【22】文化祭1
【中間あらすじ】
電車で倒れた澪を助けた省吾は、以前から心を惹かれていた彼女と親しい関係になってゆくが、彼女には省吾の知らない秘密がある……
臨死させる難病の治療…愛香は父親の勤務する病院で妙な噂を聞き、その真相を探った。そして彼女の胸騒ぎは当たっていた。
省吾に思いを寄せる愛香は、澪を愛する省吾を不憫に思い、涙を隠しながら彼の背中にそっと頬を着けた。
キャンディーレッドに染まる雲の群れが、音も無く静かに浮かんでいる姿を見上げて、微かに漂うサッカリンの匂いを感じる。
それは、果敢なげに甘く切ない死の香り。
逆光が眩しくて視線を少しだけ動かすと、緋色の虚空に浮かぶシャンパンゴールドの三日月がクレーターを露に月影を落とす。
地上は真っ白な砂丘に覆われて、二つの光に照らされた自分の影は何処にも無い。
業火に包まれた太陽と、水の精が羽ばたくような涼しげな月が共存するこの世界で、1分20秒の静寂に佇む。
生と死の境界線は限りなく曖昧で時の流れを感じない。
その永遠の中で、再び全身に息吹が沸き起こるのを、ただ静かに待つのだ。
甘い死の香りを感じながら。
年に一度、一般の観覧者が校舎の中を普通に歩き回る光景は何とも異様で、小中学生がざわめきながら廊下を行き交う姿は普段は絶対にありえない。
文化祭の一般公開日。省吾の通う学校は、体育祭は一般公開されないので、文化祭が一般客を唯一校内に招き入れる行事だ。
「裕也」
体育館の横に設置された屋台村の人垣から声がして、鉄板焼きそばの屋台で汗を流していた裕也は顔を上げた。
「裕也」
再び声が聞こえると、人垣の中から相田由奈の派手な顔が現れた。
「うわぁ、随分派手なのが登場したな」
横でキャベツを切っていた省吾は小さく声に出すと、微かな失笑で裕也を見た。
「お前、いまあれと付き合ってんの?」
「バカいうな。ありゃ中学のダチだよ」
由奈は同じように目の周りを真っ黒にした女友達をひとり連れて、裕也の屋台に近づいて来た。
「なんだよ、来るなら言ってくりゃあ良かったのに」
「今朝思い出してさ」
由奈は真っ赤な唇から白い歯を見せて笑った。
「ちょろっとぶらついてくれば」
省吾が気をきかせてそう言ったが、裕也はイマイチ気乗りしない様子で
「あ、ああ」
「なんだよ、ダチなんだろ」
「そうだけどさ、アイツと校内歩くのはちょっとな……」
省吾は裕也の気持ちもなんとなく判った。
いくら派手な娘好きの裕也でも、それは限度がある。相田由奈と紹介された娘とその友達は明らかに裕也の趣味の限度を越えている。
それでも仲の良かった中学の同級生だから、外で会うのは気にならないのだろ。しかし、自分の通う学校内を一緒に歩くのはまた話が違うという事だ。
上手い具合にお客が立て続けに来て、一端はその状況から逃れた裕也だったが、再びお客が引いて暇になると
「ねえねえ、少し学校の中案内してよ」
由奈が言った。
「観念して行って来いよ」
省吾はひと事のように笑って言った。
渋々エプロンを外した裕也は、由奈とその友達を連れて、校舎の方に向かって人混みに消えた。
「あら、ショウひとり?」
裕也が消えて間も無くすると、省吾の屋台に愛香が来た。
「ああ、今裕也はちょっと出てる。友達が来てさ」
「じゃあ、あたし手伝ってあげようか?」
彼女は妙に明るい笑顔を見せた。
「別にそんなに忙しくもないぜ」
「いいじゃんいいじゃん」
そう言って裕也のエプロンを着けて屋台のカウンターに楽しげな愛香が入ると、やはりお客はげんきんなもので、あっという間に大学生や同年代の男が集まってくる。
「ねぇねぇ、何年生なの?」
「三年です」
「名前は?」
「ひ・み・つ」
「これって、彼女が焼いたの?」
「そうですよ」
「いいなあ、彼氏とかいるの?」
「さあ、どうでしょう」
愛香が店頭で焼きそばを売る間、省吾はひたすら具の準備をする。それを取って愛香が鉄板で調理して、省吾が透明のパックに詰める。
男性客は愛香にお金を払い、愛香から焼きそばを受け取りたがるから、省吾は完全に裏方に回る。
「なんて奴らだ……」
省吾は高校生以上、特に大学生っぽい客のナンパじみた客に呆れて思わず溜息をつく。
「いいじゃん、売れれば。けっこういい線いくかもよ。この屋台」
愛香はそう言って、小声でぶつぶつ言いながらキャベツを切る省吾の脇腹を突くと、再びお客に愛想を振り撒く。
「お兄さん、くださいな」
屋台の横から声を掛けられた省吾は、ハッとして顔を上げた。
見慣れたお下げでないのは休みの日は何時もそうなのだが、人波から身を乗り出す彼女があまりにも違う雰囲気に見えて、省吾は手に取ったキャベツを箱の中に落っことした。
「頑張ってるね。凄い混んでるし」
澪が、しゃがんでいる省吾を屋台の仕切り板越に見下ろした。
「あ、ああ。愛香の……その娘のお陰でな」
省吾は愛香を澪に紹介するべきか一瞬戸惑いを感じた。
「始めまして、神崎愛香です」
愛香は、客の合間をぬって、すかさず自己紹介すると小さく頭を下げて笑った。
「南澤澪です」
屋台の縁に手を掛けて彼女も笑う。
省吾はしゃがんだまま、少し高い位置で交わされる女同士の初対面を交互に見つめた。
「ほら、ショウ、早くキャベツ切ってよ」
ぼんやりと二人を眺める省吾に愛香が催促した。
「あ、ああ。判ってる」
省吾は洗ってあるキャベツの葉をまな板に乗せると、ざくざくと切り始めた。