表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

眠れる森のクマさん

作者: またき



 本当ならば、そこには視界いっぱいに後ろ姿が広がる筈なのだ。



 始業の鐘が鳴る午前9時。

 朝のお喋りを終えたクラスメイト達は、それぞれ自分の席へ戻っていく。

 鳴り終える頃、先生が現れると委員長の号令で立ちあがって挨拶が飛び交う。

 着席の合図で座れば、直ぐ様拓ける視界。

 私の席は、5列ある並びの真中の、前から3番目の席。

 1つ前の席の森君は、もう既に夢の中に旅立っている模様。

 先生がそれを確認し、ため息を1つ溢し、『今日も快眠で』と言って黒板に向き直る。


 黒板に白いチョークで書かれた文字が羅列を始める。

 先生の声が教室の隅まで届いていく。

 文字が消え白い粉が舞う。


 それでも黙々と睡眠を貪る森君。

 気にする事なく皆のシャーペンの音が滑っていく。




 それが、私のクラスの日常。







 彼の事は有名だった。


 (もり)菊柾(きくまさ)君。私と同じ高校3年生。

 空手部主将、去年今年の県大会優勝の肩書きを持つ通り、大きくて筋肉質な巨体を持っている。

 それをぎゅっと丸めて小さな机の上に納まるように器用に寝ているのは、クラス中が知っている事だ。

 そして今日もまだ、鞄の中から筆記用具を出している所を見ていない。


 先週の席替えの時に、最早彼の定位置になっている席の後ろになった時は、思わずにんまりしてしまった。

 しかし先生に、『見えなくなるだろ、午後から』と言われ、隣の人と席を交換させられるのを、慌てて止めたのも記憶に新しい。


 すぅすぅと聞こえる微かな寝息。

 規則正しく上下する身体。

 ピッタリと張りつくカッターシャツ。


 人目を気にして盗み見なくても、堂々と見ていられる場所を確保出来たのだ。

 机にノートを広げ、右手にシャーペンを持って頬杖をついていても、残念ながらしばらく黒板は見る事はなさそうだ。




 今の席替えをする2ヶ月くらい前、昼ご飯まで休み時間もぶっ通しで眠る森君の隣を通った時、ほんの少しだけど、私の腕に彼の動いた腕が当ったのだ。

 立ち止まって様子を見れば、ギッシリ組まれていた腕枕は少し解かれ、彼の太い腕の隙間から目尻に皺が寄せられているのが見えた。

 そして歯を軋ませ汗が一粒机に落ちるのが、やけに鮮明に目に焼きついて目が逸らせない。


 ―――一体、何の夢を見ているのだろう。


 純粋な興味だった。

 スカートのポケットに入っていたハンカチを取り出し、しっとりと濡れて束になった髪の毛の上にあてた。

 そしてこっそり覗こうと腰を曲げた私の腕がグローブみたいな手に掴まれ、新しく流れる汗と共に鋭い眼光を寄こす森君と目が合った。

 それは本当に一瞬の出来事で、その巨体から繰り出したとは思えない俊敏な動きに、流石運動部の主将をはるだけあるなと、心の中で拍手をした。だって手が塞がっているし。


 じっとしている私を他所に歯を食い締めながら1つ、2つ呼吸をした森君は、私の腕とハンカチの存在を確認すると、寄せていた眉を戻し、ほっとしたように目尻を落とした。

 深く、落ち着いた黒い瞳だった。

 その目の下には濃いクマが見える。

 私の腕がそっと離され、彼は再び私の視界から顔を隠した。


「……すまん。少し驚いた。いきなりだと、怪我……させてしまうかもしれないから、あんまり近づかない方がいいぞ」


 彼の声をまともに聞いたのは、これが初めてだった。



 低く、低く、掠れている声。

 ゆったり紡がれる、音の波。




 それはどうみても、高校生(こども)の持つ色ではなかった。




「……懐かしい」


 痣が消えた右手首を擦り、目の前の眠る彼を眺める。

 奇しくもまともに声を聞いたのはそれきりだ。


 だって話かけようにも寝ているのを起こすにも気がひけるし。

 しかもそっとしておくのがクラスの暗黙の了解だったし。

 お昼ご飯時にはむくりと身体を起こし、お父さんのと同じ黒い筒状のお弁当を仲のいい男子らと平らげ、午後の授業は片腕に頭を置いて寝る寸前の姿勢で授業を聞いている。

