01/11 Tue.-12
□
そこを去りがたく、ついついカイトはドアに背中を押しつけたまま、グズグズとしていた。
別に、着替えをしている音を聞きたいとか、そういうことではなかった。
風呂、という日常の義務のような作業に、彼女を奪われてしまったことが悔しかったのだ。
再びメイが、このドアを開けて出てくるまで、カイトは一人で時間をつぶさなければならないのである。
仕事をすることだって出来た。
開発の仕事は、山ほどあるのだ。
机に置いてあるノートパソコンに電源を入れ、ネットをつなぎ、仕事をすればいいのである。
しかし、まだそれに落ち着いて向かい合えないような気がした。
早く彼女の存在を、空気のようにしてしまわなければいけない。
でないと、本当の日常生活を送っているという気にはならないだろう。
なのに、本当にそんな日が来るかどうか、まったく彼には分からなかった。
「あの……」
そんな彼に、ドアの向こうが声をかけてくる。
メイの方も、まだそんなところでグズグズしているのだ。
早く入れと、もう一度言おうとしたが、それよりも彼女の言葉の方が早かった。
「あの……よかったら、一緒にはいりま……あっ!」
あぁ?
一緒にはいりま――?
はいりま――?
呆然とするばかりだった。
彼女の言った言葉を、もう一度身体の中で反芻しようというのに、CPUにがっちりとロックがかかってしまったように出来なかった。
しかし、事態は進展していく。
「あ、ごめんなさい…いやですよね、そんな。すみません…急いで入りますから」
後方のドアが、そんな風に慌ててしゃべったかと思うと、ばさばさと服を脱ぐような音に変わったのである。
キィ、ともう一つのドアが開くような音がして、そして、バタンと閉じた。
それから、5分。
ようやく、カイトは氷づけの仮死状態から、生き返りつつあった。
何…だって?
カイトは、まだドアの前。
いろんな情報が追加で入っていたものの、それを処理するよりもCPUのロックを、解除する方が先だったのだ。
彼女が、完全に言い終わらなかった言葉。
おそらく。
一緒に入りませんか?
そう言おうとしたのだろう。言葉の流れ的には、一番自然だった。
BOMB!!!
理解した途端、いきなり心臓が破裂した。
まさか、そんな申し出を彼女にされるなんて思ってもみなかったせいで、心臓が溶岩のように熱い血を送り出すのだ。
彼女は、風呂に一緒に入らないかと誘ったのだ。
これが平静でいられるか。
確かに、彼らは結婚した。
だから一緒に風呂に入ろうが、一緒のベッドで眠ろうが、誰からも文句を言われることはない。
思い返してみれば、彼の両親もよく一緒に風呂に入っていた。
息子であるカイトは、別にそれについて変だ、なんて思ったことなんかない。
ということは。
自分も、メイと一緒に風呂に入っても、別に問題なんてないのだ。
が。
たとえ理屈ではそうであったとしても、それを本当に自分が自然に出来るか、と言われると、まったくダメだった。
いまの心臓の状態を見れば、一目瞭然だ。
今度は、いきなり心臓に火がついた。
さっきまで凍り付いていたとは思えないくらい、一気に燃え上がる。
この気持ちは、イヤとは違う。
そうではないのだ。
ただ、そんなことをしたら、自分の理性がちぎれとびそうな気がするのだ。
かなりの高い確率で。
ちぎれ飛んでしまったら、その場所ですごいことになってしまうかもしれない。
もしそんな真似をしたら、メイにイヤな思いをさせてしまうかもしれないのだ。
軽蔑されるかもしれない。
そんなこと、耐えられなかった。
しかし。
このままカイトが入らなければ、彼女は『やっぱりイヤだったのよね』と誤解をするだろう。
そんな誤解もまた、彼は腹立たしいのである。
となると。
クソッ!
カイトは、自分の理性にガチガチに鎖をかけながら、勇気を出してそのドアを開けた。途端、はっきりと聞こえる水音。
脱がれた衣服は、カゴの中にちょこんと入っている。
カイトは、ばっと視線をそらした。風呂場のスリガラスも、カゴも。
そして、顔をそらしたまま、服を脱ぎ始めたのだ。
できるだけはっきりと、音をさせるようにしながら。
自分がここにいるということを、アピールしたのである。
でないと、いきなりドアを開けて、メイに悲鳴をあげられてしまうかもしれないのだ。
そうなれば、カイトは悪者だった。
バサバサと服を脱ぎ捨てる。
バックルの音が妙に反響するような気がして、カイトは顔をしかめた。
そんなんじゃ。
そんなんじゃ、ねーんだからな。
ひたすら、自分に言い聞かせる。
何度も何度も言い聞かせる。
これは、彼女が誘ってくれたことであり、自分もイヤではないことであり。
一緒にいるためのことであり―― とにかく、そういうことではないのだ。
全部脱いでしまったカイトは、喉元まで上がってくる心臓を飲み下し、ついにすりガラスの扉の前に立ったのだ。
ぼんやりと、そのドアの向こうにメイがいるのが分かる。
身体の部分が白いのは、洗っていた途中だったせいか。
とにかく、そこに彼女がいるのだけは、カイトにだってはっきり分かった。
ドアに手をかける。
ガチャリ。
勇気を持って、ドアを開ける。
視界には、薄くもやがかかっていた。湯の張ってあるバスタブが、ゆらゆらとゆらめいている。
視界に、メイはいなかった。
そう。
彼は、顔を横にそらしているのだ。
そういうのではないのだから、マジマジと彼女の身体を見るワケにはいかなかったのである。
そんなことをしようものなら、絶対に自爆だ。
このガチガチの鎖つきの理性を、吹っ飛ばされかねなかった。
だから。
中に入るなり、カイトはバスタブに直行したのであった。