56話
「……え。はるかくん?」
お盆休み明け一発目の出勤日。自分でも自覚するくらい荒んだ目で改札にICカードをタッチさせた瞬間、隣の改札を抜けた人物が驚いたような声をあげた。
「すずさん?おはよう」
「おはようございます。……スーツ姿初めて見ました」
白のレースブラウスと黒いタイトスカートという出立ちの女性、すずさんがしげしげとと俺を眺めながら駆け寄ってくる。
高い位置で一つに括ったアッシュベージュの髪が動きに合わせて揺れる。何となく並び立って階段を登りながら俺は苦笑いを浮かべた。
「今日出勤日なんだ。憂鬱でしょうがない……」
「出勤日……今更ですけどはるかくんってお仕事何されてるんですか?」
「システムエンジニア。基本在宅なんだけど週一で会社に行かなきゃいけなくて」
「システムエンジニア……!?」
何故か目を輝かせるすずさん。今どきそんな珍しいものでも無いだろうに。隣の小柄な彼女の歩くペースに合わせて階段を登りながら、俺も前々から気になっていた彼女の職業について尋ねる。
「そういうすずさんは?」
「私は建材メーカーの設計です。設計って言ってもほぼ事務職ですけど」
「へえ。勝手に営業職とか接客業かなって思ってた」
なにせ強盗犯相手に交渉始めるくらいだし。コミュニケーション能力も高いし頭の回転も早そうだからハマりそうだけど。そう言うと彼女ははは、と軽く頰を掻いた。
「実は前に営業にならないか人事からお声がけいただいた事あるんですけどね。人見知りするのでお断りしたんです」
「人見知り……?誰が?」
「私がですが。何か?」
人見知りの人は顔見知り程度の男に話しかけたりしないのでは、と思わず疑問の声を上げる。
しかし文句あんのかと言わんばかりの笑顔と声色が返って来たので、いいえ何でも、とわざと含みを込めた笑顔を作って見せた。
「人見知りですよ。初対面の人と話すの緊張して喋りすぎちゃいますし、人と目合わすの苦手ですし……ああでも」
カツン、と階段の最上段をパンプスのヒールが叩く。よくもまあそんな高いヒール履いて電車に乗れるなと感心していると一歩先を歩いていた彼女がくるりと振り返った。
「はるかくん相手ではあんまり緊張しませんね」
にこ、と口の端を上げて俺を見上げるすずさん。……それは、一体、どういう───言葉と笑みの真意を図りかねて、思わず尋ねそうになるが。
「あと葵ちゃんもですね。私知り合ったばっかの人とゲームとか一緒にできないんですけど、葵ちゃんとは全然気負わずできましたし。なんでだろ、二人ともとっつきやすい雰囲気が出てるからですかね」
「……葵はともかく、俺は違うと思うけど」
「そうですか?」
平静を装って否定すると、彼女は「じゃあなんだろうなぁ」と斜め上を見て考え込み始めた。
……ただの社交辞令に何をそんな心を乱されているんだ。寝起きでまだ脳が上手く働いていないのかもしれない。起動の遅い自分に嘆息した。
上り方面のホームに向かう階段の前で立ち止まる。変にざわざわする腹の底を押し堪えて俺は自分の行く道の方を指差した。
「俺こっちなんだ。すずさんは?」
「あ、私は向こうです。じゃあお互い一日頑張りましょうね」
「……ああ、また」
夜に。と続けてしまいそうになるのを堪えて、俺は手を振って去っていくすずさんに手を振り返すのであった。




