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【14】顰める想い・3

澪から少し離れて、愛香と省吾のエピソードが数話続きます。

「愛香、クラブのパー券貰ったんやけど、行く?」

 携帯に電話をかけて来た関西弁の少女は悪友の真琴まこだ。

 通う中学は違うが、夜の街で知り合った同い年の彼女は、夜遊びの年季は愛香よりも上だった。

 以前大阪に住んでいた彼女は、神戸、奈良にも住んだ事があって、少し甘ったるい関西弁を喋る。

 いつの間にかクラスの娘といるより真琴といるほうが多くなった。彼女は時折プチ家出などをして街を徘徊しているので、何時でも会う事ができるし、妙に気もあった。

 その日の夜も、愛香は真琴に誘われるまま夜の街へ繰り出す。

 眠らない夜の街は、夏休みの学生の胸を何故か高鳴らせるのだ。それは当時中学生だった愛香も同じで、高校生も中学生もいたるところで目的もなしに徘徊している。

 いや、彼女達は徘徊する事が目的なのかもしれない。まるでそこから何かが始まると信じているように。

 都知事の圧力で取り締まりは以前よりも厳しくなったものの、深夜徘徊する未成年のあまりの多さに補導も追いつかない。

 欲望の渦に引き寄せられる大人たちの隙間を縫うように、彼女たちは光の街をさ迷う。

 それでも愛香は塾には通っていた。

 親がうるさいせいもあるが、彼女は彼女なりに年相応のやるべき事をわきまえていた。

 もちろん時々はサボるが、特別夏期講習などは朝の九時から夕方まできっちり出ていたりする。遊ぶのは夜だから関係ないのだ。

 省吾を見かけたのは石神井駅前にあるその塾だった。

 雑居ビルの二階と三階が塾になっていて、一階はコンビニが入っている。

 省吾はというと、塾をサボる事も多く、時間に遅れてくる事もしばしばで愛香との接点はまったく無かった。

 しかし八月の模試での事だった。

 この日は参加者が少なくて、長い机に生徒はまばらに座っていた。多い時でも模試の際は一つずつ椅子を空けて座るが、この日はそんな事をするまでもなく二人分も三人分も席が空いている机がざらだった。

 教室には五人がけの長机が二列になって十個ずつ、全部で20個並んでいる。所々の机は規定通り三人が一つ置きに座っていたが、愛香の座った真ん中辺の机には端と端に二人いるだけだった。

 それでもそんな事は気にも留めずに試験問題をこなしていた彼女だったが、急にシャーペンの芯が途切れた。

 何度ノックしても芯は出てこないので、後のキャップを開けてペンを逆さまにしてみると中には一本もストックが無い。

 愛香は直ぐにペンケースの中を見るが、そこにも芯のストックがなくて、しかも他には色付きのボールペンしか入っていなかった。

 直ぐ隣に誰かいれば誰でもいい、声を掛けてシャーペンの芯を貰うだろうが、今日に限ってかなり離れた場所に見知らぬ男が一人座っているだけだ。まさか後を振り向くわけにもいかないし、前の席の娘を呼ぶわけにもいかない。

