5.悪役令嬢の罪と罰
王立学園の入学式は、学園に併設される講堂で行われる。少しばかり古い様式の建築も、数多の使用人により手入れが行き届いているおかげか古めかしい印象はなく、荘厳さすら感じられる。そんな学園の歴史そのものとも言える講堂に、新入生達が吸い込まれて行く。まだ幼さの残るその顏に期待と不安を乗せ、春風に背を押されて。
学園の入学式では入学に際して行われる試験で首位の成績を収めた者が新入生の代表として挨拶と抱負を述べるのが通例であった。
一月前、学園から私が首位であるとの通達が来た時、父はくれぐれもカルヴァート家の恥になるような行いはするな、と忠告をするのみだった。
それから暫くして、私が首位だと知ったらしい王太子からは女の癖に生意気だ、との言葉を賜った。
私にとっては何十年も前の出来事であるのに、今尚鮮明に思い出される。
父は家の名ばかりを案じ、王太子は幼稚な自尊心のみを優先する。どちらも、私のこと等考えることはない。今更、私を見て欲しい等と言えるほど、私も幼稚でもなければ、そんな愛嬌も持ち合わせていないけれど。
後に聞いた事だが、王太子は王家の"箔"のために己が挨拶をすべきだと学園に抗議等もしたらしい。その行為こそが、王家の箔を落とすとは、考えなかったのだろうか。無論、その訴えは敢え無く棄却された。
先程、王太子がわざわざ登校時間を早めてまで私に絡んで来たのも、その鬱憤を晴らす目的もあったのだろう。全く。幼稚で、愚かしい。あの王太子が感情に振り回されて愚行を犯すのは今に始まったことではないけれど。その後始末をするのがいつもの私の役目だった。王太子はそれすら嫌がっていた様だけど。今回こそは、そんなものに煩わされる事の無い人生でありたい――。
「只今より、王立学園入学の儀を執り行う」
私のとりとめもない思考は教員の声によって現実に引き戻された。
講堂内は静寂に包まれていた。私は壇上脇に設けられた席に案内されており、他の生徒達の注目を一身に受ける位置にいた。
これほどの視線を浴びるのは何度目だろうか。思い返すのも億劫になるほど繰り返してきたはずなのに、胸の奥底に僅かに重みが生じる。何度繰り返しても、この重みに慣れることはない。
壇上では粛々と式が進行していた。来賓として招かれた王妃が祝辞を述べるのをぼんやりと眺める。凛と背筋を伸ばし、平坦ながらもよく通る声で王妃は言葉を紡ぐ。国母たるもの、淑女の規範たれというのは王妃が私に何度も繰り返した教えだった。
「貴方方がこのエルディシア王国の明るい未来を担う事を、心より期待しています」
教科書的な言葉で祝辞を締め括った王妃は優雅な仕草で降壇する。壇上脇に座る私に一瞬向けられた視線からは感情を読み取れない。それでも、少し指先が冷えるような感覚がした。思い出されるあの日の王妃の言葉。
ヴァネッサさん、まさかあの女をこのままにしておく気ではないでしょうね――。
「新入生代表挨拶。代表・ヴァネッサ・カルヴァート」
進行役の声に沈みかけた意識を浮上させる。いけない。淀んだ胸中を悟られぬ様、姿勢を正し、登壇する。私の靴音がやけに大きく響く様な気すらした。
公爵家に障害を排する手腕を持たぬ者は必要ない――。
脳裏に父の声が響く。
壇上から見渡すと数多の視線が絡みつく様な錯覚を覚える。相変わらず感情の乗らない王妃の視線は私を縛る鎖の様でもあった。
「陽春の候、由緒あるこの王立学園にご入学できますことを心より光栄に思います」
何度も繰り返した言葉をなぞる。今となっては何も考えずとも諳んじることが出来る文章。なんの面白みもないが、思考が淀む今となっては逆に有難い。
あの日。私がアリシアの殺害を決意したあの忌まわしき日、私は王妃に呼ばれ王宮での個人的な茶会に参加していた。
あの日訪れた王族のプライベートサロン。そこは一切の隙が無く整えられ、完璧であることを求められる私への皮肉の様に感じられる。そんな嫌味なほどに美しいサロンで、私と王妃は向かい合っていた。
「学園での話はわたくしも聞き及んでいます。息子に些細な過ちがあることも」
その場には私と王妃しかいない。あの時の私は、王妃が人払いをした時点でこの話がされることは分かっていた。
「ヴァネッサさん、まさかあの女をこのままにしておく気ではないでしょうね」
王妃は音もなくティーカップをソーサーに戻し、こちらに冷ややかな視線を向けた。
あの女。その言葉が指す人物は当時学園内で奔放に振舞い、王太子すらも篭絡していたアリシアその人だった。
「……はい。心得ております」
「そう。ならば早めに対処なさい。貴女は卒業と共に王太子妃になる事が決まっています。そう時間は残されていないのですよ」
責める様な王妃の言葉。胃の底に鉛を抱え込む様な感覚に握る拳に力が入る。
「かしこまりました」
「要件は以上です。貴女が私の期待を裏切らないことを願っていますわ」
用は済んだとばかりに王妃は席を立つ。僅かに震えていた私の声色に眉を顰めたまま彼女は立ち去って行った。白んだ私の指先には重く圧し掛かる様に指輪が上品に輝いていた。
王宮から戻った私を待ち構えていたのは父。私が王妃からの呼び出しを受けたと聞き及んだらしい父はいつにも増して厳めしい顔つきで私を迎える。
「公爵家に障害を排する手腕を持たぬ者は必要ない。この意味が分からぬほどお前を愚かに育てた覚えは私にはない」
その言葉は父も現状を理解している事を意味していた。そして同時に私は腹を決めなければならない事も。
言いたいことだけ言い捨てて父は踵を返す。そういえば、私の周りにはそんな人物ばかりだとふと考えた。
小さく深呼吸をしてから侍女に声をかける。
「走狗に連絡を。あの女を対処します」
こうして、あの日私はアリシアの殺害を企てた。
結果は無残なものだった。私の動きを察知した弟に先手を打たれ、私が遣わした暴漢はいとも簡単にアリシアに篭絡された。いくら追い詰められていたとはいえ、公爵家にあるまじき致命的なミス。あの失敗を機に、私はこうして地獄のような人生を繰り返している――。
何度繰り返しても挨拶を述べる私に注がれる視線はこの時ばかりは変わることはなかった。挨拶もそろそろ終盤に差し掛かる。
――私たち新入生は、先人に恥じぬよう学識と品位を磨き、このエルディシア王国の未来を担う一助となるべく励む所存です。ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
流れる様に口を突きかけた言葉をふと飲み込む。今度こそはと僅かに芽生えた反抗心。私は、国の為ではなく自分のために生きていきたい。今朝の決意が蘇る。息を吸う。
「私たち新入生は、互いに励み、互いに高め合い、今日より始まる歩みを大切に刻んで参ります――。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
そう。始まるのだ。今日、この日から。私の為の人生が。これは私自身に向けた決意の言葉。必ず、この馬鹿げた繰り返しの中で私のために歩みを刻むと。
言葉はささやかながらも、少しだけ気が晴れたような気がした。




