7.悪役令嬢と侍女
柔らかな日差しが部屋を満たす。王都の穏やかな気候がよく表れた麗らかな朝だった。けれど、カルヴァート家はそんな陽光とは程遠く張り詰めている。我が家では呼吸のひとつすらも"正しく"行われなければならない。それは私も、母や弟も、使用人たちも、父にすら課せられた暗黙の取り決めだった。
一点の曇りなく磨きあげられた鏡越しに侍女を眺める。私の髪を結い上げる指先は繊細で、けれどどこか慎重でもあった。決して間違いのない様に、芸術家が作品を仕上げる様に。
ただ学園で授業を受けるだけには不必要なほど、私の姿は緻密に整えられていく。それが、私がヴァネッサ・カルヴァートであるという責任でもあった。
けれど――。
鏡の中で忙しく手を動かす彼女の表情はそれだけでは説明できない程硬い。普段は淡々としている彼女が、今日はどこか緊張している様に見えた。或いはどこか、怯える様な――。
冷たい彼女の指先が、私の耳に触れる。冷やりとした感覚に少しだけ肩が跳ねた。
「申し訳ございません、お嬢様」
はっとした様に侍女が声を発する。やはりと言うべきかその声は硬質で、彼女の内心が滲む様だった。
「いいえ。構わないわ」
私の返答に、彼女は静かに目を伏せる。多くを語らない事も、カルヴァート家のルールのひとつだった。使用人は、雇い主とその家族には不用意に話しかけてはならない。古い慣習ではあるが、我が家では今でもそれが守られていた。そしてそれは逆もまた然り。主たる家の者もまた、使用人なぞと気安くしてはならない。それもまた、疾うに廃れた習わしだった。
「父に、何か言われたのでしょう?」
不意に、彼女の手が止まる。今まで父の言いつけ通りに会話を避けてきた私が声をかけた事に驚いたかの様に。けれどそれは一瞬のことですぐに作業は再開された。変わらず、彼女が声を発する事は無い。
「答えずとも構わないわ。貴女には、それが許されていない事も理解しているから」
「その様な事は……いえ、恐れ入ります」
侍女は静かな声でそれだけ言うと目線を下げ、一歩引いて頭を下げた。鏡の中の私の髪は隙なくセットされていた。
学園への道は変わらず華やいでいる。王都の、それも王城のお膝元である学園周辺は商業も盛んで、特に学園へ通う貴族子女をターゲットにした流行りの店が軒を連ねていた。
店の店主たちが慌ただしく開店の準備を進めている。そんな風景を窓越しに眺めながら私は馬車に揺られていた。
どの人生でも、一度も立ち寄ることのなかった鮮やかな店々は、私の密かな憧れでもあった。
店先に飾られた華やかなドレス、カフェのテラス席、瑞々しく咲いた花を挿したブリキのバケット。
どれも以前の私には縁のなかった物。あれらは私が捨ててきた人生の延長線上あったものだった。
父を恐れ、大人しく従っていたあの頃の私は、あれらは不要なものであると切り捨てて来た。王妃となるべき私に、浮ついた娯楽は必要ない。保守的な父が教え込んだ通りに、私の人生からは王妃となる事以外の全てが排されていた。その結果が、あの幾つもの惨たらしい死であるのだから、最早乾いた笑みすら零れる。
これが物語であるなら、私は確かに悪役なのだろう。けれど、現実は私も父を恐れる一人に過ぎない。あの侍女と同じ様に。
彼女が整えた艶やな銀髪が窓ガラスに薄く映っている。彼女の白んだ指の感覚が、今も耳に残っていた。




