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【15】ふたりきり・1

 傘から伝う雫が足元に何度も落ちて、その度に歩道に薄く溜まった雨水が小さな波紋を作って揺れるが、それは空から注ぐ雨の勢いであっという間にかき消される。

 愛香が置き傘にしていた折り畳みの赤い傘に省吾と二人で入って駅までの道を歩く。

 愛香は彼と腕が触れそうで触れない微妙な距離を保って肩を並べながら、つい右半身に意識が集中してしまう。

 省吾は愛香が自分側に多めに傘を傾けている事に気付いて、柄をそっと手で押す。

「俺は頭が濡れなきゃそれで充分だから」

 ……普段は何にも考えてないようで、時折見せるこのさり気ない気配りにグッとくる自分が悔しい。

 愛香はガラでもないと思いながら、火照る頬をこっそり空いている手で摩った。

 駅の階段まで来て庇に入ると、彼女は傘を畳む。

「今日はどうして彼女と帰らないの?」

 本当は話したくない彼女の話題を、愛香はあえて平静を保って切り出す。

「なんか運動会の練習があるらしくて。その後友達をご飯と食べるとか」

「雨なのに?」

「体育館で出来る練習なんだって」

「そう」

 愛香は足元を見ていた視線をふと上げて

「でも、彼女病気なんでしょ? 運動は平気なの?」

「さあ……普段は元気だから、普通に生活できるらしいよ。体育とかも平気だって」

 営業途中のサラリーマンが、死にそうなほどゆっくりと階段を上る横を、二人は何気に追い越した。

 小脇に黒い鞄を抱えた、四十過ぎのいかにもくたびれた風貌の男だった。

 省吾はこんな大人を見ると、あくせく働く毎日が自分にも訪れて、結局高校生などにオヤジ呼ばわりされるのかと思うとウンザリする。

 天井に当たる微かな雨音を聞きながら、二人は何となく無言でホームに佇んでいた。線路上の石は、普段は見せない艶やかな琥珀色に様変わりしている。

 学校での二人は自然に何でも話しが出来るのに、他の空間に放り出されると途端に何を喋っていいのか判らなくなる。

 学校では周囲にクラスメイトがいる事で、二人で喋っていてもつまり、それは二人きりではないのだ。

 しかし今ホームにいるのは二人きり。

 もちろん周りには他の学校や同じ学校の生徒もいるし、ゴミ箱の横に立っている娘は隣のクラスの顔見知りの綾子だ。

 それでも、学校という枠で括られていないこの空間では、今隣にいる省吾と愛香は二人きりと言う事なのだ。

 その証拠にすぐ横のベンチには学校とは無関係の、さっきのくたびれたサラリーマンが腰を降ろして栄養ドリンクを飲んでいる。

 ホームに電車が入って来て、二人は無言のままそれに乗り込んだ。

 省吾は車内に連なってゆらゆらと揺れる吊革や空調の風を受ける広告の吊りビラなどを、ぼんやりと眺めたりしていた。

「ショウは家ではどうしてるの?」

「どうしてるって?」

「えっ? 例えば……家で一人の時とか」

 省吾の家が母子家庭と言う事は、当然リサーチ済みだった。

「そうだなぁ。俺パソコンもあまりやらないし……ボケッとテレビ見てる事が多いかな」

 彼は視線を窓の外に移しながら言った。

 愛香が下りるのは一つ目の駅だ。

 彼女は省吾ともうしばらく一緒にいたいが、直ぐに車内アナウンスが流れてあっという間に次の駅に着いてしまう。

 電車が減速を始めると、愛香はキュッと胸が苦しくなった。

 もっと何かを話したいのに、それどころじゃない。

 明日も会えるのにどうしてこんなに胸が苦しいのか判らなかった。中途半端に彼と一緒にいた為に、想いが膨らんでしまったのだろうか……

 バシュっと音を立ててドアが開いた。

 動かない愛香を省吾が見て「お前ここだろ?」

 発車メロディーが鳴った。

 動かない彼女に省吾は困惑したが、無理やり降ろすのも妙だ。他の駅に用事があるのかもしれない。

 愛香は何故か無言で頷くと、省吾の腕を掴んでホームへ飛び降りた。

「おい」

 省吾は訳が判らずに腕を引かれるまま彼女と一緒にホームへ足を着いた。背中ではドアが閉まり、電車が走り出す。

 駅に降り立った雑踏は、真っ直ぐ階段へ向って動いていた。

「おい、何だよ」

 省吾は愛香が掴んだ腕を振りほどいた。

「だって、詰んないじゃん」

「はあ?」

 愛香の冗談っぽい笑顔に、省吾は困惑した。

 何が詰んないんだ……この時は、彼女の意図がまるっきり解らなかった。

「せっかく二人なのに、全然喋れないし……」

「いや、けっこう喋ってたし……」

 省吾は困惑を隠しきれない笑みを浮かべたが、彼女は急に笑顔を曇らせて俯いた。

「喋ってないよ」

「えっ?」

「喋ってない。全然話してない。せっかく一緒に帰れたのに、久しぶりに一緒に電車に乗ったのに……もっと一緒にいたいじゃん」

 愛香は勢いに任せると子供のように一気に言い放った。言い出したら停まらなかった。

 省吾にはそれが、何時もの少し大人びた彼女にはかけ離れた姿に見えた。

 ホームの端から歩いて来た二人組みの主婦が、二人のやり取りにジロジロと視線を向けるのが何とも恥ずかしい。

 ……もっと遠慮して見ろよ。省吾は刺さるような視線に嫌悪感を抱いた。

 既に階段に足をかけた他の高校の連中も、愛香の声が聞こえたのか振り返ってチラ見している。

「いや、一緒にいたいって……意味判んねぇし」

 益々困惑した省吾は苦笑しか出来ない。愛香は、ついムキになってしまった自分が恥ずかしくて急に走り出す。

「あっ、おい。ええ?」

 階段に向って駆け出した彼女を、省吾が追いかけた。人混みに阻まれて上手く前に進めない彼女は、強引にそれを掻き分けて階段を駆け上がってゆく。

「ちょっと……」

 「待て」と声を出そうとした省吾は、自分が人混みの中にいることを思い出し、言葉を飲み込むと

「ちょっと、すいません」

 そう言って、ひたすら人混みをぬって階段を駆け上がった。

 通路をダッシュする愛香の髪が激しく揺れて、短いスカートの裾は捲くれあがっていた。その背中を彼はひたすら追いかけて、今度は階段を駆け下る。

 ……何やってんだ、俺。何で駅で女の背中追っかけて、必死で走ってんだよ。つうか、アイツ足速ええよ。省吾の頭にそんな思いが素早く駆け抜けて消えた。

「ちょっと待てって」

 改札口の前で、ようやく彼女を捕まえた。

「なんだよ。どうしたんだよ」

 息を弾ませて愛香の腕を掴んだ。

「ご、ごめん。あたし、つい……」

 彼女も肩で息をつきながら、途切れ途切れに言った。

 今追い越してきたばかりの雑踏が次々に改札を抜けてゆく中で、お互いのブレスと自分の激しい鼓動だけが、二人の耳には響いていた。




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