 休み時間に他の男子が馬鹿やっているのを優しく見守っていて、午後の授業が終われば速攻で部活に向かい、夜遅くまで頑張っているのだ。と思う。


 私の入る余地はない。


 仲良さげな男子の交流を見て自分の性別が少し恨めしく思ったが、そもそも男だったらこんな風な興味を持つのはないかもしれないと思うと黙るしかない。

 だけど、何の夢を見ているのかを聞くくらい、どうして簡単にいかないんだろう。


 お陰でずっとチャンスを伺って、一挙手一投足に敏感になってしまったじゃないか。


「っ」


 言ってる傍から目の前の彼から小さな息が漏れる。

 この音はきっと激しい夢を見ているのだろう。

 次いで身体が大きく揺れる。


「当たった」



 そうやってまた、私は森君が気になっていくのだ。







「あれ、森君?」



 放課後、職員室で雑用を終わらせて教室に帰って来ると、森君が1人で寝ていた。

 クラスの皆はもう帰ったようで誰もいない。吸い込まれるようにして自分の席へ向かう。

 自分の席で鞄の整理をしても森君は動かない。

 黒板の上にある時計を見ると、部活動はとっくに始まっている時間で。引退した空手部の主将が目の前にいるこの状況。


「……―――ランツ……勝手言うな……ったくお前はいつも……」


 もにょもにょと寝言が聞こえ、その声色に、楽しそうな夢だという事が伺える。

 だけど。


「……部員の皆、心配してないかな……?」


 確か引退しても指導しに行ってるんじゃなかったっけ。

 すやすや眠っている場合じゃないぞ、森君。

 起こそうと席を立とうとして、はたと思い出す。そう言えば前に近づくなと言われていた筈だ。

 それならばと。


「森君ー? 部活行かなくていいのー?」


 座ったまま手を伸ばし、人差し指で大きな背中の真中をつついた。

 そしてささっと手を引いた―――と思ったのは私だけで、つついた形のまま再び腕を掴まれていた。


「わあっ!」


 私の腕を掴みながら、肩を大きく上下させ、荒い息が沢山出ていく。

 汗がポタポタと垂れるのが見え、またまずかったのかなと恐る恐る視線を上げると、あの形相で私を見ていて、やはりまずかったのだと確信した。


「ご、ごめんね森君…! でも、あの、もうHR終って皆部活行っちゃったし……森君部活どうなのかなって!」

「……部活……俺……引退した……」


 まだ寝ぼけているのか、掴んでいない方の手で目を擦りながら私の言葉を反芻している。

 そして目を見開かせ、せわしなく瞬いたかと思うとあんぐり口を開けて立ち上がった。


「……って、見に行かなきゃいけないんだった……!」


 視線が瞬く間に上がり、見上げる事になったのだが、その大きさに改めてビックリした。

 190センチ近くだっけ? 横にも縦にも大きい身体は、まさしく皆が口を揃えて言う“熊”に相違なかった。

 その現実を噛み締めていると、森君はわたわたと鞄を取って整理し出す。

 詰め込んだと言った方がいい整頓をし終え、『ありがとう』と言って教室を飛び出した。



 その時に向けられた手と、少しはにかんだ笑顔が、しばらく頭から離れなかった。







『なんか森君って、家で眠れないんだって』



 そう友人伝いに聞いた事があった。



 それは2年の時に同じクラスになって、1週間程した時だったと思う。

 クラス換えをして、初日の授業から前の方の席で堂々と居眠りしていれば、皆も疑問に思うもの。

 1年の時から同じクラスだった人達にはこれが通常だったから、気にする事だというのを忘れてしまっていたという。

 そしてそれは学校側にも話は通っているのか、先生達は皆受け入れて授業をしている。

 自分の授業を寝過ごされていると複雑そうな顔をするのも、最初のうちだけだ。


 それに、寝ていても文武両道、成績の面で悪いと聞いた事がない。

 むしろ授業時に起きている私よりもいい点数しか取っていない。

 成程、だから寝ていても許されるのかと、世の中の不条理を味わった瞬間だった。


 家で見ない夢を、学校で見るのはどんな気分なんだろう?


