七十一話
「鈴ちゃん!!」
ガチャンッと玄関ドアが開く大きな音と共に転がるように飛び込んできた葵ちゃんの顔は、焦燥の色でいっぱいであった。
「あ、葵ちゃ……」
「大丈夫!?怪我は!?」
「な、なんともないよ!遠目から見つけてすぐ引き返したから接触もしてないし」
すでに事情を知っている様子の葵ちゃんは、ひどく焦った顔で私の体をペタペタ触って見分する。しばらくなされるがままだったが、やがて納得したのか彼女はヘナヘナと床にへたり込んだ。
「はあ……本当に良かった。遥ナイス。褒めて遣わす」
「偉そうだな」
異常なまでに焦る葵ちゃん。彼女はほっと息をついたのも束の間、ビシッと腕を組むはるかくんを指差した。
「跡は!?」
「つけられてない」
「オートロック開錠の時は!」
「周囲に人影なし」
「部屋入室時は!」
「異常なし目視確認済み」
何だか慣れた様子の物騒なやりとりだ。葵ちゃんの異様なまでの焦りようも鑑みるに、やっぱり……と思わずはるかくんを窺い見る。すると私の視線に気付いた彼は優しく微笑んでくれた。
「どうした?」
「あ……いえ」
取り繕うように笑う。と、立ち上がった葵ちゃんが「あー!?」と大きな声を上げた。
「モンテ見てんの!?一話から!?」
「あ、うん。はるかくんが見たいって言ってくれて」
「えーずるいずるいずるい!わたしも鈴ちゃんと一緒に見たい!」
「見りゃいいだろ」
呆れたように言いながら麦茶のおかわりをグラスに注ぐはるかくん。ついでに私のグラスにも注いでくれたるジェントルマンぶり。お礼を口にしつつリモコンを手に取る。気を紛らわすためか、アニメを見たいと言ってくれたはるかくんに促されるままサブスクで先ほどのコラボカフェの元であるアニメを流していたのだ。
考え込まないように、と私を気遣ってくれるはるかくんは本当に優しい。そして走って来てくれたであろう葵ちゃんも。こんなにいい人達が近くにいてくれてよかった。感謝してもしきれないくらいだ。
カバンを適当にソファーに投げてはるかくんと言い合いしている葵ちゃんにくすりと笑みが零れる。
「みんなで見よ。今まだラウちゃんが研究所脱走したところだから」
「やった!……あ?」
ボフッと勢いよく私の隣に腰掛けた葵ちゃん。いつも通りの元気いっぱいな様子に救われる。きっとはるかくんは元彼に怯える私が男の人と二人きりにならないように葵ちゃんを呼んでくれたのだろう。流石いい人日本代表はるかくん。
あの時はるかくんがコンビニに戻ってきてくれていなかったらどうなっていたか。恐ろしい考えが浮かんでしまい、逃れるようにリモコンの再生ボタンに手をかける。しかしその時、テーブルの上に置いたはるかくんのスマホが鳴り出した。
突然の音にびくりと跳ねながら振り返れば、画面には『井上さん』の文字が。思わず息を呑むと、葵ちゃんが私の腕に抱きついた。
「はい、山下です。……はい、ありがとうございます。代わります」
冷静な声で電話に出たはるかくんは、そのままスマホを私に差し出した。緊張で手が震えそうになるのを堪えて受け取る。
「代わりました、飯田です」
『あー飯田さん?井上です。お待たせしてすみませんね、とりあえず終わったからご報告です〜』
「あ……ありがとう、ございます」
終わった、という言葉に一先ず安堵を覚える。しかし私の安堵を他所に、井上さんは不穏な言葉を続けた。
『それでね、近隣から不審者がいるという通報を受けたって体で件の元交際相手さんと接触したんですが……まあ結果から申し上げると今日のところは警告して帰ってもらえました』
「……今日の、ところは……?」
『ええ。……彼ね、あなたがお住まいになってるあの部屋を自分の部屋だって言い張ってるんです』
「……は?」
ざあ、と体中から血の気が引く音がした。
そんな訳ない。別れ話をしたあの日、あの男は他に女が出来たからと言って鍵を置いて出て行ったのだ。そして今日まであの男はあの部屋に一度たりとも戻ってきていない。
そもそも、あの部屋の賃貸契約もライフライン関係も全て私名義で契約しているのだ。あの男が自分の部屋であると主張できるはずがないのに。
『勿論、自分の家なのに鍵がないなんておかしいでしょうと所轄の警察官が突っ込んだんですがね、無くしただの同棲してた彼女に没収されただの色々言った挙句暴れ出したんで所轄へ連行しました』
「…………」
言葉を失う。暴れた?警察相手に?何を考えているんだ。私はそんな男と交際していたのか?……そしてそんな男に私は自分の住まいを知られている?
氷を飲み込んだように体の芯が冷え切っていく。
『取り調べには素直に応じましたよ。ですが待ち伏せ行為については否認しており、付き合ってる彼女と行き違いがあって喧嘩しただけ、家を追い出された、などと言っており、あの家は俺の家だの一点張り。ただし反省もしていて、初回だったこともあり、不審な行動はとらないようにという警告をした上で釈放となりました』
「そんな……」
『……飯田さん、こんなこと言うのは警察として心苦しいところではありますが……早めにお引越しなさることをお勧めします』
息を呑む。まさか、という言葉は口の中で音とならずに消える。カラカラに乾いた喉が引き攣った。
『恐らくまた来ます。あの手の輩は』
勿論こちらも巡回し増やすなど手は尽くしますけどね、という井上さんの言葉は、私の耳には入ってこなかった。
警察屋さんとの会話も、友人から聞いた体験談をもとにオマージュしているものなので現実的ではないかもしれません。フィクションとしてお楽しみ下さいね。




