八十一話
可愛らしいイルカやエイのイラストがプリントされた袋に葵ちゃんへのお土産を詰めてもらった私は、ショップから離れた壁際でスマホを弄る遥くんの元へ駆け寄った。
「お待たせしました!」
「おかえり」
スマホから目を上げたはるかくんは、周囲の女の子を軒並みノックアウトさせるプリンススマイルで私を出迎えた。
ええ?なんだなんだ?突然なんでそんな輝いてんのはるかくん。そのエフェクト薄暗い水族館にいた私の目には眩しすぎるからやめてくれんか。思わずたじたじと二歩後ずさってしまった。
「……なんかいいことありました?」
「いや全然。全く。これっぽっちも」
「すっごい全否定するじゃん……」
笑顔で否定され敬語も忘れてツッコんでしまう。じゃあなんでそんなキラキラしいの貴方。困惑一色で見上げれば彼は途端にすんっとキラキラエフェクトを消し去った。
「うん、まあ知ってた……そういうとこだし……」
「ええ?何がですか?」
「何でもない」
視線を逸らしてふっ……と疲れたように鼻を鳴らすはるかくん。なんじゃそらと首を傾げる。
「……いいことあったのはすずさんの方じゃないの?」
「あ、気付いちゃいました?ふふふ、今お会計の時にクジ引いたら当たったんです」
どうやら私は私で喜びのオーラが出てしまっていたようだ。しっかり私の変調に気付くはるかくんに指摘されて、隠していたチケットをじゃんっと顔の前に掲げた。
「上のレストランのクーポン貰ったんです。ワイン二杯無料ですって。行きませんか?」
◆
木製のドアを押し開ける。そこには幻想的にライトアップされたアクアリウムが至る所に配置された、非常におしゃれな店内が広がっていた。明るさを落とした暖色の明かりとアクアリウムの青がいい雰囲気を醸し出している。
わあ、と小さく歓声を上げると笑顔の店員さんに迎えられた。
「すずさん、ここ段差有る。気を付けて」
「わ、ありがとうございます」
さりげなく足元への注意を促すジェントルはるかに感謝しながら店内を歩く。うーん見事にカップルだらけ。なんか申し訳ないなぁ……と若干の居心地の悪さを感じながらも通されたボックス席に掛ける。
壁には大きなアクアリウムが埋め込まれており、色鮮やかな熱帯魚たちが自由気ままに泳いでいた。
「ワイン飲んで大丈夫?」
「まあグラス1、2杯なら何てこと無いですよ。……もし万が一酔ったらすみません。置いて帰ってください」
「そこまで薄情な男じゃないぞ」
いや貴方に酔った勢いで暴言吐くんじゃないかって心配なんだよ。折角友達になれたのに嫌われたら嫌だし。それなら置いて帰ってもらった方がまだマシなんです。
とはいえいい人日本代表は絶対置いて帰らないだろうから、これ以上迷惑を掛けないためにも自制しよう、と自分に言い聞かせる。
「……」
店員から渡されたメニュー表を広げてワインを吟味するはるかくんを眺める。
そう、折角友達になれたのだ。彼の信念を曲げてまで私は友達になったのに、離れないって言ったのに舌の根も乾かないうちに引っ越しをしようとしている。
勿論あの時彼に告げた離れないという言葉は、何があっても友達をやめませんよという意味で言ったものであって別に物理的な距離のことを言った訳ではない。それは彼もしっかり分かっているはずだろうから、きっと私を責めることはしないだろう。
けれども……いや違う、私は彼に責められることを恐れているんじゃない。
そうじゃなくて───引っ越せば、もうはるかくんとあのコンビニで会うことが無くなるという事実が、怖かった。
当たり前だ。コンビニなんて今日日どこにでもある。仮に今の家とそう遠くない場所に引っ越したとしても、またあのコンビニを毎日使うとは限らない。ちょっと考えればわかることなのに、でも私は無意識にそのことから目を離していた。
はるかくんに言われるまで、考えようともしなかった。
そしていざ指摘された私は思ってしまった。『嫌だ』と。コンビニで会えなくなることを嫌だと思った。
私たちは友達なのだから、会おうと思えば休日にでも会えるのに。ゲームだってその気になれば毎日できるのに。
なんで?───なんで、あのコンビニではるかくんと会えなくなることに私はここまでショック受けてる?