 放課後、誰もいなくなった静かな教室で考え込んだ。

 相も変わらず朝からお休みになっていた森君の姿を思い出し、机の上にノートを広げ、筆記具を出して机に突っ伏してみる。

 腕を組んで頭を乗せれば、ノートの匂いが微かに香る。

 次いで目を閉じれば、あっという間に暗闇が私を包んだ。



 つんつん。


 肩をつつく振動に頭を上げれば、1日の半分以上は丸まった背中しか見せない彼の、表面が見えた。

 逞しい胸板、それを覆うシャツ、小さなボタン。まだ余裕があるように見えるシャツは一体何サイズなのだろう。

 きっと知らないサイズだ、と思考が至った所で宙に浮かぶ指が視界に入る。


「もう外暗くなったぞ。帰らなくていいのか?」


 その声に更に顔を上げれば、じっと私を見ている森君と目が合った。

 次いで外を見ると、既に日は落ち月が見えていた。


「……やっちゃった……」


 時計を見ればもう夜の8時前。そろそろ見回りが来る頃だ。

 力が抜けて机に突っ伏せば、上から小さく笑う声が聞こえる。


「学校の机の上は気持ちいいからな。直ぐ眠くなる」


 あの日と変わらないその落ち着いた声に再び顔を上げれば、外を見て目を細めている彼がいた。

 その顔はやはり大人びていて、それでもって鋭くはない表情に、私の目と心が奪われた。


「森君」

「何?」

「教えて欲しい事があるんだけど、いい……?」

「勉強? それとも空手の方?」


 君に空手は役に立たないぞとおかしそうに笑う。

 “君に”と言われた事で、名前を呼ばれたような気がして、少し心臓が跳ねた。


「―――いつも何の夢を見ているの?」


 私がそう口にすれば、彼の目が見開かれる。

 それは一瞬だけで、私が瞬きをすればいつもの顔に戻っていた。


「どうして寝ているか、ではなく?」

「えと。ハイ。ちょっと前から気になっていまして」

「どうして敬語?」

「なんとなく?」

「何だそれ。……別に、普通の夢だと思うが」


 軽く笑って私をあしらう。

 だけどその目は笑っていない。

 唇の端が自嘲気味に上がる。


 何を隠すものがあるのだろうか。

 森君の答えに黙って考えていると、笑うのを止めた森君の目が凪ぐ。

 元から濃かった黒目が深く色づいた気がした。

 ああ、パッチリ二重で堀が深いなぁとのんびり感想を浮かべていると、それを少し細め、挑むような視線を送ってきた。


「―――永く、果てしなく続く。夢も希望も無い戦争の夢だと言ったら、君はどうする?」


 そして、私を試すような瞳。


 それを言って、私に何て言って欲しかったのかは分からない。

 夢も、希望もあるのが夢の醍醐味なのかもしれないのに、それがないという森君の夢。

 それは気になる。



 ただ、純粋なる興味だったのだ。




「続き、聞きたいです」







「すまん、遅くなった」

「ううん、大丈夫」



 部活の指導から戻ってきた森君は、少し汗を流しながら私の目の前にある自分の席についた。

 お疲れの森君にスポーツドリンクを渡すと、ありがとうと言ってそれを受け取り豪快に飲み始める。

 タオルで汗を拭きながら、昨日のラーフェイン軍と死獣討伐の結果の確認をし合い、今日はそれの後片付けがどんなに面倒かの力説から始まる。

 そして私は広げたノートの上で頬杖をついて、いつも通り森君の話に耳を傾ける。



 これが、最近の私たちの習慣になった。



 森君は、格闘戦士だった。

 イェルディオールという世界にある縦横4つに分けられた大陸の1つ、シルヴェストという国は緑豊かで鉄鉱石や魔石の流通が盛んだ。


 そこに森君は召喚されたという。


 正しくは森君の魂なんだけど、国を守る為に選ばれ呼ばれた森君の為に、その世界用に同じ様な肉体も用意された。

 国を守る為の鍛錬をし、鉱山を襲う賊の討伐を任せられたりしていた。


 ある日の事、世界の中心にある入らずの森に封印されていた魔王が復活し、仲間を蘇らせ増やし、次々と近辺の町への侵略を始めた。

 4つの国が各方面から封印をするには最適だったけれど、向こうが侵略するとなればそれもまた容易い陣形だった故に、あっという間に被害が拡大したらしい。

 そして、シルヴェストを守る為に召喚された森君が、それでも彼の努力の成果で国の5本の指に入る位高い地位に登りつめていた彼が、討伐軍に選ばれるのは当然の事だった。

