9.悪役令嬢と零落令嬢①
学園敷地内に整えられた中庭、その隅に設置された東屋。周囲を植物に囲まれ、人気の少ないこの場所は他人の視線に煩わされることもなく、一人で落ち着ける良い穴場だった。学園内でも数少ない静かな場所。そんな場所で私は家から持ち込んだ軽めの昼食を摂っていた。
本来なら学園内の食堂で摂る人が大半である。現に、以前までの私も例に漏れず昼食は食堂に行っていた。けれどそのせいで王太子やその取り巻きに絡まれる事になっていたのも事実だ。彼らはいつも食堂のテラス席に陣取り周囲など気にすることなく騒がしくしていた。今も彼らは歓談を楽しんでいることだろう。周囲の迷惑など、顧みることなく。そんな一団に注意をするのが繰り返す前の私の日常でもあった。こちらが注意せずとも、私の姿を見れば彼らは私への罵詈雑言という趣味に興じるのだけど。本当に、馬鹿馬鹿しい。
そんな騒音に煩わされることがないというだけで、随分と快適な昼休憩だった。持ち込んだサンドウィッチも、流石はカルヴァート家の料理人が作ったものと言うだけあって絶品であるし。ずっと前から、こうしていれば良かった。今までの私は、やはり慣習というものに囚われていたということだろう。ヴァネッサ・カルヴァートが、こうして人目を避ける様な真似なんて、と。
そんな孤独な私だけの食堂に、不意に人の気配がして視線を上げる。視線を上げたその先にはブラウンのロングヘアを揺らす令嬢が立っていた。知性的なグレーの瞳を驚いたように大きく見開き固まっていた彼女は、私と目が合うと慌てたように口を開いた。
「失礼いたしました。カルヴァート様がいらっしゃるとは存じ上げず……」
私の姿は木や柱に隠れて見えていなかったのだろう。私自身、人目を避けていたということもあり、彼女が驚くのも無理はない。まさか、公爵令嬢がこんなところにいるとは彼女も思わなかったのだろう。驚かせてしまった事に僅かな罪悪感さえあった。
「お邪魔して申し訳ございません。わたくしは辞させて頂きますので」
貴族の礼に則って、私とは目を合わせず頭を下げて立ち去ろうとする彼女の姿には覚えがあった。そんな彼女を制して私は声をかける。
「構いませんわ。ベルグレイン様も昼食を摂りにいらしたのでしょう?」
彼女の手に抱えられた紙袋。恐らく私と同じ様に食堂を避け、どこかで食事を済ませようとしていたのだろう。ここで追い返してしまうのは私の良心が痛む。
「ここ以外に落ち着ける場所はありませんもの。よろしければ、ご一緒させて頂戴。勿論、貴女が嫌じゃ無ければだけど」
「そんな、滅相もない。有難うございます」
そう言って、引き留める私に些か委縮した様子ではありながらも彼女は私の前に腰を下ろした。尤も、公爵令嬢の誘いを断るなんて、大抵の生徒には難しい事ではあるのだけど。
「安心して頂戴。わたくしも直に立ち去りますわ。貴女もわたくしがいては落ち着かないでしょう?」
自虐気味な私の言葉に彼女は眉を下げる。困らせてしまったかしら。やはり、こういった会話は慣れない。
「いえ、お邪魔してしまったのはわたくしの方ですし……。そのような事おっしゃらないでください」
慌てて否定の言葉を紡ぐ彼女は変わらずあまり居心地が良さそうではない。言葉を間違えてしまったかもしれない。けれど、私も本音を言えば食堂に向かいたくはなかったので、その言葉に甘えさせてもらう。立場があるというのは、交友が苦手な私にとっては足枷の様でもあった。
「……そう言っていただけると、有難いわ。食堂の方は落ち着かないものね」
「そう、ですね。あちらは少し、騒がしいですから……」
「ええ……」
沈黙。王太子の婚約者としてしか生きてこなかった私は、こういう時どんな会話をすればいいのか、正直なところよくわからなかった。政治の絡まない談笑等必要ないと、父は私に教え込んでいたから。しばらくはお互い無言で食事を口に運ぶ。そんな沈黙を破ったのは意外にも彼女の方だった。
「……カルヴァート様がわたくしの事をご存じだとは、正直思っていませんでした」
「え?」
不意にかけられた言葉に、少し反応が遅れる。目の前の彼女は少し自虐的にも見える笑みを浮かべていた。
「先ほど、わたくしの家名を呼んでいらっしゃいましたから」
「ああ。ええ、そうね……」
曖昧な私の言葉に、彼女は自虐的に眉を下げる。自分の周囲からの評価を知っているのだろう。彼女は学園では有名な存在だった。そしてそれは彼女の表情が物語る様にあまりいい意味ではない。
ルイーゼ・ベルグレイン。ベルグレイン侯爵家の一人娘。彼女の生家であるベルグレイン侯爵家は近年落ち目であるというのは、社交界では有名な話だった。
ベルグレイン家が侯爵家に陞爵されたのは数代前の事。元は伯爵家だったベルグレイン家だが、領地に聳える険しい山は豊富な鉱山資源を有しており、その採掘と加工で力をつけたことによる陞爵だったと記憶している。そんな鉱山資源が、近年は尽きかけているというのは有名な話だった。
私の態度から、そんな家の状況を知られていると察したらしいルイーゼはやはり困った様に微笑むばかりだった。




