九十七話
「飯田空、23歳。私の従妹です。全日本女子柔道選手でこの間フランスにも行ってたんですけど知ってます?」
「………………見たことある……」
警察署からほど近い小さな公園のベンチで、スマホをはるかくんに差し出す。
去年の年末に実家に帰った際に撮った私と空くんのツーショット写真を見たはるかくんは、しばらく放心した後、両手で顔を覆いそれきり動かなくなってしまった。
父の兄の娘である年の近い従妹は、柔道着という体のラインが分かり辛い服を着ていても一目で女の子分かるほどに可愛らしい顔立ちをしている。
茶髪のショートカットとその可愛い顔がトレードマークの彼女だが、顔に見合わず非常に男勝りで負けん気の強い性格をしており「女だからって舐めんじゃねえ」と昔から自分のことを『僕』と呼びそして周囲には『くん付け』で呼ぶよう徹底していた。
長年の付き合いでありもはや私にとっては当たり前になっていた呼び名なのだが、まさかそんな誤解の種になるとは露ほども思っておらず、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいである。なんかごめん。
「……なんで隠してた?シェアハウス相手」
「あー……空くんって熱烈な追っかけが多数いるんですよ。結構プライベートまで暴こうとする系の人たちなんで、新居がバレたら堪ったもんじゃないって口止めされてたんです。こういうのってどこ経由でバレるか分からないですしね」
「……なるほど」
今にも死にそうな声のはるかくん。何故そんな思考になったかと尋ねれば、以前内見終わりに行った水族館で電話の内容を一部聞かれていたようで、私が親し気に「空くん」なんて呼ぶもんだからてっきり地元に置いてきた好きな男と念願のシェアハウスをすることになったのだと勘違いしたそうだ。
ううむ、中々はるかくんも妄想力豊かなのだなぁ。
「流石に付き合ってもいない男と一緒に住みませんよ。私の事なんだと思ってるんです?」
「……すずさんが男に対して距離が近すぎるのが悪い」
「はい!?近くないですよ!」
拗ねた様に顔を背けて一切こちらを見ようとしないはるかくんの言葉に仰天する。こう見えても年頃の淑女よ!?そんな殿方にベタベタする訳ないでしょ!?と憤りも込めて反論すればはるかくんは盛大なため息をついた。
「近い。すぐ男の手握るし密着してくるし服の裾掴むし男の部屋ほいほい上がるし。距離感めちゃくちゃだかららそういう事もあるのかなって思ってた」
「違います!!それははるかくん相手だからで……」
「は?」
怪訝な声と目を向けられてハッと我に返る。やややややっべえ本音言い過ぎた!咄嗟に手で口を覆ってはるかくんの追及に目から逃れるべく視線を明後日の方へ向ける。
いやもうキスしちゃったし男と暮らすっていう誤解も解けた今私の気持ちとかもういい加減バレてるだろうけど!それはそれである!誤魔化すべくわざとらしく咳ばらいを繰り返す。
「ん、んんっ!ごほんげふん!と、という訳ですね、来週からはこの子と一緒に住む予定……なんですが、実は予定が狂っちゃいまして……」
「え?」
そもそもの今回のシェアハウスの話は空くん側から持ち出された話だ。
せまっ苦しい田舎から飛び出したいと常々主張していた空くんなのだが、彼女のお父様、つまりは私の叔父様はそれはそれは娘を猫可愛がりすることで有名な人で「こんな可愛い娘を下種共がはこびる都会に一人で出すわけにはいかない!」彼女の希望と真っ向から対立していた。
しかしながら気の強い従妹なので、余りにも縛り付けすぎると家出同然に家を飛び出してしまう可能性がある。
どうしたものかと頭を悩ませていた叔父様の元に、私が良からぬ輩に狙われ引っ越しを考えているという話が湧いてきたので、これ幸いと私の親に空くんとのシェアハウスを打診してきたのだ。
もはや家を出れるなら何でもいい、と空くんは一にも二にもなくその話を承諾。私の親も「まあ空くんが一緒に住むなら安心か」とOKを出したために今回の話は成立した。
───のだが。
「実は空くんが都会に住みたかった本当の理由は、東京在住の彼氏さんと一緒に暮らす為だったらしいんです。でもそんなこと正直に告げれば親バカな叔父様は反対することは必至。ということで私をダシに家を出て、その後彼氏と同棲するというとんでも計画を秘密裏に立てていたんです……」
