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12/22

01/11 Tue.-12

 そこを去りがたく、ついついカイトはドアに背中を押しつけたまま、グズグズとしていた。


 別に、着替えをしている音を聞きたいとか、そういうことではなかった。


 風呂、という日常の義務のような作業に、彼女を奪われてしまったことが悔しかったのだ。


 再びメイが、このドアを開けて出てくるまで、カイトは一人で時間をつぶさなければならないのである。


 仕事をすることだって出来た。


 開発の仕事は、山ほどあるのだ。


 机に置いてあるノートパソコンに電源を入れ、ネットをつなぎ、仕事をすればいいのである。


 しかし、まだそれに落ち着いて向かい合えないような気がした。


 早く彼女の存在を、空気のようにしてしまわなければいけない。


 でないと、本当の日常生活を送っているという気にはならないだろう。


 なのに、本当にそんな日が来るかどうか、まったく彼には分からなかった。


「あの……」


 そんな彼に、ドアの向こうが声をかけてくる。


 メイの方も、まだそんなところでグズグズしているのだ。


 早く入れと、もう一度言おうとしたが、それよりも彼女の言葉の方が早かった。


「あの……よかったら、一緒にはいりま……あっ!」



 あぁ?



 一緒にはいりま――?



 はいりま――?


 呆然とするばかりだった。


 彼女の言った言葉を、もう一度身体の中で反芻しようというのに、CPUにがっちりとロックがかかってしまったように出来なかった。


 しかし、事態は進展していく。


「あ、ごめんなさい…いやですよね、そんな。すみません…急いで入りますから」


 後方のドアが、そんな風に慌ててしゃべったかと思うと、ばさばさと服を脱ぐような音に変わったのである。


 キィ、ともう一つのドアが開くような音がして、そして、バタンと閉じた。


 それから、5分。


 ようやく、カイトは氷づけの仮死状態から、生き返りつつあった。


 何…だって?


 カイトは、まだドアの前。


 いろんな情報が追加で入っていたものの、それを処理するよりもCPUのロックを、解除する方が先だったのだ。


 彼女が、完全に言い終わらなかった言葉。


 おそらく。


 一緒に入りませんか?


 そう言おうとしたのだろう。言葉の流れ的には、一番自然だった。



 BOMB!!!



 理解した途端、いきなり心臓が破裂した。


 まさか、そんな申し出を彼女にされるなんて思ってもみなかったせいで、心臓が溶岩のように熱い血を送り出すのだ。


 彼女は、風呂に一緒に入らないかと誘ったのだ。


 これが平静でいられるか。


 確かに、彼らは結婚した。


 だから一緒に風呂に入ろうが、一緒のベッドで眠ろうが、誰からも文句を言われることはない。


 思い返してみれば、彼の両親もよく一緒に風呂に入っていた。


 息子であるカイトは、別にそれについて変だ、なんて思ったことなんかない。


 ということは。


 自分も、メイと一緒に風呂に入っても、別に問題なんてないのだ。


 が。


 たとえ理屈ではそうであったとしても、それを本当に自分が自然に出来るか、と言われると、まったくダメだった。


 いまの心臓の状態を見れば、一目瞭然だ。


 今度は、いきなり心臓に火がついた。


 さっきまで凍り付いていたとは思えないくらい、一気に燃え上がる。


 この気持ちは、イヤとは違う。


 そうではないのだ。


 ただ、そんなことをしたら、自分の理性がちぎれとびそうな気がするのだ。


 かなりの高い確率で。


 ちぎれ飛んでしまったら、その場所ですごいことになってしまうかもしれない。


 もしそんな真似をしたら、メイにイヤな思いをさせてしまうかもしれないのだ。


 軽蔑されるかもしれない。


 そんなこと、耐えられなかった。


 しかし。


 このままカイトが入らなければ、彼女は『やっぱりイヤだったのよね』と誤解をするだろう。


 そんな誤解もまた、彼は腹立たしいのである。


 となると。


 クソッ!


 カイトは、自分の理性にガチガチに鎖をかけながら、勇気を出してそのドアを開けた。途端、はっきりと聞こえる水音。


 脱がれた衣服は、カゴの中にちょこんと入っている。


 カイトは、ばっと視線をそらした。風呂場のスリガラスも、カゴも。


 そして、顔をそらしたまま、服を脱ぎ始めたのだ。


 できるだけはっきりと、音をさせるようにしながら。


 自分がここにいるということを、アピールしたのである。


 でないと、いきなりドアを開けて、メイに悲鳴をあげられてしまうかもしれないのだ。


 そうなれば、カイトは悪者だった。


 バサバサと服を脱ぎ捨てる。


 バックルの音が妙に反響するような気がして、カイトは顔をしかめた。


 そんなんじゃ。


 そんなんじゃ、ねーんだからな。


 ひたすら、自分に言い聞かせる。


 何度も何度も言い聞かせる。


 これは、彼女が誘ってくれたことであり、自分もイヤではないことであり。


 一緒にいるためのことであり―― とにかく、そういうことではないのだ。


 全部脱いでしまったカイトは、喉元まで上がってくる心臓を飲み下し、ついにすりガラスの扉の前に立ったのだ。


 ぼんやりと、そのドアの向こうにメイがいるのが分かる。


 身体の部分が白いのは、洗っていた途中だったせいか。


 とにかく、そこに彼女がいるのだけは、カイトにだってはっきり分かった。


 ドアに手をかける。


 ガチャリ。


 勇気を持って、ドアを開ける。


 視界には、薄くもやがかかっていた。湯の張ってあるバスタブが、ゆらゆらとゆらめいている。


 視界に、メイはいなかった。


 そう。


 彼は、顔を横にそらしているのだ。


 そういうのではないのだから、マジマジと彼女の身体を見るワケにはいかなかったのである。


 そんなことをしようものなら、絶対に自爆だ。


 このガチガチの鎖つきの理性を、吹っ飛ばされかねなかった。


 だから。


 中に入るなり、カイトはバスタブに直行したのであった。

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