契約 入れ替わり
「いらっしゃいませー!!」
ベルの音とほぼ同時に聞こえるひときわ威勢のいい挨拶。
高校生の雪斗は、ファミレスのウェイターをかれこれ二年以上続けている。
「おひとり様ですか?」
真っ黒なスーツに身を包んだ長身の男が「ああ」と短く答える。
「こちらへどうぞー」
奥のテーブルに案内すると、男はメニューも見ずにブラックコーヒーを注文した。
「態度わる」と心の中で毒づいた雪斗だが、そんなことはおくびにも出さず、いつもの笑顔で「少々お待ちくださいー!」とだけ言うと、急いでカウンターに戻った。
「お先に失礼しますー」
バイト終わり、少し疲れた足取りで寮までの道を急ぐ。
近所の家電量販店の前を通るとき、店の前に置かれたテレビにちょっと好みのアナウンサーが映り、雪斗は思わず立ち止まった。
「速報です。本日、国会で天使対策法の改正案が可決されました。追加事項は、能力値が基準値を大幅に超える天使の処分に関して、対策委員会が一部決定権を主張できるようになる、とのことです」
ちょっとタイプかもしれないと思ったそのアナウンサーは、表情ひとつ変えずにハキハキと繰り返した。
「人間のふりしてるとか、めっちゃこえーじゃん」「しっ、どこかで聞いてるかもでしょ」
近くにいたカップルがそのニュースを見ながら、そう話しているのが聞こえた。
雪斗はその場から逃げるように、早足で歩き出す。
その時だった。
「おい」
振り返ると、見覚えのある顔が雪斗を見下ろしていた。さっき店に来たスーツの男だ。
「お、お客さん!?」
「茅咲真白。この名前、聞き覚えがあるはずだ」
身体中の血液が凍ってしまったかのように感じた。茅咲真白・・・忘れるわけない、俺のたった一人の妹を。
「あんた・・・だれだ」
そう言って睨みつけると、男はちょっと驚いたような表情をして、
「早坂透。以前は天使対策委員会のエージェントをしていた。お前に話がある」と言った。
「・・・なんだよ、話って」無視しても良かったが、目の前の男がなぜ真白を知っているのか、話しかけてきた意図は何なのか、どうしても確認しなければならないと思った。
男の切長の瞳が真っ直ぐ雪斗を捉える。なんでも見透かすようなその目が、雪斗の居心地を悪くさせた。
「お前の妹を救い出す方法を俺は知っている。お前が指示通りに動くと約束するなら、助けてやってもいい」
「はぁ??・・・いきなりそんなの、信じられるかよ」
すると男は不敵な笑みを浮かべて耳元に近づき、
「お前、天使だろ」とささやいてきた。
「なっ、ちげえし!!」
「何をするか聞かなくていいのか?お前にもできるくらい、簡単な仕事なのに」
「えっ」思わず反応してしまい、男の笑みが深くなる。
「・・・まあいい、どうせお前は承諾するしかないからな」
「受けるかは別だけど、内容くらいは聞いてやるよ」
「仕事内容はこうだ・・・お前が俺のふりをして組織のエージェントになり、俺の指示通りに動くだけ。どうだ?お前の能力なら造作ないだろ」
「いやいやいや!!何が簡単だよ、そんなんできるわけねえだろ!!」
思わず大声で叫ぶ雪斗をよそに、
「とにかく、考えてくれ。返事は一週間待つ」そう言い、男−早坂は去って行った。
「はい、今日の授業はここまで」教師の声とほぼ同時にチャイムが鳴った。
今日は全くもって集中できなかった。集中しようとしても、スーツ男の話が頭をよぎってしまうのだ。急に、“早坂”と名乗っていたことを思い出した。名前だけで検索をかけたが、100件以上もヒットした。顔写真も出てきたので確認してみると、今の堅い雰囲気とは違うものの、間違いなくあのスーツ男だった。
「ほ、本当にエージェントだったのか・・・」
「あ、このひと知ってる!」スマホをのぞいてきた隣の席の女子が興奮気味に叫んだ。
「ちょ、覗くなっ」押し除けようとする雪斗をよそに、ベラベラと知識を披露する。
「透様は委員会の最年少エージェントだったんだよ!てか何で知らんの!?ファンクラブもあったし、テレビにもしょっちゅう出てたんだけど??」
「あった・・てことは、今はもうないのか??」思わず身を乗り出すと、思い切り嫌な顔をされ、少し傷つく。
「・・・やめちゃったんだよ。ほんとに急に。それからは誰も消息を知らないって。だから死亡説も出てる」
「は、はあ・・・そうなのか」
バリバリ生きてたけどな。
寮にはテレビがないので知らなかったが、とてつもなく有名人だったようだ。
ますます怪しくないか?ほんとに本人だったのか・・・?
「あああああ〜!!」
食うか寝るかしか考えてこなかった単純な脳には情報量が多すぎる・・・
雪斗は頭を抱えて机に突っ伏した。
「ちょっと!いきなり大声出さないでよ」
慌てて離れていく足音を尻目に、腕の中で瞼を閉じる。昨日寝付けなかったから、超眠い。
だいいち、早坂(仮)のいうことが本当だったとして、雪斗のショボショボな天使能力なんかで任務を果たせるのだろうか。その能力だって、生まれてからずっと隠してきたものだ。
はい、使ってください。と、いきなり言われて使えるようなものでもない。
雪斗がもし失敗して、真白の身が余計に危険に晒されるようなことになったら・・・
それこそ、雪斗にとっては一番怖いことだった。
家に着いても、落ち着かなかった。備え付けのベッドに突っ伏し、顔を腕で覆う。
妹を救いたいが、余計なことをして危ない目には遭わせたくない・・・
煮え切らないうちに、スマホが鳴った。画面いっぱいに早坂の顔が映し出される。
画面越しでもナイフみたいな鋭い雰囲気は健在だった。
「・・・どうも」
「なんだ、まだ悩んでるのか。思ったよりグズだな」
「うっせ、何の用だよ」
「ああ、そうだった・・・お前の妹の処分なんだが、一年後に決まったぞ」
「う、うそだ、なんで!!」
「天使対策法が修正されたのは知ってるだろ。お前の妹の数値が基準値を超えたんだ」
「そんなわけ・・・」
早坂はイライラした目つきで雪斗を睨んだ。まるで、できない言い訳を探す雪斗を糾弾するかのような鋭い視線。
「どうするんだ。やるのか、やらないのか」
「・・・」こわい。使ったことないこの能力で誰かを演じるなんて・・・ましてや優秀な早坂をだ。こんな自分にできるわけがない。
「いつまで二の足踏んでるんだグズ男。妹が死んでもいいのか?」
驚いて画面に映る相手の顔を見る。
相変わらずの無表情だ。この無表情でこんな口汚いセリフを言ったのか??
「あーもう、やるよ!やってやらあ!」なんだか力が抜けた。してもいない失敗を怖がっても仕方がない。このまま動かなければ、真白は一年後に殺されてしまうだけだ。
「よし、そうとなれば今から特訓だ」
「えっ今から!?」
「当たり前だ、お前みたいなポンコツが俺を演じるんだ。時間がいくらあったって足りないくらいだぞ」
「か、勘弁してくれっー!!」