 前線で戦うラーフェイン軍に入り、仲間と共に魔王が蘇らせた死獣を討伐し、それに乗じて攻めてくる隣国への攻防に、日々明け暮れたという。



「向こうに呼ばれたのは、俺が中2の頃、事故に遭ってからだな」


 ふと遠い目をして外を見つめた。

 その時の頃を思い出しているのだろう。

 私のペンが止まる。


「打ち所が悪くて、1ヶ月も目を覚まさなかったと後から聞いた。だけど俺はその間死獣を倒し、隣の国の軍を倒し、戦争に勝った。6年くらい経ったと思う」


 向こうとここでの年の数え方が同じではないかもしれないから定かではないとも言った。

 そしてそれは目を覚ましても、夜眠る度に向こうへ行き、平和な日本とかけ離れた生活を送っていたらしい。


 向こうでの森君は、小さい頃から習っていた空手と能力増強の魔石を駆使し、それはそれは強い切り札になったという。

 時にはパーティを組み、旅をして修練を積み、時には羽を休めて色々な遊びに手を出す。

 だけど常に戦いに身を置く立場故に、夜襲や奇襲は日常茶飯事であり、気が休まる日はなかったと首を鳴らした。


「……だからかな、家で1人で眠れなくなったのは。眠れば向こうへ行く、だけど身体はこっちにあって、それが気が気でなくて眠る所ではなくなった。こっちでは数時間の事なんだろうけど、何日も放っておく気分は慣れなくて。随分眠れない日々が続いたよ。だけど流石にずっと続かなくてな、案の定ある日授業中に大爆睡だ」

「先生に起こされなかった?」

「勿論起こそうとしていたらしい。だけど揺らしても叩いてもビクともしなかったらしいぞ」


 この身体だしな、と胸を叩く森君に、思わず笑ってしまった。


「自分でも驚いた。こんなに気持ちよく眠れる日が来るとか思わなかった。……それからだな、学校で寝て、夜家で勉強する事を覚えたのは」


 身体が大きな森君。

 力が強い森君。

 それでも家ではなく教室の真ん中で眠るのは、周りに戦えない普通の人がいる事で安心出来るからなのだろう。

 私の腕を掴んだあの時の表情の意味が、よく理解出来る。


「あっちの話とか、色々な事情とか言ったりしなかったの?」

「言ったけど時期が時期だったからな。思春期のよくある事で済まされたさ。それに……」

「それに?」


 そこで一旦私の方をじっと見て、軽く目を細めた。


「普通はこんな事言っても、誰も信じないからな」


 と、唇の端を上げる。

 普通、と強調された気がする。

 私が普通じゃないと言いたいのか、森君。

 意地悪気な森君の表情に、年相応さが見え隠れした。


 少しは彼の懐に入れたのかと、欲張って少し足を踏み入れてみる。


「……今は?」

「え?」

「今もまだ眠るのは怖い?」


 じっと彼の回答を待つ。

 何かを期待して。

 彼は一度目を瞬き、そして口を開く。



「今は……君が後ろの席だから、この前みたいにいつ寝首をかかれるか心配だな」



 上手くはぐらかされた気がした。







「何見てるの? 千秋」

「んー……」

「ああ、森君? ほんとデカイよねぇヤツ」


 男女別の体育で、男子はサッカー、女子はソフトボールをしていた。

 友人に投げられた球を取り損ね、拾うフリをして休憩している所、寄ってきた友人に見つかって肘置きにされた。


「クマクマしくておっかなくて近寄れもしない。よくあんた近寄れるね」

「あはは」

「でも最近なんだろね、野獣の熊が飼育された熊みたいにソフトになった気がする」

「そうなんだ?」


 友人と一緒に森君を見ると、はしゃぐ男子の隅で見守るかの如く微笑んでいる姿があった。







「ふむふむ。それでグランツさんはどうしたの?」

「……」

「森君?」


 折角森君達が湖の中深く潜った死獣を追い詰めたはいいけど、グランツさんはカナヅチなせいでガタガタ震えていたとの事なのに、何故か続きを言う口を閉ざしてしまった森君。

 横顔を覗いてみると、瞳の動きだけで私を視界に入れた。


「……つまらなくないのか?」

「え? 全然」

「……」


 今からがいい所だったのに、どこをどうしたらつまらないなんて事になるのか。

 早く続きが聞きたくて仕方がないのに。


 あ、まさか私が女子だから気を使ってくれたのだろうか?

