01/12 Wed.-1
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珍しく、朝がカイトに優しかった。
大体、その存在は彼にとってずっと敵であり続けた。
朝が苦手で、いつも苦しめられてきたのだ。
しかし、最近は違う。
朝というものは、目が覚めるということであり、そして、彼女に出会うことが出来るというスタート地点でもあったのだ。
だから、メイのいる朝は、だんだん彼にとって違う意味を持つようになってきていた。
そうして、ついに。
何かに引かれるように、彼はすっと瞼を上げたのだ。
メイが―― すぐそこにいた。
うぅ。
あどけなく眠るその顔を見てしまった瞬間、身体が彼女をぎゅっと抱きしめたがった。
しかし、唸るようにしてこらえる。
まだ、メイはぐっすり眠っているのである。
いまの彼の衝動で抱きしめると、彼女を起こしてしまいかねなかった。
だが、もう少し側に寄るくらいなら問題がないかもしれない。
もっと近くに。
カイトが、身体をよじるように近づけようとした時。
「ん……」
もぞっと、メイが動いた。
そのはずみで、布団からこぼれ出る素肌の肩。
白い、というのがはっきり分かるくらいに明るかった。
窓にはカーテンがしてあるので、正確な時間は分からないが。
カイトは、布団をかけなおしてやろうと片腕を出した。
「んー…」
すると、まるで彼女は子犬のような仕草で温かさを求めるように、カイトにすりついてきたのだ。
普通よりもちょっと高い睡眠中の体温が、カイトに触れる。柔らかい素肌の感触。
昨夜も一度見せた、その安心しきった愛しい行動に、本当に彼女を起こすほど強く抱きしめそうだった。
そっと腕を回す。
ここでこらえる。
けれども、その行動にメイは反応さえしない。
まだ、深く眠っているようだ。
こんな寝顔が見られるのは、本当に嬉しかった。
いつもメイの方が、起床は早いため、それを全然知らないのだ。
ということは、彼女に寝顔を見られているのだろう。
どんなマヌケ面で寝ているのかと考えると、余り面白いことではなかった。
メイも、もう少し寝坊をしていいのだ。
そして、カイトにこんな気持ちを、味わわせて欲しいのである。
そんな時。
階下で。
車の音がした。
ん?
カイトが眉を顰めた瞬間。
ぱちっ。
腕の中のメイが目を覚ました。
「え…?」
一瞬、何もかも分からなくなったかのような茶色の目が、カイトを映す。
起き抜けによくある現象だ。
その瞳が、ぱっと違う方を向いた。
枕元だ。
カイトも、つられてそっちの方に頭を動かそうとした。
が。
「きゃー!!!!!!!!!!!!」
腕の中のメイが、大きな悲鳴を上げたのだ。
カイトはびくっとして、枕元を見た。
時計だった。
8時10分。
シュウが―― 出かける時間だ。
ということは、さっきの車の音は、階下の男である。
そして、彼らはまだベッドの中にいた。
そう。
見事な寝坊だったのだ。
「ど、どうしよう…ええ、えっと、朝ご飯!」
メイは起き上がるなり、ベッドから飛び出そうとした。
「きゃー!!!!!!!!!!!!」
しかし、また悲鳴になって戻るだけだった。
彼女は、まだ何も着ていない状態だったのだ。
「いい、寝てろ」
慌ててカイトは、彼女をぎゅっと布団の中に押し込むなり、1人でベッドから出た。
何も着ていないのは、彼も一緒だ。
暖房は効いているが、やはりこんな格好で長くいて平気なワケじゃない。
それに、早く用意を済ませないと、本当に遅刻だった。
あのシュウに、結婚してたるんだなどと言われないためにも、彼は遅刻するワケにはいかなかったのである。
着替えをとっ掴むと脱衣所に駆け込み、身支度を2分で済ませた。
おかげで洗面所は水浸しになったのだが、彼はそれに気づかずに、急いでシャツのボタンを止めながら部屋の方に戻ったのである。
メイは、起き上がっていた。
正確には、引っぱり出した毛布にくるまったまま、身体を起こしているだけだ。
心配そうな目で、出てきたカイトを見ている。
寝坊して朝食も間に合わず、カイトまでも遅刻させそうになったことを、きっといまごろ後悔しているのだ。
んな、ツラすんな!
大股で、そんなメイの方に戻りながら、カイトは言葉を考えていた。
「遅刻は、しねぇ」
けれども、出てきたのはそんな味気ない言葉。
これくらいで、メイを安心させられるとは思わず、彼は余計に顔を顰めてしまった。
慌ててその表情を消すように、彼女の目の前に立つ。
それからベッドに片膝をついて身をかがめた。
そうすると、ベッドの上に座っているメイとは、そんなに身長差を感じなくなる。
この時間のない時に、何故わざわざベッドまで戻ってきたか。
それは、メイにしてもらわなければならないことがあったからだ。
朝食の時間はなくても、これだけはカイトだって失いたくない時間。
「あ…」
メイも、何を待っているのか分かったのだろう。
毛布の隙間から、白い腕を出してきた。
「きゃっ」
両手を出そうとしたものだから、毛布が落ちそうになって、メイは慌てて押さえる。
今度は、脇で毛布を押さえるようにしながら、両手を出してきた。
そう。
ネクタイは、まだ蛇のまま、ぶらんと首にぶら下がっていたのだから。
きゅっ。
彼女の指先が喉元まで上がってきて、ネクタイはきちんと所定の位置に納まった。
「はい……気をつけて…今日は、ごめんな…」
メイが、いろいろ言おうとしている。
しかも、また謝ろうとしている。
カイトは、ばっと彼女の方をきちんと向き直ると、強く唇を重ねた。
聞きたくない言葉を飲み込むためだ。
「行ってくる」
唇を離すなり、身を翻してカイトは部屋を出ていった。
あんまり早く出過ぎて―― 行ってらっしゃいさえ聞くことが出来なくて、カイトはすごく損をした気分を味あわされたのだった。