「すずさん、何にする?スパークリングはクーポン対象外みたいだけど飲む?」
「……っ、そ、そうですね。ちょっと気になります」
はるかくんに声を掛けられてハッと我に返った。そうだ、今ははるかくんと居るんだからぼんやりしていちゃいけない。慌てて思考を隅に追いやり、指示されたワインのページを見つめる。これ以上はるかくんに心配かけないようにしないと、と笑顔を取り繕ってアレだコレだとメニューを指し示しては選んでいく。
「……にしても、カップルが多いですね。ちょっと照れます」
「雰囲気良いもんなぁ」
少し早めながらも夕飯時と言っても差し支えない時間なので、晩御飯もここで食べてしまおうかとお酒と共に結構な量のフードも注文する。
店員が席を離れたのを見計らって改めて店内を見回す。隣も後ろもあっちもこっちも男女二組の客ばかりだ。離れた席に女子会らしき客も見かけたが、今のところ9割くらいカップルが占めているぞこの店。
私たちもカップルに見られていたらすまんな、という気持ちで正面のはるかくんに苦笑いを向ける。
するとアクアリウムから目を離した彼は、何故か見たこともないほどに柔らかく、蕩けるような顔で私に微笑み───直視してしまった私は思わず思い切りテーブルに頭を打ち据えた。
「!!?!?すずさん!?なに、どうした!?」
「イ、イエ……ナンデモナイデス……」
額に滲む痛みに涙目になりながらも顔が上げられず、頭上でオロオロしているっぽいはるかくんを手だけで制す。
え、な、なに今の表情!?どうしたはこっちのセリフなんですけど!?は!?殺す気!?なななな何あれ!?いや落ち着け落ち着け落ち着け、きっと気のせい、マジで気のせい!照明とかなんかそういうののせい!たまたまそういう風に見えただけ!何でもない何でもない!
そう自分に言い聞かせながら顔を上げると、心配そうな顔で身を乗り出すはるかくんとバッチリ目が合ってしまった。
「おっ!?ぬ!!!」
「すっごい額赤いけど大丈夫?」
「大丈夫です!!モーマンタイです!回復薬あるんで!!!!」
「残念ながらそれはリアルでは効力無いんだよ……」
うわあ、と可哀そうなものを見る目をしながら未使用のおしぼりを差し出してくれるはるかくん。ジンジン熱を持つ額に当てて冷やせと言うことだろう。ありがたく頂戴しながらそっと視線を逸らす。うう、動揺しすぎた。恥ずかしい……。
羞恥に身悶えしていると、ふと正面からぷっと小さく噴き出すような音が聞こえた。
「くく……すずさんってたまにとんでもないこと突拍子もなくしでかすよな。クロワッサン押し付け事件とか」
「あ、あれははるかくんが私に現実を突きつけるから共犯にしただけです!」
「そうだった。ごめんごめん」
くっくっと小さく笑うはるかくんに額を冷やしながらむっと口を曲げる。
数カ月も経っていないのにずいぶん昔の事のように感じる。……そうだ、それもコンビニでの話だったな。
休日の朝、パン屋さん帰りに牛乳を買いにコンビニに行ったらはるかくんが居て、見て見ぬふりしてた罪悪感をはるかくんが容赦なく暴くものだから共犯だと一押しのパンをその手に押し付けて。
しょうもない出来事。だけどちゃんとそれは自分の中で大事なものとして保存されている。
なんで、なんで私はこんなにはるかくんとの思い出を大事に取っておいている?
ねえ、なんでこんなにこの人と気軽に会えなくなることにショックを受けてるの?
もしかして、と心の中で自問する。
───悔しいことに、答えはすぐ出てしまった。
ダメだ、何を、と唇を噛む。
その感情は、はるかくんに対する一番の裏切りだ。
友達だから私と一緒にいてくれているのに、友達以上を望むだなんて。彼にトラウマを植え付ける原因となった感情を差し向けることだけは絶対にしてはならない。
私だけは、絶対に。
私との思い出を楽し気に語るはるかくんに相槌を打ちながら、私はテーブルの下でキツくこぶしを握り締めた。
筆者のリアルでの会社イベントがてんこ盛りでバタバタのため、次回更新は恐らく18日くらいになります




