【29】つかの間
「おう、愛香。なんや、新しい男できたん?」
金髪に色白肌で、真っ黒なマスカラに塗られた睫毛がバタバタと瞬きして笑っていた。
省吾と愛香が一緒に出た池袋で真琴が声をかけて来たのだ。
池袋を彼女が歩き回っているのは珍しい。普段は渋谷辺りをうろつく事が圧倒的に多いのだ。
肩にはブランドショップでくれるショルダーの紙袋をぶら下げて、ギラギラした長い爪がそれを掴んでいる
中学からの愛香の遊び仲間で、現在吉祥寺の高校へとりあえずは通っている彼女だが、あまり学校へは行っていないようだ。
真琴は中学一年の時に大阪の堺から東京へ越して来たが、未だに関西弁は抜けない。
「そんなんじゃないよ」
「そうやな、愛香にはちょっと地味か」
「そんな事……」
愛香は思わず否定しそうになって、口をつぐんだ。
省吾は澪から見ればちょっと素行が悪く映るが、遊び慣れした愛香やその仲間から見れば、どうと言う事のない平凡な容姿だ。茶髪だって、今時その辺にゴロゴロしている。
寧ろ、ジーンズを下げずに普通に履く省吾は、地味に映るのかもしれない。
確かに中学の頃は彼も周囲の流行に倣うようにそんな履き方をしていた。しかし、そんな姿が何だか情けなく見えるようになってからは、せいぜい腰骨にベルトが掛かるような履き方しかしなくなったのだ。
真琴は、少し慌てる愛香の様子を見透かしたように
「あれれ? 愛香って、もしかしてこんなのがタイプなん?」
「こんなのって、なんだよ」
二人の会話に耐えかねた省吾が声をだした。
「だって、愛香ってば昔からいい男に声掛けられとっても、ぜんぜんその気にならんし。そうか、こんなんが好きやったんか。そうかそうか」
真琴はそう言ってほくそ笑むと、一人で納得して頷いた。
「それより、真琴。午前中にこんな所にいるって事はさ」
「その通り。オールやったよ」
「一人?」
「さっきまで、知恵とか夕菜とか一緒やったけど、なんか親からごっつ携帯掛かって来て、渋々帰って行ったわ」
真琴は喋り続けた。
「凄かったでぇ。携帯耳から放しても、ムチャクチャ声が聞こえて来んねん。あたしまで怒鳴られてる気分やったわ」
「これから、また何処か行くの?」
彼女の話が一瞬途切れた瞬間に、愛香は声を差し込む。
付き合いが長いので、話の入れ替え所は踏まえているのだ。そうしないと、彼女が何時までも喋り続ける事も知っている。
「そうやな。あたしもいったん帰ろうかと思うてんけど、金なくってさ」
「そんな事だろうと思った」
愛香は真琴に笑みを送ると、小さなリュックから財布を取り出して二千円を彼女に渡す。
「おい、愛香」
二人の事をよく知らない省吾は、簡単に金を手渡す彼女に不信感を覚える。
「いいのよ。貸すだけなんだから」
真琴は借りた金は絶対に返す娘だった。それだけは知り合った頃から変わらない。だから愛香も信用できたし、一見いい加減に見える付き合いの中で何故か繋がりを保てているような所があった。
もちろん、気が合うのが一番なのだろうが。
「ありがとう。今度何時出てくる?」
「うぅん、あんまり最近出てないしなぁ」
「ほな、次の週末ご飯でも食べようや。そん時返すから」
「うん、いいよ」
「ほななぁ」
「じゃあね」
真琴は駅へ向って雑踏に消えていった。
「おい、彼女何時もあんななのか?」
「そう……かな。あんな感じ」
「あんな簡単に金かして大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。彼女は必ず返してくれるから。だから信用できるの」
そう言って、愛香は歩き出した。
ファミレスで安い昼食をとり、映画を観てからあちらこちらで時間を潰して池袋駅に戻って来たのは、もう夕暮れが迫る頃だった。駅周辺には土曜出勤から帰宅するサラリーマンとこれから遊びに出て来た連中とが交錯して人混みを作っている。
「ねえ、もう帰る?」
「えっ、だってこれからどうするんだよ」
愛香は省吾にそう言われて一瞬押し黙る。
「澪ちゃん、もう治療終わったのかな?」
場を誤魔化すように愛香は切り返した。
「ああ、たぶんな。でも、どうせ今日は外へは出られないんだ」
「そうなの?」
「一応、一日自宅療養になるらしい」
「そう……」
心停止させるのだから当然だろう。いくら、上手く蘇生できても、24時間はその後の経過が気になるはずだ。
愛香はおぼろげな知識で何となくそう思った。
「ねえ、ショウは夜遊びに出たりしないの?」
「中学の頃は夜な夜な出た事もあるけど、逆に今は用事が無けりゃ出ないな。裕也と飯食ったりはするけど」
「じゃあさ、夕飯まで一緒にいようよ」
「でも、俺金無いぜ」
「しょうがない、夕飯くらいおごってやるか」
愛香はそう言って、省吾の腕にもたれかかるように掴まった。
「いや……別にそうしてもらわなくてもさ」
省吾は息をついて視線を逸らすと、彼女の細い指の感触を腕に感じていた。周りに同級生がいないと、どうも調子が狂って上手く切り返せない。
それでもただのクラスメイトだから、飯や映画くらいはいいか。と、半ば彼も考えていた。
夜に繁華街を歩くのは省吾にとって久しぶりだった。
最後に来たのは、夏休みに裕也に誘われてインディーズバンドのライブに出かけた時だ。
新宿の飲み屋の前で酔っ払いの喧嘩に巻き込まれそうになり、二人で駅までダッシュした事を思い出す。
つかの間の恋人同士のようにさ迷う二人の時間が、省吾にはゆっくりと、愛香には足早に過ぎて行った。
「今日は有難うね」
帰りの西武線に乗って二人が何となく無言のまま窓の外を見ていた時、愛香が視線を動かさずに言った。
「いや、別にいいけど」
省吾は、少しマジ顔の愛香を見て思わず言葉に詰り、視線を再び外へ向ける。
ちょっとわがままにリードしようとする彼女が自然で、それに引っ張られる日常が当たり前のような気がした。
「毎週土曜日はあたしと……なんて無理だよね」
窓の外を眺めながらそんな事を呟く愛香の横顔を、省吾は盗み見た。
線路沿いに連なる街路灯の明かりが次々と彼女の瞳に映り込んで、真横に流れる涙のように見えた。
しかし、省吾がそれに答える事は無かった。
彼女が降りる駅に着くアナウンスが流れると、電車は減速して周囲の人混みが一斉に斜めに身体を揺らす。
ガタッと止まってドアが開くと、愛香は
「じゃあ」
そう言って笑顔を省吾に向けたままホームに足を降ろした。
「ああ、またな」
省吾は自分でも驚くような声を出して周囲の視線を浴びたが、ホームへ降りた愛香がそれに応えて手を振ったので何も気にならなかった。
ただ、走り出した車内で俯く自分が、少しだけ空虚に思えた。