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「危なかった……」
私の心臓は未だにバクバク鳴り続いていた。電車が完全に停止した後、再び踏切より先の景色が見渡せるようになったが、例の男子中学生は踏切の外で何かに掴まれながら怯えていた。そして、その掴んでいる物体を操作している人の姿もあった。目は良いので分かるが、短い白髪にベレー帽を被っている。ノンネクタイの白いYシャツにグレーの背広とスラックスといった格好である。比較的小柄で、見た感じ初老の紳士的な男性だった。
――あれは、マジックハンド?
私はその物体の正体を見破った。男子中学生は、後ろから男性の操作するマジックハンドに掴まれたため、間一髪のところで助かったのだ。そして、その男性の正体も分かった。まさに、あの人は……。
――私の大学時代の先生、何でここに?
私がその先生を見詰めていると、向こうも私の視線に気付いたのか、じっとこちら側を見ている。私は左右の安全確認を念入りに行った後、踏切を渡って、先生のところに歩み寄った。
「先生、ご無沙汰しております」
「レナ君か、久しぶりだな」
「先生が助けたんですか?」
「見りゃ、分かるだろ」
先生は私の疑問に、自信満々の口調で答えた。
長田先生。工学部の特徴的な先生だった。
マジックハンドやロボットなど風変わりでハイテクな物を開発し、大学の至る所で学生や教職員の目に触れる所で発表していた。長田先生は何と、レイジの所属する研究室の教授だったのだ。私は文系学部だったが、レイジ経由で長田先生と知り合った。やがて、私とレイジと長田先生の三人でご飯に行くなどして、親交を深める間柄になった。
「どうも、ありがとうございます」
私は頭を深めに下げて、先生に感謝の言葉を述べた。それに追従するかのように、
「本当にありがとうございました!」
そんな声が私達のすぐ傍から飛んできた。そこには、先程の助けられた男子中学生がいた。男子中学生は、私よりも深々と頭を下げて、先生に感謝の意を示していた。
「いえ、私はただ当たり前のことをしたまでだよ」
先生は謙遜したが、正直、マジックハンドで物理的に人を窮地から救うのは「当たり前」とは言えない気がする。でも、そんな難癖をつける趣味は無い。先生は本当に凄い人助けをしたと思う。
「取りあえず、鉄道会社に連絡します」
私は宣言するや否や、即座に通勤バッグからスマホを取り出し、管轄の鉄道会社に連絡した。踏切のバーが閉まっていないのに電車が通過した――明らかに危険な事態である。一歩間違えれば、死亡事故に繋がっていた。本当に恐ろしい。
連絡を入れた後、数十分してから鉄道会社の人が現場まで来て状況と踏切の状態を調べてくれた。私と先生、男子中学生から話を聞くなどもした。故障かどうかはエンジニアや保守点検の人などがこの後調べて分かるらしい。
帰宅時間がいつもより少し遅くなった。夕食と入浴を済ませて、自室でスマホを弄ってまったりしていると、動画サイトやSNS各種が例の踏切の件で炎上していた。
〈バーが開いてて電車が通るなんてあり得ない〉
〈開かずの踏切よりタチが悪い〉
〈鉄道会社はもはや糾弾案件だな〉
そんなコメントで溢れ返っていた。また、某写真投稿系SNSには〈この踏切、怖すぎる〉といったテロップで、あの時の実際にバーが開いたままの状態で電車が通過した一部始終を映した動画があった。
そして、翌日の朝。いつも通り通勤ルートで例の踏切まで来た。この時、バーは閉まっており踏切もカンカン鳴っていた。やがて電車が通過した。通過した後、踏切のカンカン音は消えて、バーも開いた。
昨日、夜中に修理作業が行われたからか、踏切は正常に動作していた。だが、まだ安心できるわけではない。またいつ故障するかと思うと不安である。今回の一件から、私は踏切の恐ろしさを痛感したのだった。
週末の昼、カフェでレイジと一緒にお茶をする。この時も、例の踏切の事件について、レイジに愚痴るように話した。レイジもうんうんと頷いて、私の話を聞いてくれた。
「レナも今後は通勤ルートを変えた方が良いかもな」
「そうだね。ちょっと遠回りになるかもだけど、考えてみる」
という結論で、この話は終了した。因みに、レイジの教授に私が再会したことも話していた。
「ところでだけど、先生とは上手くやってる?」
私は聞いてみた。無性に気になったのだ。レイジは少し黙った後、どこか浮かない顔をしながら答えてくれた。
「お互い会える時は、そこそこやれてるよ。だがな、去年の末、先生に年賀状を書いて出したんだけど、返って来なかったんだ」
「そう……なんだ」
温厚で人思いな先生だけど、そういう気難しい点もあるのか――ということを、この場で知ったのだった。
(終)
最後まで読んでいただきありがとうございました。