「う、うん……?」
ベンチに座って項垂れる私にはるかくんは困惑した声を上げる。私がその話を知ったのは今日の朝の電話であった。
『あのさ……僕、鈴音の事好きだからこんなことになって本当に申し訳ないと思っているんだけど……』
『再来月末から、彼氏と同棲することになりました☆』
『という訳でシェアハウスは2カ月で解消でよろしく!マンスリー物件だから短期間でも問題ないしね!契約期間は昨日のうちに不動産に電話して変更しておいたから安心して!急な話で悪いね!』
「……と、一方的に告げられました。つまり2ヶ月後、私家無しになるんです……」
「え、ええ……」
膝に肘を付いて手で顔を覆い、はああああ……と盛大なため息をつく。やけにマンスリー物件にこだわるから不思議には思ってたけどさぁ、私の意見ガン無視でそんな事決まるとは思わないじゃん……。これだから猪突猛進系女子はよぉ……。
幼少期より暴君王様な言動で私を振り回しては、悪びれもせずに大笑いする従妹が引き起こした大小さまざまな事件を思い出し思わず項垂れた。
傍らのはるかくんがドン引きしたように呻くのが聞こえる。そうだよねぇ引くよねぇ私もドン引きですぅ……。
一応私の実家や叔父様には私が怒られないように事情説明するし、迷惑料として引っ越し費用は多く出すからとは言ってたけどぶっちゃけ信用ならない。
まあそれはもういい、言ってても仕方ない。
問題は2ヶ月後どこに住むか、という話なのだが。
「……まあ、そんな事情から私また物件探ししなきゃいけないんです。それでその、もし私が近くにいるのはるかくん的に迷惑じゃ無ければ、またご近所に住みたいなぁ、なんて思ってて……」
気恥ずかしくてもじもじしながら要望を口に出してみる。
本当は、空くんとのシェアハウスが解消された後もはるかくんとは離れた地に住むつもりだった。友達であれるように必要な距離を保って、この恋心は忘れてしまうつもりだった。
でも、はるかくんは私と離れたくないって言ってくれた。はるかくんが好きという感情を持ってしまったのに、彼はそれでも私と友達でいてくれる。近くに居ていいと言ってくれた。
嬉しくてしょうがない。遠ざけられてしまうのではないかと不安だった心が解れていくのを感じる。泣き出しそうになりながら、はるかくんに微笑んだ。
「散々ご迷惑かけ通しで本当に申し訳ない限りなんですけど……また物件探し手伝ってくれませんか?私、まだこの町に住みたいんです」
せめて、貴方に好きな人ができるまで。それまででいいから、近くで友達で居させてほしい。
そんな願いを込めてはるかくんを見上げる。しかし、はるかくんは眉を僅かに寄せて私をじっと見つめていた。えっ何その顔。
「……………………まさかとは思うけど、一人で住む物件探すの手伝ってって言ってる?」
「はい?そりゃまあ」
「じゃあダメ」
「!?!??!」
即答!?そんなに嫌!?もしかして前の内見の時に考え事しすぎて営業マンとの会話はるかくんに丸投げしてしまったの根に持ってる!?いやそりゃそうだよね!?いくらいい人でもあれは怒るよね!?どの面下げてって思ってる!?いやああごめんなさいごめんなさい!厚かましくてごめんなさい!
あわあわオロオロと狼狽える。すると傍らからため息とがっくりと肩を落としたような気配を感じた。思わずビクッと肩が跳ねる。
「すすすすすみませんっ!今のお願いは忘れて下さ───」
顔の前で手を振って申し訳ございませんと頭を下げようとした瞬間、自分以外の体温とシトラスっぽい匂いに包まれた。
「……まさか何も伝わっていないとは思ってなかった。……なあ、すずさん」
「はぇ……」
視界が何故かはるかくんのコートの色一色になって困惑に身を強張らせていると、おもむろに顔を持ち上げられた。
薄暗がりの中ではるかくんの顔が間近にあって。
ああそういえばはるかくんってこんな顔してたな、と、相変わらず綺麗な顔してんなとどこか他人事のように思った瞬間、何かが唇に触れた。
「……好きなんだけど」
「…………ぁ?」
「好き。2ヶ月待ってるから、戻ってきたら俺と一緒に住んで」
そう言って、はるかくんは艶やかな色を滲ませて微笑んだ。




