(5)
「おい 起きろ」
「はい お父様 ただいま・・」男の人の声に条件反射で答えていた。
「おい」今度は肩を揺り動かされた。
「う〜ん もう朝ですの?」
「違う 夕方だ」
「夕方ですか・・夕方?!」ガバッと起き上がったら、誰かの顎に頭を思いっきりぶつけた。
「いっ 」
「いった〜い」 そうだ!バクレー先輩といたんだ!
「バクレー先輩 すみません!」
「何やってんだ お前は・・」前髪を掻き上げながら顔を上げたバクレー先輩を見て硬直してしまった。この人、寝起き、色気ありすぎ。何なんだこの気だるげでアンニュイな様子は、女の私より絶対色っぽい、若干落ち込みつつ目を逸らせないでいると、
「突然、悪かったな」声高ではない耳に心地よい声が聞こえてきた。
どういう態度をとっていいのかわからず、曖昧な相槌を打つと、バクレー先輩がぶっきらぼうながらあり得ない説明をしてくれた。
「この状態で信じられないと思うが、俺は物心ついた頃からまともに眠ったことがない。ところがお前が近くにいると、気持ちが緩むようだ。初めての感情で、何が何だかわからなかった。より近くで確かめたら、眠いことがわかって、どうしても寝たくなった・・」
この話を聞いて、もしかしてこの人も香りを感じる人なのかと思ったが、どうも違うようだ。
「お前は何か睡眠に効くような香水をつけているのか?」
「いえ 特に何もつけてませんが・・」
「そうか。初めてまともに眠った気がする」ため息と共に吐き出される言葉に、その異常性に気づいた。
「眠らないで、身体は大丈夫なんですか?」
「今まで問題なかったんだから、大丈夫だろ。」
淡々としたキース先輩の物言いに、ホッとして思わずふにゃりとした笑みがでた。
「とにかくよかったです。よく眠れて」
こちらを見ていたバクレー先輩の目が一瞬見開き、その後微かな笑みを唇の端に浮かべて「ありがとう」と軽く礼を口にした。
あまり表情に変化が見られなかっただけに、微かな笑みに反応し、心臓が音を立てて主張し始めた。ほてって赤くなった顔を隠すように下を向くと、頭の上にふわりとした暖かさと重みを感じた。思わず顔を上げると、先輩も驚いて私の頭から手を離して、自分の手を見つめた。
もしかして無意識で撫でた?
「そろそろ戻るぞ。飯の時間だ。詫びにカフェテリアまで案内する。」
「ありがとうございます。ロイ先輩に案内してもらっている途中だったので、場所がわかりませんでした。」
「悪かったな・・」
「いえいえ先輩を責めているわけではないです。僕も昨日の夜は寝付けなかったので、よく眠れてスッキリしました。ありがとうございます。」慌てて返事をすると、少し目を細めてこちらをじっと見る先輩に少しドギマギした。
なんか調子が狂うなあ。二人っきりなのにその香りから感情が読み取れないのだ。香りがわからないわけではない。むしろ香りはまとわりつくように強く感じるのに、その香りを読めない。この人が何を考えているのか分からない。今までこんなことはなかったのに・・
「行くぞ。」
声をかけられて、ハッとして顔を上げると、先輩は既に扉に手をかけていた。
「キースでいい」
「はい?」
「名前 キースでいい・・行くぞ・・」
「はい!キース先輩」
キース先輩と連れ立ってカフェテリアに入ると、好奇心、動揺、嫉妬その他諸々の香りが食べ物の匂いと共に押し寄せてきた。その強さに後退りそうになった途端、キース先輩に腕を掴まれた。
「どうした?大丈夫か?」無表情ながらもやや心配そうに顔を覗き込まれた途端、嫉妬の香りが押し寄せてくる。
何?何だこれは・・アワアワと混乱していると、
「お〜い キース、ジャス、こっちだ!」手を振っているロイ先輩を見つけた。隣にアル先輩もいる。
強い感情の香りに翻弄されながらも、キース先輩に手を引かれて先輩たちの方に近寄ると、
「キース、ジャスの手を離してやってくれ、明日からこいつが生きていけなくなる。」悲壮なロイ先輩の声が聞こえた。そっそれはどうしてですか?ロイ先輩?!声にならない悲鳴を内心であげていると、
「なんでだ?」とキース先輩も訝しげに聞いている。
「はあ〜」ロイ先輩がため息を吐きながら頭を抱えてしまい、横にいるアル先輩が苦笑しつつ答えてくれた。
「キース、君は自分の人気に気づいていないのですか?熱のこもった眼差しと告白を下級生、上級生問わずに毎日受けておきながら、それを何事もなかったように素通りする君のことをみんながなんと言っているのか知らないのですか?」
「・・知らん・・」
「絶対零度の青薔薇ですよ。」
「何だそれは・・」
「その心を誰も溶かすことはできないほど冷たく、青い薔薇のように気高く麗しい相手という意味ですよ。それなのに、君は公衆の面前で、ジャスくんを連れて行き、この時間まで姿を現さなかった。あまつさえ二人で手を繋いでここまでやってきた。これがどういうことかわかりますか?」
キース先輩は意味が分からなかったようだが、私は意味がわかってしまった。背中に冷や汗が流れる。今更もう遅いがすぐにでもこの場を逃げ出したい・・
「ジャスくんはわかったようですね。そういうことなんです。とにかくジャスくん、寮内ではロイがいるので大丈夫だと思いますが、早く信頼できる友達を作り、構内ではなるべく一人にならないように気を付けてください。」
「まあジャスあんまり心配するな。幸い一年と三年の教室は比較的近いからさ、何かあったら最悪三年の教室に逃げてこい。」陽気に言うロイ先輩を凝視してしまう。そこまでのことなんですね!
バレてはいけない超特大の秘密を抱えているのに、さらに大きな問題を抱え込んでしまったようだ。自分を呪いたい。ジャス不甲斐ないお姉様を許して、ごめんなさい!
その日の夕食は何を食べているのか分からないまま終わってしまった・・