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【17】女心

 少ない北窓から差し込む淡い光が、廊下のリノリウムの床に僅かに白い反射光を描いていた。

 休み時間の象徴である教室の喧騒が、開け放たれたドアから風に乗って染み出るように廊下へ流れる。

「ああ、あたしも暇になったからバイトでもしようかなぁ」

 教卓に寄りかかった愛香が、両腕を頭上に掲げて伸びをしながら吐息混じりに言った。

「あんた大学行くんでしょ」

 クラスメイトの陽子が言う。それを横で聞いた美紀は

「馬鹿ね。愛香は今更あくせく勉強しなくたって、適当な大学なら何処でもいけるのよ」

「東大とか行かないの?」

 陽子はそれが当然という顔で、愛香を見る。

「行くわけないじゃん。意味判んないし」

「でも愛香、あんたバイトしなくたって、充分なお小遣い貰ってるでしょ」

 少々妬ましい視線で見る美紀を、冗談っぽく嘲笑う愛香は

「暇つぶしよ。それと社会勉強かな」

 教壇付近で戯れる女子たちの中にいる愛香の姿を、省吾は不思議な気持ちで見ていた。

 今朝、駅の階段を下りてコンビニに寄ると、愛香がいた。今までと変わりない笑顔で「おはよう」と言って寄ってくる。

 今までも時折あったように自然のまま一緒に肩を並べて学校まで来て、ほぼ一緒に教室へ入って来た。

 昨日、一緒にモスバーガーに入った時も愛香は既に何時もの彼女で、ハンバーガーを頬張りながらシェイクを口にし、少し長い睫毛をパタパタと瞬きさせて笑った。

 一瞬憂いに俯いた彼女は何処かへ消えていた。

 今、他の女子と何かを話しながら笑い会う愛香の姿は、その整った目鼻立ちも相まって満ち溢れた自信さえ感じる。

「女って判んねぇよな」

 省吾は横にいる裕也に聞こえるように呟いた。

「あ? 何だよお前。今頃そんな事に気付いたのか。それってヤバくねぇ」

「なんでだよ」

 机に頬杖を着いたままジロリと裕也を横目に見た。

「だってよ、あの澪ちゃんだって、本当はどんな娘か判んないぜ」

「そんな事ないだろう」

 裕也は、省吾の机に腰掛けると

「じゃあお前、澪ちゃんの事は何でも知ってんの?」

「いや、何でもってわけでは……」

 裕也の言葉に省吾は内心ドキリとした。彼女の事は、知っているようで未だに何も知らないような気がする。

 ごく普通のカップルを装って池袋や新宿、渋谷に出かけたりもするが、彼女の病気の事はほとんど聞かないままだ。澪の家で訊いたあの時以来、省吾は彼女の病状には触れていないのだ。

 別に具合の悪い素振りもないし、毎週土曜日には連絡がほとんど取れないという事意外は別に他の女の子と変わりは無い。もちろん、その他にも検査などで朝会わない事もあるし帰りに会えない事もある。

 それでも澪を傍で見ている限り、彼女が死に関係するような重病には見えないのだ。逆に、ちょっぴり会えなくなる秘密の時間が、彼女の魅力でもあるのかもしれない。

 だいたい命に関わるような重い病気なら、もっと虚弱で、電車の中でも立っていられないとか、しばらく歩くと倒れそうになるとか、そんなイメージがある。

 確かに親しくなったキッカケは、彼女が電車で倒れたせいだが、あれ以来澪が省吾の前で具合を悪くした事は無かった。

「はい、退いた退いた」

 始業のチャイムが鳴ると愛香が省吾の前にある自分の席に戻って来て、彼の机に座る裕也をそこから退かせた。

 省吾は目の前に来た愛香を見て、一瞬わざと窓の外に視線を移した。一瞬省吾を見た愛香もさり気なく廊下の方へ視線を這わせる。

 一瞬交差した二人の視線は、事無きようにそれぞれ違う場所を見つめる。

「お前ら、俺が休んだ隙に、何かあったのか?」

 立ち上がった裕也は、愛香と省吾を交互に見て言った。

「な、何でそうなるんだよ」

「そ、そうよ」

「いや……何か前と雰囲気が違うっていうか」

 裕也はそう言って笑った。もちろん、ただの当てずっぽうなのだが、彼の一言に愛香も省吾も一瞬鼓動が跳ね上がったのは事実だ。

 何時も適当な事をいう割には、時折鋭いところを突いてくるのが裕也の恐ろしい所だと、省吾は度々感じる。

「バカな事言ってないで、早く席に戻れば」

 愛香にそう言われて、裕也はズボンのポケットに手を入れたまま

「ヘイヘイ」と、ガニ股に歩いて席へ戻る。

 省吾は思わず愛香を見ていたが、その視線に彼女も気付いて

「な、何?」

「いや、別に」

 省吾は慌てて返すと「ていうか、俺はただ前見てるだけだし」

「あ、そうだよね」

 彼女も慌てるように、前方へ向き直った。

 柔らかそうな茶色の髪が肩から背中に落ちて揺れると、微かに甘い香りがした。

 省吾はちょっとだけ彼女の髪の毛に触れてみたい気持ちを抑えて、廊下を歩く微かな足音に耳を澄ます。

 入り口のドアが開いて数学の教師が大股で入ってくると、教室のざわつきは潮のように引いて、退屈な時間の始まりだ。




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