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八十七話

『じゃ、また明日ねー!』


『お疲れ』


「お疲れ様でーす」


 深夜11時。いつも通りはるかくんと葵ちゃんとのゲームを楽しんだ私は、ボイスチャットが切れたのを確認してヘッドセットを外した。

 うん、今日も楽しかった。楽しかったのだが、何となく疲れを覚えて小さく息をついてソファーにぼすんと倒れる。


「……」


 ゴロリと寝返りを打っては目を瞑る。今日のゲームの内容を反芻して、どことなく身が入っていなかったなと己を振り返った。

 なんで身が入らなかったか。その理由は明白だ。


「……~~~~~っ、うううあああ………っ!」


 狭い傘の中、脈絡もなく突然自分の右肩を抱き引き寄せた手の力を思い出してソファーの上で羞恥に悶える。

 あんなの反則、何あれ何あれ、なんでいきなりそんなことしてきた!?感情が飽和し耐えきれなくなってクッションをボフボフボフッと叩きまくる。


 そもそも「濡れるから」と自分からはるかくんの体を引き寄せただけでもだいぶ羞恥で死にそうになってたのに、いっぱいいっぱいになってる所にあんな事されたら死ぬわ!肩抱くとかそんなのあり!?あっさり私の行動を上回ることしてんじゃないよ!しかもそんなことしておいて何も照れた様子も見せずに真面目な顔で家までちゃんと送り届けてくれるし!何なの!?私じゃなきゃ勘違いしてるからね!?


 ぜえはあ、と肩で息をして自分を落ち着かせる。

 この間美帆に言われたように、少しずつ、様子を見ながら『そういう関係になりたいと思っている』と伝えて平気そうか確認すべく行動を起こしてみた。傘を忘れたのを良いことに相合傘をお願いしてみたり、少し密着してみたり。


 結果として惨敗だった。何をしてもはるかくんは驚くほど平然としていた。


 傘に入れてほしいと言えば二つ返事で了承され、腕を引いて密着してもどうした?と言わんばかりにいつも通りの微笑みを浮かべられる。その一切動揺した様子の見れない彼に私は全てを悟った───即ち、私は女として見られていない、と。本当に、心の底から、友人としてしか見られていない。


 極めつけは肩抱きよせだ。もうそろそろ家に着くという段になって突然はるかくんに肩を抱き寄せられた。固い体とシトラス系のいい匂いを感じてパニックと羞恥と歓喜に死にそうになりながら何故、と恐る恐るはるかくんを確認してみれば、そんなことをしておきながら彼はスマホを弄っていた。


 そしてそのままいつも通り家の前で「また明日」と手を振られた。


 なんでやねん。何してくれてんのマジで。靴も脱がずに玄関で膝をついてしまったのも仕方がないと思う。


「……どうせ、水たまり踏みそうになってたからとかなんだろうな……」


 いい人日本代表だもの。きっと100%善意。私を危機から救うためにしてくれた何気ない行動なのだと、口に出して舞い上がりそうになる自分の心を落ち着かせる。


 そして落ち着いた胸に落ちてくるのは、私はそういう対象として彼に見られていないのだろうなぁという落胆交じりの結論であった。


 やっぱり私には無理なのだ。こんなの友達の距離感だ。男女の間柄を意識していたらとてもそんなことできない。心の底から友達だと思ってくれてるからこの距離感で接してもらえている。


 それに喜びを感じてはいるが、やはりどうしても落胆も覚えてしまう。素直に友達であろうとしてくれているはるかくんにそんなこと思うなんて本当に浅ましい。浮かれていた心情が一気にしぼむのを感じた。


 ひとしきり暴れて疲れてしまい、もうこのまま寝てしまおうかなと腕で目を覆う。その瞬間、突然テーブルに置いていたスマホが鳴りだした。


 着信を知らせるメロディーにびくっと体が震える。こんな時間に誰だ、また元彼からだろうかと恐る恐るスマホを覗き込み……そこに表示された名前を見た瞬間、私の手は凄まじい速さでスマホを掴んでいた。


「もっ、もしもし!」


『あー、ごめん寝ようとしてた?』


「いいえ!大丈夫です!」


 低い染み渡るような声が耳元で響く。つい数分前まで聞いていた声に心臓がバクバクと大きく跳ねる。なななななんではるかくん?ボイスチャットじゃない端末への電話に知らず緊張してしまう。


