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【16】ふたりきり・2

「き、気にしないでね、さっきの事。あたしはほら、男に困ってるわけでもないし」

 愛香はそう言ってキレイにカットされた眉を潜めると、ちょっぴりムリめに笑って見せる。

 二人は石神井公園の池の畔を何となく歩いた。

 さすがの省吾も彼女の想いを感じ取っていたが、どうしていいのかイマひとつ判らない。

 だいたい何時も何でも話せる女友達と思っていた彼女が、自分をそんな風に想っていたなんて、どうにもピンと来ないのだ。

 高校に入って微妙なアプローチを繰り返していた愛香の態度は、全く省吾に届いてはいなかったのだ。

 雨は上がって、濡れそぼる草木に弱々しい光が薄っすらと注がれ、まるで朝露に煙るように緑の景色は白く微かに霞んでいた。

 ひょうたん型の池の一番窪んだ場所にかかるメガネ橋の上で省吾は立ち止まった。

 雨で濁りきった水面に、時折魚の跳ねる音がして波紋を作っている。

「正直お前は可愛いと思うよ」

 省吾はそんなセリフを面と向かって言う事は出来ずに、池の水面を見つめたままだった。

「そ、そんなの、当たり前じゃん」

 愛香は照れ隠しにそう言い返した。同じく水面を眺める彼女は、チラリと彼の横顔を盗み見る。

「でもさ、俺……今は」

「ちょっとまったぁ」

 愛香は咄嗟に省吾の腕を掴んだ。

「それ以上言わなくていいから」

 慌てた顔を笑顔に変えて

「そんなの判ってるよ。だからちょっと言ってみたかったって言うか、弾みっていうか……だから……今日の事は忘れてよ」

 省吾はこんなに慌てた彼女の表情も、駅のホームでの泣き出しそうな顔も、今まで見た事は無かった。

 それはとても人間らしく、女の子らしいと思った。いつも自信に満ちて、周囲の女子からは容姿も成績も一目置かれ、年中誰かにコクられてはそれを断る優越感に浸っている素振りをみせる。

 そんな彼女が眉を寄せて子供のように自分の思いを叫ぶ姿に一瞬、本気で可愛らしいと感じた。

 でも今は……今は彼女の気持ちに応えてあげる事は出来ない。

 省吾は答を出そうとは思わなかった。今はそれでいいような気がした。

 高校生の自分が、まさか将来を考えて女性を選んでいるわけでもない。

 ジョギングするお爺さんの姿が目に映った。歩くようなスピードだが、池の周りの遊歩道をもう三周以上は周っているだろう。

「お前の家、この近くなの?」

「うん。この通りの向こうよ」

 省吾は虚空そらを仰いでひとつ息をつくと、自分よりも少しだけ視線の低い愛香を見た。彼女は省吾の視線を感じながらも、池の畔に視線を這わせている。

「一端駅に戻って、モスでなんか食わない? 俺腹減ったよ」

「うん。そう言えば、お腹減ったよね」

 愛香はちょっとだけ潤んだ目を細めて笑った。

「お前が走らせるからだぞ」

「運動不足みたいだから、走らせてあげただけじゃん」

 省吾が歩き出すと、彼女はスカートを大きく揺らして小走りに彼に肩を並べた。

 本当は手を繋ぎたいけど、そう言うわけにもいかない。

 今日のは決定的な告白ではなかったけれど、何となく気持ちを伝えたら、どんよりと立ち込める曇った空模様とは裏腹に、彼女の気持ちは晴れやかになった。





 その夜、神崎愛香は自分の父親の勤務する某大学病院へ来ていた。

 大きな敷地を横切って、急患用の通用口から入る。外来診療の終了した閑散としたロビーを抜けると、エレベーターに乗って五階の外科病棟へ向かう。

 ナースステーションを横切って休息ロビーに入り、椅子に腰掛けて一息ついていると直ぐに一人の医師がやって来た。

 箕輪忠典みのわただのり。彼は愛香の父親である神崎理かんざきおさむの下で働く外科医だ。

「ああ、愛香ちゃん。わざわざ来なくても」

「だって、箕輪さんなかなか捕まらないんだもの」

「いやあ、けっこうオペが立て込んでいてね」

 箕輪はそう言って苦笑を浮かべると

「実は、この後もオペが控えてるんだ」

「時間はとらせないよ。この前の事、調べてくれた?」

 愛香は立ったままでいる箕輪を見上げた。

「いあや、やっぱり噂ってだけで、詳しい事は何も見えてこないんだ。さり気なく他の連中に聞いても、みんな誰かに聞いたって感じで」

「臨死させる治療の事例はあるの?」

「そんなのあるわけないよ。そんな治療法が認められるわけないし……」

 箕輪はテーブルを挟んで愛香の前の席に座ると再び笑みを浮かべ

「ただ、治療法のわからない血液の病気が存在するのは確かなんだよ。精密検査ではどこにも異常は見られないのに、血中の白血球や赤血球、その他の成分もそれぞれの数が異常に増えたり減ったりいていくんだ。もちろん、骨髄にも異常はないらしい。でも、原因不明の病気は意外と多くて、世間に出るのは比較的症例の多いほんの一部に過ぎないんだよ」

 箕輪はチラリと腕時計に目を配ると

「じゃあ、俺そろそろオペの準備があるから」

「うん。ごめんね。わざわざ」

 彼女はそう言って、優しく微笑んだ。

「いや、いいよ。噂の件は、それとなく他も当たってみるから」

 箕輪は軽く手を上げて、休息ロビーを立ち去った。

 彼女が父親から聞いたと言って省吾に話して聞かせた、臨死させて治療する奇病の噂話は、実は箕輪から聞いたものだった。

 愛香は病院から出ると、友人から入っていた携帯メールに返信を送り、タクシーを拾って帰宅した。



 愛香はたまたま母親の使いで父の病院へ行った時に箕輪みのわにあの奇妙な噂を聞いた。それを聞いた瞬間、何故か省吾の彼女の姿が浮かんだのだ。

 症例のない奇病と臨死というモラルに反した……といより、もはや倫理を超えた治療法の噂が、省吾が言っていた「よく判らない病気と死ぬほど辛い治療」に重なったのだ。

 彼女は箕輪に頼んでその噂に関して調べてもらっていたが、やはり所詮は噂。なかなかその真相には辿り着かない。

 病院に関する噂話は以外に多く、そのほとんどが根も葉もないものばかりだと言う事は、愛香自信がよく知っている。

 それでも、電車で見る澪の何処か病的な白さを思い出すと、何だか嫌な胸騒ぎがするのだ。

 これは父親から受け継いだ勘なのだろうか。愛香は自分でも判らない不安に急かされるように、とにかく噂の真相が知りたかった。

 根も葉もない、ありえない事ならそれでいい。

 省吾は自分に振り向いてくれないけれど、彼の悲しむ姿は見たくない。

 愛香は自室のベッドで横になったまま、ただ白い天井を見上げて省吾と歩いた石神井公園の、緑の生い茂る遊歩道を思い出していた。




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