8.悪役令嬢は孤立する
学園の空気は昨日と変わらない。私は変わらず遠巻きにされ、噂が噂を呼ぶ。私の姿を見止めた令嬢達は声を潜め、令息達は明らかにこちらに視線を向けて何事かを話し合っている。様子を伺う様なその視線に辟易する。
焦ってはいけない。けれど、早くこの視線から逃れたいというのも私の正直な心情だった。
かつての私の様に、明らさまな敵意に晒される事はなくとも、衆目を集めるというのは殊の外消耗させられる。彼らの、私の真価を見定めんとするその雰囲気はお世辞にも居心地の良い物とは言えなかった。
そんな空気は授業中とて変わることは無く。
「――この様に我が国エルディシアと隣国サリヴァンとの国境紛争は約30年前に沈静化している。では、この理由を具体的に述べられる者は?」
外交論を担当する教師が教室を見回す。誰もが沈黙する中、教師の視線は私と交差して止まった。静かに手を上げる。
「カルヴァート君」
感情の乗らない平坦な声で彼は私の名を呼ぶ。教室中からの視線を受けながら私は立ち上がった。
「はい。先生が問うていらっしゃるのが直接の理由であれば、サリヴァン側の財政難により軍事侵攻が困難になった事、その結果サリヴァンは我が国の提示する停戦協定に調印せざるを得なくなった事です。それとも、その背景をお尋ねでしょうか?」
これは王妃教育で培った知識の一つだった。尤も、その背景に関しては与えられた資料から得た私自身の考察に過ぎないが。私の解答に教師は片眉を上げ、視線で続きを促す。静まり返る教室で、私は小さく息を吸った。
「第一に、サリヴァンの交易路の変化が挙げられます。サリヴァン王家とその主要交易国間での縁談の決裂により、交易が縮小した事が財政に打撃を与えた主因となります。また、当時の大陸の気候は例年と比較して寒冷であった事も無視できません。農産物の減収は両国の税収を圧迫し、長期的な軍事行動への懸念が国内外で発生した事も停戦の合意へ至った要因と考えられます」
己の考察を言い切り、再び席に着く。相変わらず誰も声を発することはなかった。教師すらも黙り込んでいる。そんな彼は考え込むように口許に添えていた手を下ろすと、満足そうに頷いた。
「実に良く整理されているな。評価に値する」
言葉とは裏腹に抑揚の無い声で教師は告げる。知らずのうちに緊張していたらしい私はその言葉にやっと肩の力を抜くことができた。
小波の様な小さなざわめきが教室に広がる。有耶無耶な音が好意的では無いことだけは、気配から察せられた。
「では次の頁を――」
その波は教師が淡々と授業を進める間も引くことはなかった。
その後の授業も似たようなものだった。初回授業ということもあってか、教師達は既に王妃教育を受けている私に答えを求めようとする。それは試す様でもあり、或いは授業の進行の潤滑油として利用する様でもあった。
その度に教室はさざめき、私と彼らの間に横たわる空間が開く様な錯覚さえした。
儘ならないものね。
私の有用性を示さねばならない。けれど、そうすればするほど他者との距離は開いて行く。私は、昔から実務以外の交流が苦手だった事をふと思い出した。
昼休憩を告げる鐘が鳴る。その音を待っていたかのように教室内の空気は華やかに弛緩した。
それでも、私の周囲だけは奇妙に空いたまま。立ち上がった私の耳に背後から声が届く。
「優秀さは言うまでもないんだろうけど、反って恐ろしさすらあるな」
「教師とのやり取り、こっちまで緊張したよ」
「王太子殿下すら冷たくあしらったと言うからな。俺たちなんて話しかけようものなら粉々に切り刻まれてしまうよ」
冗談めかした言葉の裏に、確かに滲む恐怖。それを、私のいる場で声にする辺りに程度が知れるが、今はどうでもいい事。
その囁きが畏怖と興味であるなら上出来だ。
彼らの思い描く"傲慢で嫉妬に狂った令嬢"という像は揺らぎ始めている。それは私にとって良い兆しには違いない。
軽く息を吐いて教室を後にする。
孤独など捨て置け。そんなもの、疾うに慣れきっている。
胸の奥に疼く空虚には、気づかない振りをした。




