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【39】温度

 省吾は言葉が出なかった。

 やけに喉が渇くのは、うまく唾が出てこないせいだと思った。

 自分は男だし、女性が胸を無くす痛みは計り知れないと想像はしてみても、その繊細な精神の奥底までは判らない。

 ただ、この左手が触れた温かくて柔らかなものが彼女の身体の一部で、それが無くなるのかと思うとやりきれない思いだった。

「胸のない娘は抱く気になる?」

 愛香は俯いたまま、小さな声で呟くように言った。

「そんなの、関係ないだろ。好きになったら関係ないよ」

 省吾は自分でも不思議なほど即答で応えた。

「あたし……まだなんだ」

「まだって?」

 愛香はフッと笑みを浮かべて「まだした事ないんだよ」

 小声で、しかも粗雑に言い放つ。

 愛香の言葉に省吾は少しだけ驚いた顔を隠しきれなかった。

 そんなのとっくに経験済みのようなイメージがあった。

 愛香はワンピースを捲り上げると、一気にそれを脱ぎ捨てた。恥ずかしさを前面に置く余裕など無い。

 夏休みが終わった始業式の日、あれだけ健康的に日焼けしていた彼女の肌は、眩いほどに白くなっていた。微かにビキニの水着跡が残っている。

「俺さ……」

 愛香は省吾の言葉を遮るように、彼の頭を大きく胸に抱え込んで抱きしめた。

「初めてだから……ショウに触って欲しかった。この胸があるうちに……」

 省吾は両腕を彼女の身体に絡めた。

 まるで激流に身を投じたように、流される自分を止める事は出来なかった。

 思った以上に愛香の身体は細くて、その繊細な肌の感触を両腕の全てで感じ、産毛がフッと逆立った。

そのまま少し毛足の長いカーペットに愛香を押し倒す。

 甘いピーチのような香りが彼女の上気した身体から香って、省吾は脳の奥のほうでその芳しい香りを堪能する。

 省吾は彼女の右胸に、そっと唇を這わせた。

 この、彼女の一部が無くなってしまうのかと思うと、それがどうにもたまらなく愛おしく感じて切なくなる。

 愛香が吐息を漏らして身体を僅かにくねらせると、胸の下に微かにアバラが浮き上がった。

 彼がそれをそっと手でなぞると、彼女はフッと息をもらすように笑った。

「ごめん、ちょっとくすぐったい」

 肩にアゴを埋めるようにして省吾を見下ろす。

 省吾はそんな彼女と視線を交わすと笑顔を返して、愛香の身体伝いに這い上がり目線の位置を並べた。

「ご、ごめん。続けて」

「いや……この先はこれから出会う誰かの為に取って置けばいいさ」

 省吾は愛香の肩にそっと手を添える。

「でも……」

「お前なら、胸が無くたってイイ男いくらでも捕まえられるって」

「じゃあ、捕まえられなかったら、ショウが責任とってくれる?」

「いや、それは……」

 困惑する省吾に愛香が自分からキスをした。それは初めてではないが、彼女にとって本気で好きな相手とのファーストキスだった。

 熱い吐息が二人の間に交わされると、一瞬心が通じたような気がした。

 唇をそっと離した省吾は

「お前、寒くないのか?」

 愛香はそう言われると急に自分の姿が恥ずかしくなって、起き上がると同時に慌ててワンピースを拾い上げて頭から被る。クシャクシャになった髪を手グシで一所懸命に直した。

 省吾も起き上がると、後ろに着いた手にカサッと何かが触れて振り返る。それは最初に愛香が外した下着だった。

「ほら、忘れ物だよ」

 彼は慌ててそれを拾うと、足を投げ出すように座った愛香の膝元にそっと放り込んだ。

 彼女は両手で丸めるように下着を掴んで

「じゃあ、ちょっと着けるからあっち向いてて」

「えっ? だって今」

「いいから」

「わかったよ」

 省吾は少々不服そうに後ろを向いた。

 今さっき自分に裸をさらした彼女が、どうしてそんなに恥ずかしがるのか、その複雑な心理は判らない。

カサカサと衣服が身体に擦れる音が聞こえる。

 その音が消えて「もういいのか?」と訊こうとした時、省吾は愛香に後から抱きしめられた。

「ありがとう」

「あ、ああ」

 素直に後を向いていた事に言ったのか、それとも彼女の最後の胸を抱きとめた事に言ったのか判らなかった。

「手術は何時なんだ」

「早い方がいいからって、3日後」

「そうか……」

 省吾は自分の首に回した愛香の腕に、そっと自分の手を添えると

「見舞いとかって、行ってもいいのかな」

「うん、ショウだけは入れてあげる」

 彼女の腕に添えた省吾の手に、何度も熱い雫が落ちるのを感じたが、彼はわざとそれを目で確認しようとはしなかった。

 愛香の肩が震えているのが判ったから。



 翌日から再び学校を休んだ愛香は、担任の口から病気療養の為と伝えられた。陽子も美紀も心配していたが、省吾は何も言わなかった。

 時が来れば、陽子や美紀には愛香自身が話すかもしれないし、言わないかもしれない。

 裕也は「しばらく焼肉は無しだな」

 そう言って少々他人事のように笑っていたが、内心は心配している事が省吾には判った。

 窓の外を見つめる彼の笑った視線が、何時に無く淋しそうだったから。

 それでも彼女の事を話す気は無い。周囲の連中と同じく、何も知らない素振りで日常を過ごす。

 省吾は、それが彼女に対しての礼儀でもあるような気がした。






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