6.悪役令嬢は沈黙する
入学式が終わり、私たちは新入生の教室へと案内された。
講堂に響いていたざわめきは廊下にも尾を引き、有耶無耶な音となって廊下に反響する。けれど、その喧騒の中心はどうも私の様だった。
「あれがヴァネッサ様か。案外、まともそうだけど」
「そうか? 俺には分からんな。噂もあるし、俺は普通に恐ろしいよ」
「まあ、近寄り難いってのは間違いないよな」
教室に向かう私の背後からは、そんな会話が漏れ聞こえる。本人たちは声を潜めている心算であっても、自分に関する話題というのは不思議と耳に届くものだった。
噂、というのは王太子やその取り巻きが私について好き放題吹聴している話のことだろう。
曰く、ヴァネッサ・カルヴァートは周囲を見下す悪辣な女。曰く、王太子の寵愛を得られないことに嫉妬する毒婦。曰く、我儘で情のない冷徹な人物――。
どれも眩暈がするような話。悉く私が気に入らないらしい王太子は、周囲を固めたイエスマン達と共に行く先々で私の悪行を喧伝していると聞いた。更に頭の痛いことに、私の冷たく映る容姿も相まって、特に見ず知らずの下位貴族からは事実と認識されているらしかった。
全く。いっそ清々しい程に王太子は私への悪意を隠さない。幼い頃は、それなりに上手くやれていたというのに。私への王妃教育、王太子の帝王教育が始まってから、その歯車は少しずつ狂ってしまった。あの頃にもっと歩み寄る努力が出来ていれば、私の未来は変わっただろうか――。
今更、そんなもしもを語ったとて、詮無いことではあるのだけれど。
「けど、今朝も言ったろ? 王太子殿下とヴァネッサ様の会話が、どうも噂とは違ってたって」
「ああ、聞いたさ。殿下と取り巻きの令嬢を冷たくあしらったって話だろ? でもそれだけじゃなんとも言えないだろうよ。それに、冷たいってのは噂通りじゃないか」
「そりゃあ、そうだけどさ。でもとてもじゃないが嫉妬なんてしてるように見えなかったんだよな」
会話の内容から察するに、彼らは下位貴族なのだろう。そんな彼らは今朝の王太子とのやり取りを目にしていたらしい。噂のヴァネッサ・カルヴァートは伝え聞く程王太子に執着していないのではないか、そんな話題が彼ら以外からも漏れ聞こえてくる。
騒めきは教室に入ってからも変わることは無く、いっそ不自然な程に私の周囲には誰も近寄ろうとしない。空間に隔たりがあるかのように私の座る周囲の席はぽっかりと空いていた。
伺う様な視線と潜める様な声。誰もがこちらに視線を向けながらも声がかかることはない。しかしそれらは敵意と言うよりも警戒に近しかった。
浅ましい好奇心と小さな疑念。貴族というのは甘美な醜聞を好む生き物だ。それは学生とて変わらない。水面に投じられた一石は波紋を広げ、やがて周知の事実となる。学園という狭い世界では、それが顕著であることも私は痛いほど理解していた。
私は彼らに芽生えた小さな疑念を広げる一石を投じればいい。一つ一つは小さくてもヴァネッサ・カルヴァートの行いは常に衆目に晒されている。そしてそれは瞬く間に広がって行く。良くも、悪くも。
今はまだ、これだけでいい。噂に沿わない態度を取り続ける事こそが、私の成すべき事だと実感した。彼らの心に生じた違和感を、柔く、押し広げるように。
私はぽっかりと空いた周囲の席を一瞥してから、視線を前へ戻した。依然、教室は姦しく騒めいている。
私は言葉を発する必要もない。ここで下手に言葉を交わせば、芽生えかけた疑念は“誤解”として処理されてしまうだろう。人は、安心した瞬間に考えることをやめる。
疑念は、放置してこそ育つもの。噂もまた、触れなければ勝手に歪む。
始業の鐘が鳴り、教室に入ってきた教員が声をかける。
声は徐々に収束し、生徒たちは渋々ながらも前を向いた。
私は静かに背筋を伸ばす。
この学園で、私が為すべきことは明確だ。
――今は、何もしない。
ただ、見られ続けるだけでいい。私という人物の真価を、彼らに知らしめるために。




