【5】寄せる想い・2
下り電車が入ってくる音と共に、プラットホームの屋根からバサバサと複数の鳥の羽ばたく音が聞こえた。
……どうして鳩は駅の上に集まるのだろう。
省吾はホームの屋根越しに空を見上げながら電車を待っている。
『学園』と付く駅名通り、この駅を使う学生は多彩だ。
彼の学校の女子は全体にプリーツの入ったグレーに紺色のチェックのスカートを履く。男子は無地のグレーのスラックスだ。
それとは違うベージュのバーバリーチェックのスカートを履く制服や、紺色の裾口に赤線の帯が入ったスカート。白いワイシャツに紺色のスラックス。
駅の反対側にも二つ高校が在るのだ。
ごく僅かに見るセーラー服は、おそらく私立中学のものだろう。あとは、何か理由があってこの駅で乗降する見知らぬ制服をポツリポツリと見かける。隣駅との微妙な距離にも、たしか学校は在るはずだ。
登校時間はサラリーマンやOLの数と半々くらいだが、下校時間は圧倒的に学生の姿がホームを埋め尽くす。
彼は到着した電車には乗らなかった。
澪の姿が無いから。
そう、省吾は澪が乗って来る電車を駅のホームでひたすら待っているのだ。
学校が終わって即行で駅へ来たが、もう五本も到着した電車をスルーしている。
澪が乗っていたらさり気なく偶然を装って乗り込むつもりでいたが、彼女の姿はいっこうに見えない。
到着した電車をスルーしている間に、同じ学校の友人や顔見知りに「どうしたんだ?」と何度か声を掛けられて、その度に省吾は「ちょっとな」と答えて彼らを見送った。
……さり気なく何時ごろに何時も帰るのか訊いて置くべきだった。しかし、そんな言葉が彼女の前では出てこない。
つい全く関係ない話題に走ってしまう。十二分という短い時間を有効に使うことなんて、今の省吾には出来なかった。
陽差は大きく西へ傾いて、線路脇の立て看板の影が長く伸びていた。
とにかく次の電車には乗ってしまおう。待っても無駄だ。そう思った時、後から声がした。
「よう、ショウ。まだこんな所にいたのか?」
裕也が階段を下りて来た。今週いっぱい居残りしている、今日の分の補習が終わったのだ。
「補習終わったのか?」
「なんか、疲れたよ」
裕也はそう言って鉄柱にもたれ掛かると、途中のコンビニで買ったコーラのキャップを開けた。
「何だよ。どっか寄ってたのか?」
彼は、この時間にまだホームにいる省吾を不思議に思った。
「ああ、ちょっとな」
その時ちょうど電車がホームに入って来たのを見て、裕也は飲みかけのコーラのキャップを閉める。
無駄だと思いながらも、省吾の視線は条件反射のように車両の中にあった。
しかし、停車寸前の車両の中に待ちわびた姿を見る。澪だ。
「あっ」
声を出したのは隣にいた裕也だった。この前電車で倒れた娘……そんな思いから声が出たのだろう。
澪も少し驚いた顔をしている。省吾に会うはずのない時間だと判っていたのだろうか。
とりあえず電車に乗り込んだ省吾が軽く手をあげると澪も笑顔で応えた。
「あっ、何だ。俺の知らない間にお前ら……」
二人が交わす、少しぎこちない馴れ合いを見た裕也は、そう言って省吾と澪の両方に視線を動かした。
「こいつ、友達の裕也。この前江古田では一緒だったんだけど」
省吾は澪に裕也を紹介した。
「こんにちは。もう一人誰かの影は見たんだけど……」
彼女は笑って裕也を見上げた。視線を合わせた裕也は肩をすくめて
「なんだよ、俺は影だけか」
そんな裕也を横目に省吾は
「ずいぶん遅い帰りなんだね」と、さり気なく切り出す。
「うん。運動会の実行委員になっちゃって。もう、最悪」
澪の視線は直ぐに省吾へ戻ってくる。
「じゃあ、しばらく遅いんだ」
「そんな事無いよ。毎日あるわけでもないから」
省吾は「じゃあ、明日は?」と訊こうと思った。どうせ、明日の朝会っても訊けるタイミングは無いかもしれない。
しかし、ちょうど裕也が
「いいねえ。女子高の運動会かあ」
会話に割り込んできた。
「でも、一般観覧は無しよ」
「なあんだ、残念。なあ、ショウ」
「えっ、あ、ああ」
省吾は思わず苦笑して裕也を見た。
二つ目の駅で省吾、その次の駅で裕也は降りる。しかし、省吾は自分が降りる駅に着いてもその素振りを見せなかった。
自分が降りた後、ほんの一駅でも澪と裕也が二人きりになる事が不安だったのだ。別に裕也が澪にちょっかいを出すとも思えないが、彼の事だ。あっという間に自分より和気藹々《わきあいあい》の雰囲気を作ってしまうような気がして、それが我慢できなかった。
「なんだよショウ。降りないのか?」
省吾の素振りを見て裕也が言った。
「あ、ああ」
省吾は曖昧に返事をする。
「あっ、何だよ。お前らこれから出かけるのか?」
「ち、違うよ。そんなんじゃないけど」
省吾は慌てて否定しながら、澪を見る。
彼女は目をパチパチと瞬きさせながら、二人の会話する姿を見ていた。
「でもさぁ、ショウがまさか南高の娘をねぇ」
裕也がそう言って、片手を網棚にかけた。彼は身長が179センチと以外に長身だ。170センチと言っている省吾は本当は168センチしかないので、網棚に手を掛けるのは少々辛い。
少して再び電車が減速すると、裕也が降りる駅に着いた。
「じゃあな」
裕也は拳を省吾に突き出して「上手くやれよ」と言わんばかりに後ろ向きでドアから降りて行った。
ガクンッと揺れて、再び電車が走り出す。
駅のホームが遠のいて、電柱が窓の外をビュンビュンと通過してゆく。空は緋色に変わり、遠くの景色はほの暗く霞んでいた。コンビニの看板は既に淡い電光を燈している。
省吾は窓に映った澪の横顔をマジマジと見つめた。
長い前髪は七・三に分けてヘアピンで留めている。必要以上にピンを使っているのは流行なのか、彼女たちなりのささやかなファッションなのだろうか。
二人きりになった途端、少々気まずい空気が漂ったが、澪は何時もの、と言ってもまだ二日目なのだが……笑顔で話し始めた。
「面白い友達ね」
「あ、ああ」
澪は窓の外をチラリと見て
「これから何処か行くの?」
ちょっぴり意味深な問いかけだった。
「えっ? いや……澪は? 直ぐに帰るの?」
思わず訊き返してしまった。
澪はほんの少し、僅かに表情を変えて省吾に視線を向けた。
「うん……その予定だけど……」
「じゃあさ、せっかくだから、どっか行こうか? なぁんて……ハハハ」
省吾はあくまでも冗談交じりでおどけた風に言うと、空笑いした。
「本気で言ってるなら嬉しいけど……冗談ならちょっとショック」
澪は困惑した笑みを浮かべて応えた。
「えっ……いや、マジ、本気。滅茶苦茶本気」
彼女の思わぬ応えに、省吾は慌てて真面目な表情を作って寄りかかっていた手すりから身体を離し直立した。