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【最終話】ブレス

「いいか、使い方は簡単だ。全てオートで検知してコンピュータが除細動をする。君はモニターの指示に従って放電のスイッチを入るだけだ」

「こんな小さなもので、彼女の心臓は動きますか?」

「大丈夫だ。心臓が停まったら、1分20秒以内に使え。4分を過ぎたら諦めろ」

「諦めるって……?」

「その時は仕方ない。アイツが望む通りになるだけだ」

 ……………

 ………

 省吾は渉に教えられた通り、旅館に届いた荷物の中から除細動機を取り出して、澪の胸に電極を当てた。

 ……諦めてたまるか。何度でもボタンを押してやる。

 二度目の放電で彼女は呼吸を取り戻した。

 しかし自発呼吸はあるものの、昏睡状態は続いていた。自然に心停止した彼女の身体は、手遅れの一歩手前だったのだ。

 省吾が携帯電話で渉に連絡すると、彼は既に近くまで来ていた。

 敷地の落ち葉を巻き上げる勢いで、彼の白いアウディは旅館に滑り込んで来た。

 直ぐに最寄の病院で処置を受けた澪は一命を取り留める。

 しかし治療なんてほとんど必要なかった。臨死したのだから、自然に血中濃度は正常値へ近づいて容態は回復する。

 その後、自分の病院へ彼女は搬送された。



 * * *



 暮秋ぼしゅうの風が青い虚空を吹き荒み、凍えそうな心に染み渡る。

 やたら大きなロビーには外国人も多くて、時折慌しく動く人波が喧騒の風を巻き起こすと、その度にこころがざわめいた。

 大きな窓に映るボーイングの機影は、陽差を受けて反射光を白く放っている。

 飛行場なんて初めてだった。

 省吾は雑踏から離れるようにロビーを出ると屋上に上がって、滑走路に移動を始めた大きな機体を眺める。


 …………

 ……………………


「澪をアメリカに連れて行く」

 あの日、旅館に迎えに来た渉は、省吾に向ってそう言った。

「ミシガン州の湖の近くに脳の研究施設が在る。澪の病気は内臓じゃない。脳に原因があるんだ。だから、そこで治療をさせる」

「脳……ですか?」

「あそこなら、意識を保ったまま、臨死と同じ刺激を脳に与える事ができるらしい」

「直るんですか?」

 省吾はそれを訊くのが怖かった。しかし、訊いておかなければいけないと思った。

「直して見せるさ」

 渉は胸を張ってそう言った。


 …………

 ……………………



 省吾は飛行機に搭乗する前の澪に会った。

 今まで通りの清楚で穏やかな笑顔を彼女は省吾に見せた。

「じゃあ、行ってきます」

「ああ、行って来いよ」

 お互いにさよならは言わなかった。

 しかし、「待っていて」とも「待ってるよ」とも言わなかった。

 そんな事はお互い判らない。それは、二人共知っている。

「縁があったら、また会おうね」

 澪は搭乗ゲートに向う直前に、明るくそう言って笑った。

 初めて彼女を見たあの日のように、切なくも麗らかな笑みだった。

「ああ、もちろん」

 省吾は笑って左手を上げると、彼女の後姿を見送った。



 風は真冬のように冷たく省吾の身体を吹き抜けた。

 ダッフルコートの襟元を片手で掴んで肩をすくめる。

 ボーイングの異常に大きな機体が助走を始めて車輪が滑走路を蹴ると、四基のジェットノズルの後方には陽炎が追いかけて背景を朧に揺らす。

 轟音が轟いて、省吾の視線の先で機体はどんどん小さくなっていくと、身体に吹く冷たい風が益々冷涼に感じる。

 省吾は空を仰ぎながら大きく息をついた。胸の奥に氷の空洞みたいなものを感じて、それを覆い隠す何かに少しだけ息が苦しくなる。

 彼は思わずコートの襟元を両手できつく締めて、無理やり唾を飲み込んだ。

 ふと背中に人の気配を感じて振り返ると、そこには愛香が立っている。

「行っちゃったね」

「ああ。お前、身体の具合はいいのか?」

「うん、かなりいいよ」

 彼女はオレンジとピンクのボーダー柄のニットキャップに、軽く手を当てる。

 直射日光が彼女の頬を白く照らしていた。真っ赤なPコートは、久しぶりに見た彼女らしい姿だった。

「髪、けっこう伸びてきた?」

 省吾は、ニットキャップの襟足から僅かに覗く黒い髪の毛を見て言った。

 胸に視線を下げないように、意識を上に持っていったのかもしれない。

「うん、超ベリーショートってカンジ」

 愛香は襟足を指で摩って小さく笑みを浮かべると、直ぐに真顔になる。

「これでよかたの?」

「これが最良だろ。このまま今の治療を続けるのは酷だよ。向こうへ行けば、とりあえず心停止させずに、同じ信号を脳へ送る事ができるらしい」

「そう……」

「身体への負担も無くなる」

「そうだね……」

 愛香は、上空に浮かぶ微かな機影に視線を向けると、精一杯の明るさで

「また会えるといいね」

「どうかな……」

 省吾は静かに笑みを浮かべると、手すりに身体を預ける。

 愛香は、彼の言葉は聞こえない振りをした。その言葉の意味を訊き返してはいけないような気がした。

 青い空がこんなに淋しく感じたのは二度目だった。

 一度目は自分がオペをする朝。

 あの時も、抜けるような青い空を恨めしく思った。

 意味も無く、こんな青い空がなんの役にたつのかと考えたりした。白い雲に何の意味が在るだろうと思った。

 でもきっと、この青い空も白い雲も、人が元気を取り戻す為には必要なのだと、今は少しだけ感じることが出来る。

「寒いだろ? 下へ降りよう」

 省吾はそういって、左手を差し出す。

 愛香は彼の手に掴まると

「うわ、手が冷たい」

 照れ隠しの言葉だった。

「愛香の方が冷たいよ」

「そ、そうかな……」

 彼女は手のひらから指先までの全てを使って、省吾の皮膚の感触を確かめるように静かに握り返した。

 省吾は彼女の手を掴んだまま、その手を自分のコートのポケットへ入れて歩き出す。

「俺がここにいるって、よく判ったな」

「フフ、あたしにも特殊な能力が在るのかもね」

「マジで?」

「ウソに決まってるじゃん。ロビーでショウが屋上へ行くのを見かけたんだよ」


 冬の足音が聞こえそうな寒い日だった。

 乾いた風が吹き抜ける蒼穹そらに、二人の呼吸が静かに、ちょっぴり暖かい音を刻んでいた。






      END



タイトルの【ブレス】は、登場人物達それぞれの生きる証を意味してます。呼吸するという事は、生きている証という事で。

恋愛小説にも関わらず、何時も恋愛以外の何かに苦悩する姿を描いてしまいます。

今回はそれぞれの病状についてはあえて詳しく記載しませんでした。

途中更新が不規則になったにも関わらず最後まで読んでいただいた方、つまみ読みしていただいた方に大変感謝いたします。

有難うございました。

tokujirou



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