01/11 Tue.-13
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きゃー!!!
ドアが開く瞬間―― メイは、声にならない悲鳴をあげた。
ギリギリまで往生際悪く、『まさか、そんな』と思っていたために、ついにその時が来るまで、覚悟を決めているヒマがなかったのである。
慌てて、振り返っていた顔を、元に戻すので精一杯だった。
お湯を止めたままのシャワーヘッドを握りしめて、メイはカチンコチンに固まってしまったのだ。
ど、ど、ど、ど、どうしようー!!!
サイフとパスポートをすられて、異国の見知らぬ地に立ちつくすのと、いまの気持ちとどっちがとんでもないだろうか。
それくらい取り乱していた。
いや、元はと言えば、自分から言い出したことである。
後で、はっと我に返ったとしても。
だから、カイトも入ってきたのだ。
あんまり間が空いていたので、今更入ってくるとは思ってもみなかったのだが。
自分から誘ったメイが、こんなに取り乱したら、彼は変に思うに違いなかった。
背中の方で確実にドアが開いて、誰かが入ってくる足音がした。そして、ドアが閉められたのである。
間違いなくカイトで。
それで。
一緒に入る気なのである。
そ、そんなぁ。
メイは身体を洗っている最中だ。いまはまだ、泡に助けられて全身を見られることはないだろう。
しかし、いつかは洗い流さなければならない。
その上、髪も洗わなければならないのだ。
それを―― カイトの視線の目の前でやらなければならないのである。
こんな、素肌をさらしたまま。
後ろの気配が動く。
ビクッッ、と反射的に震えてしまったが、彼は近付いてこなかった。
ばしゃん!
まるで。
大きな魚が生け簀で跳ねるような音がした。
後ろではない。
横だ。
え?
慌ててメイが、そっちに目をやると。
カイトが、バスタブの中にいるのが分かった。
そうして―― 壁の方を向いているのが、分かった。
素肌の、首、肩、腕、背中。
メイは、驚いてしまって、ついマジマジと彼の姿を見てしまった。
湯から上に、はみだしている部分だ。
はっ!
慌てて視線をそらす。
そうして、慌てて身体を洗う続きに入った。
カイトが。
わざと、視線をそらしてくれているのが分かった。
彼女の恥ずかしい気持ちを、分かってくれたのだろうか。
急いで身体を洗ったり、髪を洗ったりして交代しないといけない。
カイトだって身体を洗いたいに違いないのに、彼女がここを陣取っていたから、しょうがなくそっちに行ってしまったのだろうから。
お風呂、というのは―― つくづく一人で入るのに適している場所だということが分かる。
何もかもが、二人用というには小さいのだ。
洗い場も、湯船も。
二人でバスタブを使うには、くっついていなければならない。
や、やだ。
自分の考えてしまったことに焦って、彼女は大慌てで身体を流した。
その途中で、ちらちらとバスタブの方を見る。
しかし、やはり彼は顔をそらしたままだった。
髪を。
この期に及んでも、彼女はやはり右手を濡らしたくなかった。
そこにカイトがいる。
その事実に混乱や緊張や、いろんなものがロープのように絡まっているというのに、右手を極力使わないようにして頭を洗ったのだ。
いつもなら、リンスをしてからしばらくおくのだが、今日はそんなヒマもなく、ざばっと流す。
しとしとと滴る髪の水滴を払うと、彼女はもう一度、ゴムで髪をまとめ上げた。
最後に身体をシャワーで流して、顔を洗って、それから、洗い場を流して。
忙しく、カイトと交代するための作業を続けながら、メイは彼の方を見た。
身動きもせずに、彼はそこに沈んだままだった。
こ。
交代、しなきゃ。
全部終わってしまったメイが、声をどうかけようか迷う。
もう当初の目的のように、このままお風呂から上がればいいのかもしれない。
そうすれば、 カイトだってゆっくりお風呂を満喫出来るのである。
「あ、あの……私、もう」
身を縮ませたまま、メイは立ち上がると、外に向かうすりガラスのドアに手をかけた。
ばしゃん!