「ど、どうしたんですか……?」


 動揺を悟られないように極力いつも通りの声を出すように努めながら当然の連絡の理由を尋ねる。すると彼は少し逡巡するような声を上げた後、ぽつりと呟いた。


『コンビニ行かない?』


「……はい?」







 『着いた』という端的なメッセージが届くと同時に、玄関で待機していた私は逸る気持ちを抑えて外へと出た。階下へと降りる階段の途中でアパートの外を覗けば、朝迎えに来る時と同じ場所に長身が立っていて。

 もつれそうになる足を必死に動かして階段を駆け下りる。


「お待たせしました!」


「いやいや、ごめん。こんな夜中に呼び出して」


 苦笑いで謝罪を口にするはるかくん。夕方駅まで迎えに来てくれた時とは違う、少しラフな格好に少々トキメキを覚えつつも「大丈夫です」と首を振った。


 雨はもう上がっているようだ。傘の中のあの心臓に悪い距離ではなく、いつも通りの距離で並びながらいつものコンビニへと歩き始める。


「突然甘いものが食べたくなってさ。付き合ってくれてありがとう」


「いえいえ。深夜の外出実は結構好きなので大歓迎です」


「確かに仲良くなる前もちょくちょく夜中にコンビニ来てたよねすずさん。強盗にあったときも。あれは酒買いに来てたの?」


「お菓子買いに行ってたんです!もう、私のことアル中だと思ってません!?」


「ははは」


 いつも通りの軽口に怒ったふりをしてはるかくんを睨む。目を逸らして乾いた笑いを上げられた。隠す気がなさそうな本心に「なんですかその笑いは!」と更に声を荒げる。

 全くもう、とは言いつつもいつも通りの応酬が嬉しくて頬が緩みそうになり、慌てて手で顔を抑えた。


「そういえばあの強盗捕まったらしいよ。コンビニのオーナーが言ってた」


「そうなんですか?……私の言う通り別のコンビニで再犯して捕まったとかじゃないですよね……?」


「違うっぽいよ。痴漢だか売春だかなんかして捕まったって」


「うっわぁ……」


 コンビニに足を踏み入れながら、はるかくんと仲良くなったきっかけとなった強盗事件を思い出す。ううむ、実は犯罪教唆にあたらないかちょっと心配してたんだよなぁ、良かった別の犯罪で捕まって……いやよかないわ、なにしてんねん強盗さん。


 あんまりにもあんまりな強盗さんの末路にげんなりしながら何となくはるかくんの後をついていく。すると彼は甘いものを買いに来たといいながら何故かおにぎりを適当にぽいぽいカゴに入れ始めた。その行動にまさか、とジト目で彼を睨む。


「……はるかくん、もしかしてまたご飯食べてないんですか?」


「…………」


 気まずげにふいっと目を逸らされ更に視線に湿度が増す。

 葵ちゃんから聞いたのだがこの男、一日ご飯を食べないとかザラらしいのだ。平気で丸一日断食したりちょっとお菓子を摘まんで満足したとか言うらしい。意味が分からない。どうしたものかと葵ちゃんから相談を受けていた私は腕を組んではるかくんを見上げた。


「今日は何食べたんですか?」


「…………………………ガム、と、コーヒー」


「ご飯じゃないですね。三食食べろとは言いませんが二食は食べましょうって言いましたよね?」


「……はい」


 口元をもにょもにょさせるはるかくんにため息をつく。どうやら本人曰く、ご飯を用意するのが面倒だと思っている内に忘れてしまうらしい。ご飯を食べないと何するにしてもやる気が出ない私とはまるで逆の思考だ。だからこんなに細いのかと納得しつつも心配が勝る。倒れたらどうするつもりだ。


「そういうすずさんは今日の晩ちゃんと食べたの?」


「勿論です。実家から野菜が大量に送られてきたので煮物作って食べました。あと鰆の西京焼き」


「ちゃ、ちゃんとしたご飯食べてる……」


「どういう意味ですかこら」


 はわ……とわざとらしく口に手を当てて慄く反応にムカつき、そのわき腹を突く。いやまあ確かにはるかくんには乱れた食生活の一部を見られているので当然の反応かもしれないけども。でも時間と食料があれば私だってちゃんと自炊します。


「ちゃんと食べてください。死にますよ」


「そんくらいじゃ死なないよ。……でもそんな心配ならすずさんが作りに来て」


「……………………………………………………………はるかくんの家、調理器具なさそうですね」


「失礼だな。一通りあるよ」


 サンドイッチを物色するはるかくんから目を逸らして憎まれ口を叩く。熱くなった首筋を髪で隠しながら、私は彼から離れてアイスコーナーへと向かった。


「……あっつい」


 11月だというのに真夏日に当たった後のように火照る体を冷ますように手で仰ぐ。

 ……ほんと、私じゃなかったら勘違いしてるぞ。マジで。



 

 


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