【36】秘密
愛香は結局週末まで学校には出て来ず、そのまま土日を迎える。
その間も、愛香との連絡は取れないままだった。
メールが出来ないほど容態が悪いのだろうか……陽子と美紀に聞いてみたが、彼女たちが送ったメールにも、返信は来てないらしい。
「インフルエンザとかじゃないの」
裕也はそんな憶測を呟いて笑った。
陽子や美紀も、そうかもね。と半ば納得していた。
* * *
日曜日、澪は朝一で父親の病院へ出向いていた。血液検査をする為だ。
休日の病院は静けさが漂い閑散としていて、この光景が澪は好きでは無い。しかし、彼女がこの病院に来るのは、できるだけ休診日なのだ。
静まり返った廊下は、何処か死の臭いを感じずにはいられない。
検査を終えて廊下にでると、澪は思わぬ相手に出くわした。
「あ、愛香さん」
「あぁ、澪ちゃん」
「どうしてここに?」
「う、うん。ちょっと検査にね」
愛香の答えに、澪は怪訝な笑みを浮かべる。
彼女の父親が大学病院の外科部長だと知っている澪は、どうしてわざわざこの病院に来たのか反射的に考えを巡らせたのだ。
父親のいる病院では、何か都合が悪いのだろうか……婦人科はないから、そう言ったことに関わりはないだろう……それにしても何故。
「どんな検査?」
「うん。ちょっと、ね」
「そう……」
澪はそれ以上は訊かなかった。
「じゃあね」
「うん。じゃあ」
二人は少しよそよそしい笑顔を交わして別れた。
第一検査室のドアが開いて、渉が顔を覗かせる。
「彼女、知り合いなのか?」
「えっ、うん。省吾君のクラスメイトよ。前に文化祭で親しくなったの」
「そうか……」
渉が深く息をつくのを見て、澪は嫌な胸騒ぎがした。
「彼女、どうしてここへ? お父さんが大学病院に勤めているのに」
「ああ、向こうから依頼があったようだ」
「向こう?」
「彼女の父親だろう。向こうの外科部長直々に、ウチの病院に見てくれないかって、父さんに依頼が来たらしい」
「知ってるの?」
「大学時代の後輩だそうだ」
愛香の父親の方が当然若いので、彼が自分の父親の後輩に当たるのだろうと、澪には直ぐに判った。
澪の「どうして」は、本当はそんな事を訊いたのではない。あるいは、渉もそれを判ったうえではぐらかす様な回答をしたのかもしれなかった。
「これから出かけるのか?」
「うん。午後からショウちゃんと約束してる」
「判ってると思うけど、彼女の事は言うなよ」
「う、うん……判ってるよ」
病院での守秘義務があることは澪にも判っている。父親の病院で受診をしないのは何か訳が在るのだ。
渉は澪が何かを感じ取ったのを察して、念を押したのだろう。
澪は今見た愛香の姿をかき消すようにして、小さなバックを手に、病院を出て一度自宅へ戻った。
日曜日の午後。秋晴れの下、省吾と澪は上野の不忍池の畔をブラブラと歩いていた。家族連れも多く、ここそこで子供の高らいだ声が響き渡る。
「ねえ、愛香さん……」
「えっ?」
「ううん。何でもない」
澪は今朝の事を省吾に言ってしまおうか迷って、言葉を呑み込んだ。
「最近愛香に会ったの?」
「う、ん。ちょっと見かけただけだけど。それだけ」
池の水面には青空が映りこんで、時折魚の跳ねる小さな波紋が見えた。
「そうか。アイツ、この前体調崩してさ、そのまま週末まで学校に来なかったんだ。メールしても返事も来ないからちょっと心配でさ」
「そう……」
並木脇のベンチに腰をおろして、澪はカップルの乗った池のボートに視線を移す。
省吾も彼女の隣に腰掛けて、池の中央を眺める。
「何か、あまり人には言いたくない何かがあったのかも……」
澪はそう言って、省吾の肩に頭をもたげた。
「ああ。そうなのかな」
澪が言うと何か妙に信憑性があって、省吾はそれ以上何も言わなかった。
こころの中では「澪はどうなんだ?」そんな言葉が過るのは仕方の無い事だった。