 でも逆に恋バナ……しかも森君のものも出てこないからホッとしている。

 同級生として、大人の恋人だの結婚しただの言われたらその、反応に困るし……! それだけであって深い意味はな、い!

 だから話は専ら戦か鍛錬か旅の話ばかりで、色んな所を転々としているからとても興味深いのだ。


 っと、そんな事はいいから早くグランツさんの続きをと森君に強請れば。

 私を見る目を細め、再び前を向いて窓の外を眺めた。


「あー……なんだっけ。忘れた」

「ええっ!? グ、グランツさんガタブルどうしたの!?」

「その日の夜の星祭の屋台は美味かったな」

「ちょっと森君ーーーっ!!?」






 期末試験が終わってそろそろ冬休みを迎える頃、私を見る彼の目が最初と比べて厳しくなっている事に気がついた。

 どうしてだろう。

 慣れてくれたのではなかったのだろうか。

 それとも後ろから見過ぎているのがバレてしまったのだろうか。

 逸る心臓を押さえ、人気のなくなった教室で聞いてみた。


「森君、私何かした?」


 いつものように外を見ている森君の横顔を眺めながら。

 そしてこちらを見る事もなく、唇だけ微かに動く。

 それは音にはならず、聞こえなかったけど。


 たった2文字、私には見えた。



 “した”



 かなり衝撃を受けた。

 そして今までの自分の行動を思い出し、思い当たる節が多すぎて参った。

 常に自分の興味本位で森君に付きまとっているのだ、“何かしている”しかない。

 無理に話を聞き出すべきじゃないのかもしれないと、これからの自分の行動を考えなければと思っていると、再び森君が口を開く。

 今度は音になって聞こえた。


「……こっちと……時間経過が違う、って前に言ったよな」

「うん」

「こっちでは数時間しか経っていなくても、あっちで過ごす時間はとても長いんだ」

「うん。大変だと思う」


 率直な感想を述べた。

 すると森君は少し笑った。

 まるで答えが間違っている子供に諭すように。


「最近はそれが少し辛い」


 珍しい森君の弱音。


「どうしたの?」


 話してくれたという事は、私にも何か出来る事があるのかもしれない。

 聞き返せば、空を映していた瞳を隠した。


「―――3日も過ぎれば、君の顔が見たくなるんだ」


 そう呟いて、さっさと教室を出て行ってしまった。

 明日から冬休み。

 森君とは来年まで会えない。


 学校が休みの時は大丈夫なのだろうか?


 私の携帯のメモリに森君の名前はない。

 夜寝る私と、夜起きている彼。

 私達のリズムが交わるのは放課後のあの時だけ。

 だから特に聞かなかった。聞けなかった。


 ちゃんと眠れているだろうか?



