七十七話
『友達でもない男の人に、駅から家までのほんの10分程度の距離とはいえ送迎されるのは心苦しい』
『というかほぼ毎日一緒にゲームしてオールまでしてるのに友達じゃないって言い張るのいい加減厳しくないですか?』
そう主張した私に、はるかくんは少し考え込んだ様子を見せ「ご尤もだな」と苦笑いで納得してくれた。
……でも、それだけだった。
首を縦に振らないはるかくんは、とつとつと自分の口で過去のことを語ってくれた。
「前の職場の同僚に付き纏われてたんだ。あんまり要領がよくない人で、しょっちゅう上司に怒られててさ。先輩だったんだけど席が近かった俺は偶に仕事手伝ってあげたりしてた。……多分、それがよくなかった」
「ある日、職場のデスクに手紙が置かれてた。差出人はその先輩からで、付き合ってほしいっていう内容だった。でも当時付き合ってた彼女もいたからハッキリ断ったんだ」
「それでも手紙は置かれ続けた。無視してたらプレゼントとかも一緒に置かれ始めるようになった。手紙の内容も次第にめちゃくちゃになってきて、正直怖かったけど同僚だから無碍にもできないって我慢してた」
「そしたらさ、どこで知ったんだかその時俺が住んでた家にまで手紙を入れてくるようになったんだ。『ずっと見てる』って書いてあって……流石に警察に相談した方がいいかもって、ようやくその時思い始めて。でもそれでもまだ踏ん切りがつかなかった」
「でも贈り物とかがエスカレートしてきたから流石に上司は相談して、そんで会社にも協力してもらって職場であんまり関わらないように色々対応してもらった。席離したり、部署移動してもらったり、色々……それで怒らせたんだろうな。今度は俺の友達の連絡先をどうにかして得て、俺の悪口を言いふらし始めた」
「『女を容赦無く捨てる奴』とか『友達の情報売って悪どい商売してる』とか色々……それ信じる方もどうかと思うけど、でも俺の友達はそれであっけなく離れて行った」
「流石に警察に相談したよ。その時担当してくれたのが井上さんで、色々助言してくれたり対処してくれたりした。でも……最終的に、あの人は警察の警告を無視して俺らの前に現れた」
「刃物持って」
「……支離滅裂なことを言いながら突然一緒に歩いてた彼女の腕を切りつけた。そして、取り押さえようとした俺の目の前で……自分の首を切った」
「──っ」
思わず息を呑んでしまう。コンビニのレジ袋を手から下げた彼は、その私の反応に困った様な微笑みを浮かべた。
「幸い、彼女もあの人も命に別状はなかったよ。あの人は重傷だったけど。……でも、あの時の光景は今でも思い出す。道路に飛び散る血も、彼女の悲鳴も、『あの人』が俺のこと見て笑う声も。……その後に彼女に言われたんだ。『君と一緒にいなければよかった』って」
「っ!!……はるかくんが、悪い訳じゃ……」
「悪いよ。そんな危ない人に付き纏われてるって分かってたにも関わらず、遠ざけることをしなかった。危険に晒した。……俺が悪い」
コンビニからの帰り道。静かに語るはるかくんの目には後悔がありありと滲んでいる。ぐっと唇を引き結んだ。
被害者が悪いなんて、そんな事あるわけない。自分勝手な妄想と願望を押し付けて、その通りにならないことに逆上して人を傷つける人が悪い。それなのに。
当時の彼女を責めることはできない。彼女だって被害者だ。腕に傷を負って、心にも負った。責める場所が欲しかったのだろうことは理解できる。
でも、それでも、はるかくんにそんな事言わないで欲しかったなんて思ってしまう。私は当事者じゃないから、無責任に、無情に、そう考えてしまう。
ぐっと口を噛み締める。
何故か泣きそうになるのを堪えていると、頭上からいろんな感情が込められたため息が落ちてきた。
「……この間出てきたんだって、あの人」
「え……」
「とはいえ精神病院に入院措置が取られてるみたいだから、俺のところにくることはないって話だけど。……でも、いつまでそうかは分からない。いつかまた俺の前に現れるかもしれない」
ポケットに手を入れて、その中にあるであろうタバコの箱を手で弄りながらはるかくんは真っすぐ前を見た。
「俺の親しい人に……友達に、危害を加えるかもしれない。だから」
ダメだ、と。
私とは友達にならないと、彼は微笑んだ。
「…………」
はるかくんを見上げて押し黙る。
友達にならないという選択を取ることで、私を守ろうとする。……いや、きっとそうすることで自分も守ろうとしている。
当時の事件は……『あの人』の存在は今もはるかくんを怖がらせている。そして付き合っていた彼女に言われたという『君と一緒にいなければよかった』という言葉は、きっと狂人の所業を目の当たりにして動揺するはるかくんの心を壊す致命的な一言だったのだ。
彼はその言葉に3年も縛り付けられている。
大事な人を傷つけたくない。そして仲良くなった人にそんなこと言われたくない。だから友達も彼女も作らない。
それは正当な防衛反応だと思う。誰だって傷つきたくないし、他人が傷ついた理由が自分でありたくない。それならば明確に線を引いて、傷つきも傷つけもしない距離を取ることを選んだ。
正しい。正しくて、優しい。その拒絶を肯定してあげることが多分私が取るべき正しい行動で。
分かっている。なら、私は。
「はるかくん。……ごめんなさい」
彼に向き直って頭を下げる。
返事はない。ゆっくり顔を上げると、彼は安堵と、諦観と、そしてほんの僅かな失望を含んだ目で微笑んでいて。
きっと私から「やっぱりこのままの関係でいましょう」と言われると思っているであろう彼は、それでいいと言わんばかりの表情を浮かべる。
そんな彼に、私は内心でもう一度ごめんなさいと謝った。
ごめんね、はるかくん。
そうじゃなくて、この謝罪は今から貴方の優しさを踏み躙りますという宣言です。
「はるかくん。───昨日は、か弱い女の子みたいな反応しちゃってすみませんでした」
「………………………ん?」
「白状します。……私、実は空手有段者なんです」
そう言って、私はぽかんとするはるかくんの前で押忍、と構えをとるのだった。