瞬間。
また、生け簀が跳ねた。
きゃあ!!!
また、悲鳴を飲み込む。
いきなり彼が大きな音を立てて動いたからだ。
いや、いまのメイには、微かな風の音さえも幽霊の声に聞こえるだろう。
「つかれ!」
後ろの方から声がした。
そっと振り返ると、カイトが洗い場の前で、シャワーを持ったまま背中を向けている。
彼の素肌の背中が、バーンと大アップだ。
濡れた肌に、バスルームの明かりが反射している。
その瞬間、身体がぽぉっとなった。
更に、意識が混沌の中に沈んでしまう。
あの、でも、そんな。
メイは、いろいろと言おうと努力した。
しかし、もし彼の言葉を拒否したら、今度は本当にこっちを向かれてしまいそうだ。
メイは、オモチャの兵隊のようなカチカチの動きで、バスタブの方に向かう。
ぱしゃん。
湯船に、足の先を入れる音。
彼女の場合は、小魚か。
熱いお風呂であったことが、それで分かった。
熱いのが好きなのかな。
一つ、彼の好みを知ったような気がした。
メイだったら、ちょっと水を足したいくらいだ。
お風呂の湯を入れる時、食事とかいろいろ間に入るので、冷えないようにと、かなり熱めのお湯を入れておいたのである。
後から追い炊きしなくてもいいようにと。
しかし、冷める速度の方が遅かったようである。
メイは、水を足さなかった。
ちょっと熱かったが、我慢してつかっていた。
理由は―― 身体を洗い終わったら、またカイトがつかりに来るからである。
その時に、変にぬるかったら、イヤな気持ちになるんじゃないかと思ったのだ。
彼女は。
右手だけは、お湯につけないようにしながら、カイトがそうしていたように、視線を壁の方へと向けていた。
洗い場では。
やはり、大きな魚を生け簀から、網ですくうような音がしていた。
バシャバシャ、バチャバチャ。
どれが身体を洗っている音なのか、髪を洗っている音なのか、さっぱり聞き分けができない。
しかし、あまりそっちの方を意識しないようにしておく。
でないと、具体的に想像してしまいそうだったのだ。
そんな危険な真似、出来るはずがなかった。
さっき、彼のあの背中を見てしまっただけで、ぽぉっとなってしまったのだ。
頭の中に、そんな映像が合成されたら大変である。
一緒にお風呂に入るって、こういうことなのかな。
熱い湯船のせいで、ますます真っ赤になりながら、メイはそんな風に思った。
世界中の人が、みんなこんな緊張感で一緒にお風呂に入っているのだろうか。
それとも、すぐに慣れてしまうのか。
そんなことを考えていたら、自分に薄暗い影が落ちた。
我に返った時には、もう生け簀の水音がしていなかったのだ。
ということは、いま自分にかかっている影は―― カイトのものなのである。
また、つかりに来たのだろう。
その作業工程が、彼女の予想以上に速かったので、次のことを考えるヒマがなかったのだ。
どうしようぉぉぉ。
交代するべきなのだ。
しかし、いまバスタブから出ると、メイは彼の目の前に身体をさらしてしまうことになる。
もしかしたら、また視線を逸らしてくれているのかもしれないけれども、それを確認することが出来なかった。
何しろ、すぐそばにカイトの素肌もあるのだから。
こんな間近で明るいところで、しっかりと見てしまったら、自分がどうなってしまうか分からなかった。
だから、身動きも取れないままだった。
出なきゃ!!
覚悟を決めた。
身体は見られてしまうかもしれないけれども、きっと一瞬だ。
急いで脱衣所まで逃げれば、本当に一瞬で済むはずだった。
ばしゃっ。
メイは視線をそらしたまま、身体を湯船から持ち上げようと身体を浮かしかけた。
しかし。
カイトの身体が動いた。
出ようとして空いた隙間に、カイトが湯船に足をつっこんだのだ。
彼女が逃げ出そうとするよりも、先の動きである。
そして―― 彼の手が、もう一度、彼女を湯船に引きずり戻したのだった。
ええー!!!???