 部屋で1人除夜の鐘を聞いていると、ふと森君の顔が見たくなった。




 短いようで長く感じた冬休みが終わり、皆各々の食事の影響を及ぼしたツヤツヤとした顔を合わせている中。

 ひときわ濃くなったクマを携えて出てきた森君に、胸が締め付けられた。

 目が合った瞬間、凛々しい顔をくしゃりと歪めるのを見て、私は走った。

 そして。


「森君のケー番とメアド教えて」


 そう言った私に、何故か森君は笑った。







 窓の外が白く覆われても、席替えがあって離れてしまっても、卒業の2文字がちらついて周囲が慌しくなっていても、私達の関係は変わらずにいた。


 私は大学、森君は就職が決まっていて、ゆったりとした気持ちで放課後の冒険談に花を咲かす。

 ここ数ヶ月で私のノートも何回か変わり、今日もまた新しいノートを広げた。

 まっさらなノートを見て、腕を置いておくせいでふやけて書き辛くなって幾度となくイラつく事もあったのが懐かしい。

 ポケットに入れてあったホッカイロを手に取り、マフラーをぐるぐる巻きにして寒さを凌ぐ。あまり贅沢にストーブは使えないのだ。


「寒いなら違う場所に行こうか?」

「いや。ここでいいのです」


 定位置の森君の席の後ろの誰かの席に、勝手に座らせて貰っているヤツの台詞ではないが。

 ここじゃないといけない気がしたのだ。


「最後くらい暖かい場所でもいいと思うんだが」


 明日から自由登校。

 3年生というものは楽なものだ。

 そして1ヶ月休んで、卒業式の日に登校。

 実質今日で彼の話を聞くのは最後だ。


「……どうしたの? 今日、何かあった?」


 大人びていた顔が、珍しく年相応に戻っているように見える。かなり控えめだが、自分を主張するのがその証拠だ。

 私がそう聞くと、ぐっと喉を詰まらせて唇をやんわりと噛んだ。

 いつも窓の外を見て話す彼の、視線は床に落とされている。

 ああ、もしかして。


「……グランツが死んだ」


 予想が当たった。

 グランツさんというのは、彼があちらの世界に行った時からの大親友だ。

 喧嘩っ早くて、ガサツで、でも人情に厚く、まだ世界に戸惑っていた彼の心と身体を幾度となく助けてくれた人。


「……戦の中で……死ぬのは本望だって言ってたしな」


 彼の話の中で1番名前が出てきていた人だった。

 やれヤツがどうした、ヤツがこうした、と珍しく口で悪態をつくものの、それが楽しくて仕方がないという風に語ってくれた。

 何十年と一緒に戦った戦友。


「……結構、堪えるな……これ……っ」


 最後の方は声が震え、手を伸ばして森君の肩を掴んだ。

 見られたくないとばかりに顔を逸らしたけど、頬を伝う涙は床に落ちていく。

 震える大きな手で顔を覆い、微かに聞こえる程度の嗚咽が耳に届いた。


「ごめんね、森君」


 ノートを閉じて森君の前に立った。

 立てば森君の顔が直ぐ目の前にある。

 両手を伸ばしてその大きな身体を抱きしめた。


「……ごめんなさい、森君。私……こういう時、どうすればいいか分かんない……っ」


 首に当たる森君の顔が1つ横に振られる。

 そして『俺も分からない』と呟いたきり、再び嗚咽が漏れていった。







「俺は何の為にあっちにいるんだろう。あっちで生きている事は確かな筈なのに、こっちに帰ってくると、それが夢のように消えている。友人も親でさえも、俺がこの手で何をしたかも知らない」



 ぎゅっと拳を握り締める。

 力強い拳とは反対に、身体は力なく見える。


「記憶も経験もあるけど、実感だけはすり抜けていく。どちらが現実か、たまに分からなくなる」


 人も、死獣も、沢山その手にかけてきた事は私も知っている。

 一介の中学生男子が背負うにしては重すぎる物を、森君は何十年も背負ってきたのだ。


「グランツが死んで、きっとユフェイルもセリスも、あの国の皆も遠くない未来いつか死ぬんだろう。……勿論俺も。そうなったら記憶は消えるのかとか、今までしてきた事に意味はあるのかとか、最近下らない事ばかり考えている」


 私は生きてきたこの18年の中で辛い事も苦しい事もあったけど、森君の前では何の自慢にもならない。

 だけどこの、同級生の森君を、助けられる人になりたいと思うのは、高慢だろうか。


「ねぇ、森君」


 自分の席に座っている森君の目の前に、溜まったノートを差し出した。


「? 何だ、これは……?」

「これ、今まで森君の話を聞いてたメモなんだけど」


 横文字とか、国とか、相関図が覚えられなくて、メモ代わりに取っていた物が、段々全ての物語を記していくようになっていた。

 忘れないように、近づけるように記したもの。

 私達の数ヶ月と森君の人生が入っているのだ。


「……本当は、今日で終わりだから全部森君に返そうと思っていたの。だって、森君のあっちでの全てが入っているし、なんていうんだろう、プライバシー保護法みたいな?」

「自分で言ってたからプライバシーも何もないだろ」

「あ、それもそうか」


 はは、と小さく笑う森君の声が近くに聞こえる。


「だけど、やっぱり私が貰ってもいい?」


 差し出したままで本人が手に取らないノートを、自分の胸に引き寄せた。

 それを咎める事もしないけど、疑問の篭った目で見られる。


「……そんなの貰ってどうするんだ?」

「小説を書きたい。あ、小説っていうか、伝記になるのかな?」

「はぁ?」


 珍しい森君の気の抜けた返事に、また違う一面が垣間見えて嬉しくなった。


「あっちでの森君の活躍を書き残すの。森君の格闘戦士としての伝説、伝記というやつを! 伊達に真剣に話を聞いていた訳じゃないから―――って、や、やっぱりそうやってネタにするような事、失礼だったよね……!」