 ……マジ困った……どうしよう。

 その時シャッと小さな音がした。

 何かが机の上を滑って来て、愛香の手にぶつかり、彼女はとっさにそれを手のひらで覆った。

 近くの席の何人かが、不審な音に思わず頭をあげる。が、再びテストに集中したのを見て、愛香はホッと息をつく。

 教壇にいた講師も一瞬その音に視線をチラつかせるが、愛香は素知らぬふりをして顔を伏せていた。

 さっき机を滑って来たものを掴んだ左手をそっと開けてみると、それはシャーペンの芯の入った小さなケースだった。

 彼女は顔を伏せたまま、それが飛んできた四つ離れた席を盗み見る。

 彼は素知らぬ顔で答案用紙に向かって手を動かしていた。

 それほどカッコイイ男ではない。

 靴の踵は潰して少しガラは悪そうだし、夏期講習もたまにしか見かけないヤツだ。だいたい右手に時計をしているのが妙にカッコつけに見えた。

 しかし、その憎たらしいほどにクールで些細な気遣いは、愛香の心を強く鷲掴みにしたのだ。



「ね、ねえ」

 愛香はテストが終わると慌てるように彼に駆け寄った。

 さっきのテストが最後だったので、同じ机にいた彼はさっさと帰るところだったのだ。

「えっ?」

 彼は少々無愛想に振り返った為、愛香は一瞬言葉に詰ったが

「さっきは有難う」

 そう言って、残りの芯が入ったケースを彼に返す。そして満面の笑み。

 自分がちょっとは人よりモテル事は充分に自負している。この男の気を引くことなんて造作も無い事だ。

「ああ、別にいいさ」

 しかし彼は、それを左手で受け取るとさっさと教室を出て行った。

 愛香は自分の笑みに反応しない彼に一瞬拍子抜けする。

「ね、ねえ、ちょっと」

「俺さ、タバコ吸う女って、ちょっと。て、感じなんだ」

 彼はもう一度振り返って、冷ややかに笑みを作ると廊下を歩いて行った。

 どこかで見られたのか……? 愛香は初めて血の気の引く思いを味わった。

 タバコを吸う女は嫌い……そう思われる事なんて、今まで考えたことも無かった。それを吸う仕草は、自分では何処かいい女、大人の女をイメージさせていたのだ。

 ショックだった。そんな事、夜に出逢う男には言われた事がない。

 それが省吾と初めて言葉を交わした出会いで、その時以来彼女はタバコを咥えてもいない。

 ある日、塾の昼休みにコンビニ弁当を食べる省吾を、愛香は見かける。その時、彼が左利きだとわかった。

 文字を書くのは右手だったので気付かなかったが、箸を左で持つのはおそらく左利きだろう。

と言う事は、右手首に時計を掛けるのは、彼にとって至極当然の事だ。

「あれ、省吾って左利きなんだね」

 近くにいた娘が何気なく話しかける声に彼は頷いていた。

 その後愛香は省吾と時々顔を合わせたが、なかなか話をするチャンスは無いまま秋頃になって彼は塾を辞めた。

 心のどこかに想いをとどめたまま、月日は過ぎた。

 楽しい事を追い求め追いかけられる喧騒に包まれ、それに夢中になっていた彼女は、そのとどめた想いさえも、何時の間にか忘れていた。

 ところが高校へ入ってから再び省吾と出逢ったというわけだ。

 愛香は決して省吾を追いかけて今の高校に入った訳ではない。

 父や母はせめて大学の付属校に入れたがっていた。それは小学校から中学に上がる時も同じで、愛香はその度に反発した。

 勉強に追われて過ごすのはまっぴらだったし、今の高校は、校則があって無い様な校風が何よりも気に入ったのだ。

 そして、入学式の日には気付かなかった彼の姿をある日校舎で見かけて、しばらく忘れていた愛香の乙女心に再び火が灯ってしまったのは言うまでもない。

 勇気をだして彼女から声を掛けてみるものの、クラスが違う為か、なかなか距離が縮まらない。

 しかも省吾は、同じ塾で愛香と会っている事も忘れていたのだ。

 クラスが違うからこそ付き合っている連中も大勢いるというのに、どうにも愛香には自分からその意思表示がうまくできなかった。

 そのくせ他の連中や上級生からはよくコクられて、その度に屋上や体育館裏で「ごめんなさい」をしなければならなかった。

 中学からの付き合いで真琴とはよく遊ぶが、以前のように夜な夜な遊びまわる事は無くなった。

 当て付けに他の学校の男と付き合ってみたりしたが、極端に親しくなれない省吾には何の効力も無かったし、部活が忙しくて、けっきょく他の学校の男の子と付き合うのはかなり無理があった。

 そんな状態のまま二年が経ち、三年生になった時にやっと念願叶って同じクラスになったというわけだ。

 本命に関してだけは異常に奥手な愛香に、省吾との間に望む進展はかなりの難題だった。






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