結局二人の乗降する駅の中間で下りた感じだった。
「友達はショウって呼ぶの?」
澪は小さなスプーンでコーンに乗ったチョコミントを口へ運ぶ。
「ああ、そうだな。そう言えば仲のいい連中は、みんな『ご』を付けない」
省吾はそう言って、自分はスプーンを使わずにキャラメルプリンのアイスに齧りつく。
「じゃあ、あたしはショウちゃんって呼ぼう」
彼女は、既にそう決めた口ぶりで目を細めると、スプーンを咥えたまま省吾を見つめる。
「いや、別にいいけど……」
なんと返していいか判らない。
この日はアイスクリーム屋に入って、少し余裕のある雑談を交わしただけで省吾は充分満足だった。
店を出てから、少し通りを散歩して二人は駅で別れた。
心残りは、次の約束をしそびれた事だ。
まあいい。明日も会えるから、どうにでもなるだろう。
しかし省吾は、その後澪を土日も誘えないまま週明けまで、十二分間だけの短いデートから抜け出す事は出来なかった。
週明け月曜日。
朝、澪と電車で会い十二分間のデートを楽しむ。そして帰りも。
彼女は見かけの清楚な雰囲気とは裏腹によく喋る。
ただ、ふと何処かを見つめる視線が物悲しいのは何故なのか……笑顔の似合う彼女の澄ました横顔は何処か果敢なげで、小さく瞬く睫毛すら哀愁が漂う。
そんな横顔を見ていると、手を握りしめてあげたくなるのだ。
揺れ動く車内で微かに触れる手がもどかしくて、思い切って彼女の手を掴んだ。
それは、先週から何度も試みて出来なかった行為で、勇気を出したと言うより、もはや我慢の限界がきたと言うべきかもしれない。
澪は何も言わずに小さな手を握り返して、子供のように微笑んだ。
火曜日。
朝、何時もの電車で会う。放課後、学校帰りに駅へ着いた省吾を澪が待っていた。
乾いた喧騒ばかりの殺風景なホームが、水色に輝いて見えた。
彼女は自販機で買って飲んでいた缶入りの紅茶を省吾に差し出して
「飲みきれないから、後はまかせた」
彼は一瞬の戸惑いの後それを受け取り、さり気ない素振りで缶に口を着けて飲み干した。
水曜日。
学校帰り、省吾の降りる駅で澪は一緒に電車を降りる。
近くの公園のベンチでしばらく話をして、駅で彼女を見送った。
ようやく携帯番号を交換したが、何だかあまりに清い関係がもどかしく感じた。
……やっぱりこの先に進む為には、ちゃんとした告白が必要なのだろうか。
木曜日。
省吾の家に澪が来た。
母親が仕事から帰るのは夜の八時過ぎ。
澪は男の部屋に入るのが初めてらしく、あらゆるものに興味を示す。
水色のチェックのベッドカバーを見て「かわいい」と、やたら笑う。
黄昏に染まる部屋の片隅で、初めて澪とキスをした。
交わされる熱い唾液は、官能の小波となって、省吾は彼女の細い肩を力強く抱きしめた。
ふと瞳を交し合った時、彼女の着けていた色つきリップが省吾の口の周りに付着していて、思わず澪は吹き出してしまった。
金曜日。
学校帰り、澪は友人と一緒だった。
前に何度か電車で見たことのある娘だ。以前見た時は肩に着かないくらいのミドルの髪型だったが、耳がやっと隠れるくらいのショートカットに変わっていた。
「渚 英美ですぅ」
人懐っこい笑顔で彼女は笑うと
「澪は虚弱だから、よろしくお願いしますね」
「虚弱じゃないよ」
澪はそう言って英美の身体に自分の身を当てる。
見かけは清楚な二人も、じゃれ合う姿はクラスの女の子たちと変わらない。
真面目ぶる様子も無ければ、成績優秀な学校を鼻にかける雰囲気もない。ただ、言葉使いは、省吾の学校ほど荒れていないかもしれない。
三人で二駅分一緒に過ごした。この前の裕也がいた時とは逆のパターンだ。
キスの先に早く進みたいという逸る気持ちを抑えて、彼は駅で澪と別れる。
土曜日。
澪の携帯に連絡を入れたが出る様子がない。英美とかと出かけているのだろうか。とりあえずメールを入れたが夜になってようやく返事が届いた。
何か用事があったと言っていた彼女に、省吾はそれ以上訊く事はしない。
束縛するようで、追及するのは気が引けた。
日曜日。
澪と渋谷へ買い物に行き、池袋のパルコの屋上で夕方まで話をして過ごした。
周囲を取り囲むフェンスと風除けの板で高台からの景色は見えないが、蒼い空が少しだけ近くに感じた。
人目を忍ぶように、証明写真を撮るボックスの陰で甘酸っぱい初秋の風に吹かれながらキスをした。
こうして省吾の一週間は過ぎてゆく。
しかし次の週も、土曜日は澪と連絡が取れない。
考えた挙句に彼女に訊いてみると、毎週土曜日は病気の治療をしているそうだ。それを聞いた省吾は、結局それ以上追求できなかった。
「病気、大変なの?」
「ううん。前は酷かったけど、今は平気。治療さえしていれば問題ないの」
省吾の問いかけに、澪は涼しげに笑った。