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アラサー腐女子転生

「うっ……」 


杏が目を覚ますと、視界に入ったのは見慣れない天井だった。木の(はり)がむき出しになった、簡素ながらも立派な造り。薬草と消毒液が混ざり合ったような、それでいてどこか爽快な香りが微かに鼻腔をくすぐる。 ここはどこなのだろうか? 夢の中だろうか、と頬をつねると痛みがじわじわと走る。夢ではない、これは現実なのだ。 


「私はアラサーで三度目の職場で女上司に目をつけられ、転職活動をしてる豆腐メンタル腐女子…」


混乱の中、無意識に口から出た言葉は、転生前の自分の惨めな現状を思い出させた。


「……奇妙な服装をした女だな。それに珍妙な独り言」


低い声が聞こえ、寝心地のいいとは言えない固いベッドから飛び起きる。目の前の男は、彼女をまるで珍獣でも見るかのような冷めた目で見ていた。自分の服装に目をやると、そこには「推しカプ命」と書かれたTシャツに、くたびれたスウェットパンツ姿の自分があった。この恥ずかしい格好で、見知らぬ男性の前にいることに、全身の血の気が引いていく。


それでも、質問せざるを得ない状況だった。


「ここは……?」


杏の問いに男は少し鼻につく言い方をした。


「騎士団の医務室だ。エクレシアの城門の前にある森で倒れているあんたを、我らが見つけた。隣国での査定の帰りだったことを僥倖(ぎょうこう)と思え」


男の言葉に、ようやく杏は周りを見渡せるくらいには落ち着いた。机には手入れされた医療器具が並び、窓からは騎士団の訓練場が見える。窓枠から伸びた柔らかな光が、医療器具の表面をぼんやりと照らしている。姿見の鏡には、眼鏡をかけておさげにしている自分の姿が映っていた。厚く野暮ったい前髪から、男を観察する。 


男は、濃紺の生地に銀の糸で縁取られた、仕立ての良い制服を身につけていた。肩には騎士団の紋章が刺繍されており、胸元には簡素な銀のピンが光っている。奇妙な格好はお互い様だ、と杏は思った。


「じょ、冗談ですよね?何かのコスプレですか?東京で何かイベントやってたかな?」


「頭をぶつけたのか?ここは王都エクレシアだ。お前は…」


杏には既視感があった。この医務室の空気、この男の制服。すべてが、彼女が熱中していたゲーム「運命のΩは騎士総帥を愛す」の、あの印象的なシーンと重なる。


「あ、ありがとうございます……私はアンと言います」 


恐る恐る礼を言うと、男は「ふん」と鼻を鳴らした。 


「礼を言うのは、総帥殿にしてくれ。あんたを連れ帰るよう命じたのは、総帥殿だ」


その言葉に、杏は息をのんだ。ぶわっとゲームの記憶が、鮮明な映像として蘇った。


「ぐすっ、ごめんなさい、お父様……ごめんなさい……だから捨てないで」


それは、鹿の番を撃ち殺そうとした伯爵を止めたことで暴行され、森の奥に捨てられていたムーアを、カイルが偶然発見するシーンだった。


「ムーア、生きろ。今は生きて、生き延びるんだ。必ずお前は幸せになる」


そう言って、カイルはムーアを自らのマントで包み、騎士団の医務室に連れ帰った。医務室で、ムーアは恐怖と絶望に震えながら、小さな体で丸くなっていた。それでも血の契約書からは逃げれず、伯爵の元に戻っていくんだ。血の契約書が厄介で、杏をバッドエンドのルートに追い込んだ困り種だ。


血の契約には色んなルールがあり、ここでは伯爵の元から離れると苦痛が伴うという非常に残酷な呪いがかけられていた。逃げようとすれば全身の血管が沸騰するような激痛に襲われ、自由を奪われるのだ。


ゲームの中のムーアは、今にも消え入りそうなか細い声で、ただひたすらに謝罪を繰り返していた。その姿に、杏は胸を締め付けられた。 目の前の光景は、まさにあのシーンと重なる。森で倒れていた杏を、カイルが助けてくれた。騎士団の医務室。あの時のムーアと同じだ。杏は、ムーアと同じく、カイルに救われた。しかし、ゲームの中のムーアと違うのは、この世界で杏が、彼らを救えるかもしれないということだ。


(総帥……カイル様……)


杏の脳裏に、あの時のカイルの姿が鮮明に蘇る。血に染まったムーアを抱き上げ、静かに怒りを燃やす、その涙を堪えたような横顔。彼がムーアを救った、あのシーン。 この世界で、ゲームのストーリーを変えられるだろうか。あの悲劇的な結末を、ハッピーエンドに変えられるだろうか。震える手で、彼女はきゅっとシーツを握りしめた。



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