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【11】愁い

 部屋のドアにノックの音が聞こえた。

「澪、誰か来てるのか?」

 透き通るよな男の声だった。

「あれ、お兄ちゃんいたの?」

「いや、いまちょっと寄っただけだ。玄関に靴があったから」

「うん。友達が来てる」

 澪はそう言いながら部屋のドアを開けた。

 四角い黒淵のメガネを掛けた短髪の青年が部屋を覗いた。爽やかで真面目で、少し神経質そうな笑顔がソファにいた省吾を捕らえた。

 省吾は反射的に小さく会釈をする。

「お前にしちゃ、随分な珍客だな」

 清楚で育ちのいい澪に、茶髪の省吾は確かにある意味不釣合いかもしれない。

 部屋を覗いた彼に悪気はないのだろう。その爽やかな笑みからそれは充分に伝わった。

「何て事言うのよ。失礼でしょ。もう」

 頬っぺたを膨らませる彼女を、省吾は初めて見る。

 そんな澪の表情を見た男は

「ああ、悪いね。気にしないでくれ」

 澪の頭越に、省吾にそう声を掛ける。

 省吾は苦笑しながら再び頭を下げた。

 彼が澪の兄だと言う事は、さっきの彼女の受け答えで判った。

「あ、これお兄ちゃん」

 澪は手短に省吾に伝えると

「もういいでしょ」

 そう言って兄を部屋から閉め出す。

「あんまり激しい遊びは止めておけよ」

 兄はそう言ってハハッと声をだして笑いながら、部屋から出て行った。

「まったくもう」

 澪がソファに座ると再びドアがガチャリと開いた。

「あ、今日は母さん遅いって言ってたぞ」

「判ったから、もう入らないでよ」

「判った判った」

 その声がドアの閉まる音に僅かに被ってフェードアウトする。

「カッコイイお兄さんだね」

「見た目だけよ」

「大学生?」

「ううん、もう働いてる。お父さんの病院で内科と外科を受け持ってるの」

「へえ、すごいんだ」

「人手不足なだけじゃない」

 澪はそう言って、ペットボトルから、二つのグラスにコーラを注ぎ足した。



 彼女の家を出たのは八時を過ぎていた。

 せっかくだからと宅配ピザを注文して二人で食べた。そして省吾が再び驚いたのが、澪の部屋にも玄関のテレビインターホンが繋がっている事だった。それは各部屋に繋がっているらしい。

 彼女は自室から門扉の前に来たピザの宅配店員を確認してから、階段を下りていった。

 澪とはほとんどソファの上で過ごした。部屋が広くて落ち着かなかったが、ソファの上にいればそれもほとんど気にならない。

 何かを食べて直ぐにキスをするなんて思いも寄らなかった。毎回歯を磨こうとも思わないが、彼女が嫌がると思った。

 しかし、意外と澪も平気な様子で、ピザに付いて来たミルクティーを二人で飲んだせいか、今夜のキスはミルクティーの味がした。

 まろやかに絡みつく彼女の舌は、ミルクティーそのものだった。

 しばらくの間はミルクティーを飲むたびに、彼女の唇や舌の粘膜の感触を思い出してしまう……そんな事を思いながら、門扉の中で見送る彼女に省吾は軽く手を上げた。

 門を出て少し歩いた所で一台の白いベンツとすれ違う。四ドアのセダンではない。二ドアの少し車高の低いタイプのやつだ。

 省吾が目で追ったそれは、澪の家の前に止まって、オートメーションの駐車場の扉がゆっくり開くのを待つと、吸い込まれるようにその闇の中へ入って行った。

 すれ違った時、運転していた女性の姿がプライバシーガラスの中に僅かに見えた。

 毛先を少しカールしたような、ちょっぴりノスタルジックなショートボブの髪型が、妙に印象的だった。

 あれはきっと澪の母親だろう。省吾は立ち止まった足を再び前に踏み出す。

 路地が交差した場所で振り返ると、澪の家の二階のベランダに人影が見えて、こちらに手を振っていた。

 直ぐに澪だと気付いて、省吾は遠慮がちに手を振り返す。

 庭の明かりに照らされた華奢な身体が、スポットライトを浴びたように暗闇にぽっかりと浮かんで見えた。



 澪は明るい。確かに英美の方が何処か飛んでいる感じはするが、今時の同世代としてごく普通の明るさは持っている。好意を抱く自分から見た澪の笑顔は、さらに30%増しだろう。

 ……なのに何故。

 何故時折見せる真顔がせつなく、果敢なげに見えるのだろう。どうして、一瞬笑顔が消えて何処かを見つめる彼女の横顔は寂しさに満ちているのか……

 省吾は帰りの電車の窓から通り過ぎる街の灯を見つめながら考えていた。

 本当に澪は見かけ通り元気な娘なのだろうか。彼女が言う通り、その病気は命を脅かすほどのものではないのだろうか。

 ふと自分に置き換えてみる。

 自分がもし命の危機にさらされるような病気になった時、周囲に全てを話すだろうか。

 彼女の笑顔の隙間に漂う憂いな横顔が、何時も省吾の脳裏を不安にさせるのは何故なのか。

 無言で佇む彼女の姿を毎朝密かに見続けていた為に、深層心理に深く刻まれた残像のようなものなのだろうか……

 流れる街並が途切れると、見慣れた駅のホームに進入して光の帳に包まれた。




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