久し振りの食事
しいなここみ様主催の『いろはに企画』参加作品です。
ホラーですが、怖くないと思います。
日付が変わった深夜、静まり返った住宅街の路地裏で一人の男が座り込んでいた。
呑みすぎて酔いが酷いのか、意識が朦朧としている。
「もう、ダメだ…少し……寝るか…」
家まであと少しの距離だが、酔いで強くなった睡魔に抗うことが出来ず、身体も意識もそれに委ねることを決めた。
夜空を見上げると満月が目に映った。優しい月の光を浴びながら男は目を閉じる。酔いによる浮遊感が気持ちいい。
浮き上がる感覚とは逆に落ちていく意識。
すっかり眠りに落ちた男の身体は宙に浮かんでいた。
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日付が変わった深夜、静まり返った森から一頭の熊が出てきた。
月の光に照らされて、黒い毛並みが鈍く光っている。
食事を求めて野原を歩いていた熊の体が、ゆっくりと浮かび上がった。
異変に気付いて吠えながらもがくが、浮かび上がる速度のまま、止まることなく宙に浮かんでいった。
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日付が変わった深夜、静まり返った住宅街を一人の女が走っていた。
「早く! 早く帰らないと!」
仕事が終わらず、何とか最終電車に間に合ったものの疲れて眠ってしまい、何もない終着駅で目が覚めた。
本来降りる駅は二駅手前、時間はかかるが歩けない距離ではない。日付が変わった今日は休みのため急ぐ必要はないが、女は焦っていた。
「お婆ちゃんから……言われてたのに……」
──〇〇のときは外に出ないこと
祖母から言われていたことを理由も知らずに守ってきたが、不本意にもそれを破ってしまった。
「はぁ…はぁ……やっと、家だ……」
家が見えて安心した瞬間、女の身体がゆっくりと浮かび上がった。
「えっ、なに!? なんで!?」
女の身体は宙に浮かび、止まることなく高く登っていった。
周りを見ると、女と同じように叫びながら浮かび上がる人や犬、猫も見える。そして──
上を見上げた女の目には、キレイな満月が映っていた。
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2025年9月8日未明。地球の影に隠れ、生命の成長を司る太陽の目を盗んでこっそりと月が食事を始める。
食欲を満たす行為が始まり、優しかった黄色い月が徐々に赤銅色に染まっていく。
赤みを増していくそれはまるで、嬉しさに頬を染める子供のようだった。