 目を丸くして動かない森君が見えて、慌てて謝った。

 森君の為に何かしたいと思った結果がこれだったけど、一般人の私には、彼との接点はこれしかないのだ。

 再びノートを目の前に差し出すと、それを手で制された。


「あ……、いや、それは別にいいが……。それ、君の得には一切ならないよな? 下手したら君の黒歴史になるだけじゃ」

「そんなの誰にでも1つや2つあるものだよ。それに」


 ページを捲れば、沢山の人の名前が書き連なっているのが見える。


「文章にしたら、グランツさんも、皆、ずっとこっちで生きている感じがする」

「生きている……、か。中々ロマンチストだな」

「へへっ。物書き志望ですから。……ていうか私だけ部外者だから悔しいんだもん。こんなに皆の事知っているのに」


 明日から会えない。

 それは軽く1ヶ月続くのだ。

 その思いと卒業の文字が頭を過り、口を出さずにはいられなかった。


 ノートにしたためるだけじゃ物足りなくて。

 その文字の羅列の人生に、片隅でもいいから私も関わりたい。



 寝ても覚めても森君の事ばかり考えているのだ。 



「だからね、森君。まだまだこれからも森君の話が聞きたいの」


 視界いっぱいに森君の顔を映せば、変な緊張で強張っている自分の顔が見える。

 耳まで赤くなっていてとても恥ずかしい。

 それでも負けずに黒い瞳を見ていると、いつかのグローブのような手で自分の顔を覆い、反対の手の平を私に見せた。


「……あのな」

「うん」

「俺の中身は何十歳ていう老人で、君とは大分年が離れているんだぞ」

「うん。だけどこっちでは全然支障はないよね。戸籍上同い年だもの」

「というか、そもそも話自体が嘘かもしれないだろ」

「どっちでもいいよ」


 作り話でも、本当の話でも、私が過ごしてきた時間は本物なのだから。

 育ててきた気持ちは夢ではない。



「……君は、本当に不思議な子だな、小熊さん」



 褒め言葉として受け取っておこう。


「森君に言われたくないよ。それで1つ提案があるんだけど」

「何?」



 いつか、あちらでの幕引きがあるのかもしれない。

 全ての記憶を失ってしまうのかもしれない。



 それでも。

 そのどんな時だって、目が醒めた時に私が1番最初に迎えたい。




 こっちでの人生を、私が覚えていたい。

 知って生きたいのだ。






「試しに今日、私と一緒に寝てみませんか?」









「……ん? 朝か。……なんだこれ。応募……要項?」



 大学に入って昼夜逆転している彼女が、いつの間にか自分のベッドの中に入ってきている。

 閉じられた目の下にはクマが出来ていて、きっと朝方まで小説を書いていたのだろう。

 机の上のプリンタがカタカタ動いて、文字が打たれた紙が出てきている。


 そして何故か自分の顔の上に紙が張り付いていて、取ってみれば彼女の名前とここの住所が書かれていた。


 寝る直前まで考えてぶっ倒れたのだろうか。まぁいつもの事だ。

 覆いかぶさるように寝ている彼女をどかし、自分が今いた所に入れて布団をかけてやる。

 未だカタカタ動いているプリンタの音を聞きながら、コーヒーの電源をセットしてから床に座った。


 印刷された紙を上から見ていると、どうやら本当に伝記なるものを書いていたようで、その文章の中は見知った名前しかないから少し変な気分だ。

 思わず緩んだ頬を引き締めて、応募要項の紙を机に置くと、タイトルと書かれた項目が目に入った。


「……眠れる森のクマ……」


 何か違う物を想像してしまい、妙な気分になった。

 自分がそう呼ばれていたのは知っていたけど、しかし“熊”と“クマ”をかけてドヤ顔している彼女の姿がありありと想像出来る。

 というか美女とすり替えるのはマイナスポイントじゃないだろうか。


 つけた本人の方を見れば、布団が上下しているだけで、本当にこのままいくのが窺い知れる。


「……」


 部屋を見渡し、傍らにあったボールペンを手に取って、既に書かれているタイトルに付け足した。



“眠れる森のクマさん”



「よし」


 見つからないうちに先に封筒に入れて、後は手伝っておいたと言っておけば大雑把な彼女はそのまま印刷物を入れて送るだろう。


 もし賞を取った時に、取れなくても合否は返ってくるだろう、その時に思い知ればいい。




 俺が十数年も想っている君を逃がさないという事を。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