表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

01/11 Tue.-1

 それは、一本の電話から始まった。


 メイが、家の掃除をしている時のことだ。


 更に正確に言うならば、9時ちょうどの出来事だった。


 1月11日。


 結婚した翌日。


 カイトは会社に出かけていて、この家にいるのは彼女ただ一人。


 電話が鳴った時は、ドキリ、とした。


 まだ全然、この状況に慣れていないのだ。


 カイトと一緒に暮らす、というのはこれが初めてではない。


 それ自体には免疫があった。


 だからと言って、電話が得意なワケではないのだ。


 彼の妻としての肩書きには―― まだ、ちっとも慣れていないのである。


 結婚2日目という事実もあったが、それ以前に、お互い知らないことだらけのまま、すごい勢いで結婚してしまった。


 時間がたてばたつほど、不安というものが押し寄せてくる。


 もし、人に『あなたは、彼とどういう関係ですか?』と聞かれても、その事実をうまく伝えられる自信はちっともなかった。


 しかし、電話が鳴っているからには、取らなければならない。


 ハルコかもしれないし、もしかしたらカイトかもしれないのだ。


 外から連絡をつける方法と言えば、この電話くらいしかないのだから。


 ドキドキしながら、電話を取った。


 相手もよっぽどの用事なのか、迷っている間中コールを鳴らし続けてくれたのである。


「もしもし…」


 緊張する声で、電話を取った。


『ああ、よかった…!』



 開口一番―― 受話器は、安堵の声をあげたのだった。


 ※


 ど、どうしよう。


 メイは、鋼南電気の会社の前で、ウロウロしていた。


 電話帳で住所を調べて、ようやくたどりついたのだ。


 もうすぐ12時。


 ここに来る前に、いくつか寄り道をしてきた。


 一つは、元のアパート。


 戸締まりの確認と、貴重品や簡単な身の回りのものを引き上げてきた。


 貴重品と言っても、カイトにもらったお金が入っている通帳くらいだ。

 あとは化粧品と着替え関係をちょっと。


 他にも持って帰りたいものがいくつかあった。


 正式に、引き払いに来なければいけないだろう。


 いつまでも、こうして放っておくワケにはいかないから。


 部屋でいろんな感慨にふけっている場合ではなかった。

 急ぐべき仕事が、残っていたのである。


 アパートで、慌てて化粧だけすると出た。


 本当は、カイトに電話を入れようと思ったのだ。


 しかし、会社への電話というのは、トラウマが邪魔してできなかったのである。


 メイが迷子になった時、彼女自身で一回。

 派出所の巡査さんから一回、会社に電話を入れたのだ。


 1ヶ月くらい前の出来事で、覚えている人はいないかもしれないが、やっぱりすごく怖くなって。


 そうしているうちに、ここまでたどり着いてしまった。


 ケイタイ番号を聞いておけば、こんな苦労なんかしなくてすんだのに、昨日も今日も、まだそれどころじゃなかった。


 結婚生活に慣れようと努力をしている矢先に、ぎゅっと抱きしめられて。


 抱きしめられると、頭が真っ白になってしまって、また一から慣れをやりなおさなければならないのだ。


 あの不意打ちの抱擁がいけない。


 あんなに接触好きな人だとは思わなかった。


 そういえば―― 最初に出会った時も、彼女は抱きしめられていた。


 思い出すと、少し胸が痛い。


 あんなところで働いていたという事実もだけれども、カイトが今までそんな風に女性に対していたのかと思うと。


 いけない。


 メイは、頭をプルプルと振った。


 思いが通じただけでも信じられないのに、その翌日には結婚までしてしまって。


 これ以上、何のゼイタクを考えているのか、と自分を叱咤した。


 カイトが過去いろんな女性を抱きしめていたとしても、結婚相手は一人しか選べないのだ。


 最後は、メイを選んでくれたのである。


 やっぱり、信じられない事実なのだが。


 だが、いまはそれどころではない。


 大事件が起きてしまったのだ。


 でなければ、わざわざ勤務中のカイトを訪ねてきたりはしない。


 どうしよう。


 胸の中にある言葉はそれだけ。


 会社が終わって、帰ってくるのを待つ方がいいのだろうか。


 普通に考えれば、そっちの方がいいはずだ。


 しかし、内容が内容だった。


 何度も何度も、ビルの前をうろうろした。


 カイトが偶然出てくる―― なんてことはなかった。


 やっぱり。


 メイは、くるりとビルに背中を向けた。


 やっぱり、いきなり訪ねるのは失礼だと思ったのだ。


 カイトだって恥ずかしい思いをするに違いない、と。


 そして。


 勇気を出して、公衆電話の受話器を取ったのだ。


 ※


 代表電話。


 やはり、電話帳にはそれしか載っていなかった。


 喉から心臓を飛び出させんばかりに緊張しながら、ゆっくりとその数字を押す。


 一つ押すごとに、受話器を元に戻したい衝動を抑えなければならなかった。


 何て言おう。


 この場合、頭の中に巡るのは、カイトにどういう風に言おう、ということではなく、その前に立ちふさがる受付とかを、どうやってクリアしようかということだった。


 失敗した記憶ばかりがよみがえってしまう。


 1コールの後。


『はい、鋼南電気でございます』


 受付嬢が出てしまった。


「あっ…あのっ、私、家のものなんですが…カ…社長はいらっしゃいますか」


 慌てる唇で、彼女は何とかそれを言い終えることが出来た。


 考えてみれば、文法はめちゃくちゃである。


 家族のものが、『社長、いらっしゃいますでしょうか』などという発言を、するはずがないというのに。


 受話器の向こうに、一瞬沈黙があった。


『……少々お待ちくださいませ』


 電話は、保留音になった。


 ほぉ、とため息をつく。


 とりあえず、お城の門番に門を開けてもらえた気分だったのだ。


 ため息をついた直後。


 すぐに保留音は途切れた。


『お電話代わりました、秘書室です』


 電話の声はカイトではない。女性のものだった。


 また、いま門番に言った言葉を使わなければならないのだ。


 しかも、今度は前よりも強固な門番―― とは失礼か。


 親衛隊が、お相手なのである。


 ここを通らなければ、王様に謁見することは出来ないのだ。


 家のものですが。


 メイは、自分の鼓動にかき消されないように、頑張ってそれを言ったのだ。


『…失礼ですが、社長とはどのようなご関係でいらっしゃいますか?』


 ああ。


 目の前が真っ暗になった。


 ついにそれを聞かれてしまったのだ。


 答えなければ先に進めないのである。


 本当に家族のものなら、ここでためらったりするはずなどないのだ。


 母にしろ、姉にしろ妹にしろ、はっきりそう言えるのである。


 そう言えば、向こうはすぐ『申し訳ありませんでした、しばらくお待ちください』と言って、王に会うための扉を開いてくれるだろう。


 妻と。


 いまのメイは、はっきりとそれを言うことが出来なかった。


 しかし、言わなければ、電話はここで終わりである。


 冷たい汗が背中を流れた。


 唇が震える。


「あ…あの………つ………妻です」


 ご、ごめんなさい!!!



 メイは、見えないカイトに向かって、精一杯謝ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