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死に戻り令嬢は穏便な婚約破棄を所望する  作者: 空棘魚
薄氷篇

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4.悪役令嬢の独白

 蹄の音が一定のリズムで石畳を叩く。公爵家が所有する二頭立て馬車は革張りの座席や外装、御者席に至るまで贅の限りを尽くした一級品である。公爵家のすべては一級品でなければならない。幼少より父はそう教え込んだ。物も人も格が品位を定めるのだ、という言葉にいつしか私は自分の価値まで測られていると思うようになった。

 粗悪品など公爵家には相応しくないという父の言葉には言外にお前も粗悪品に成り下がれば公爵家からは不要となる、という意味がありありと浮かんでいた。


 サテンのカーテン越しに、朝靄の王都が流れていく。靄を割る様に差す緩やかな陽の光にも、瑞々しさを残す朝露にも、新鮮さは疾うに薄れてしまった。ただあるのは、またこの朝が来てしまったという、燦然たる事実のみ。


 膝の上で組んだ手に、ほんの少し力が入る。

 父の言葉がまだ耳の奥に残っていた。――「そうでなければ、お前を作った意味がない」。それは父の包み隠すことない本心に他ならないのだろう。あの人にとって私は盤上の駒以上の価値を持たない。それは繰り返すよりもずっと以前からわかり切ったことだった。


 この一年で、必ず終わらせる。

 そう決めたのだ。父を、王太子を、誰をも敵に回さずに、穏やかにこの鎖を断ち切る。そのために、学園での私の地位を確立させる。公爵令嬢としてではなく、ヴァネッサ・カルヴァートという一個人として。私が"王妃"以外の駒であると、父に示すために。

 冷えた指先で左手の薬指を撫でる。存在感を主張する凝った意匠の指輪は、私が王太子妃に内定したときに王太子より贈られたものだった。

 これもまた、私を縛る鎖の一つ。

 左手の薬指は、心臓に繋がっているという。そんな伝承を聞いたとき、私の心はなぜか重く沈んでいた。この小さな金属が、私の心臓さえも固く縛り付けているのだと、幼いながらに私は理解していた。


 車窓からの景色は迷いなく目的地に近づいていた。馬車はゆるやかに減速し、御者の声が上がる。

「間もなく王立学園に到着いたします」


 窓の外に広がるのは、幾度となく目にしてきた学び舎。尖塔の白壁が朝日を反射し、無数の旗が風を受けてはためいている。

 これが何度目の春だろう。何度この門をくぐり、何度この先で失敗し、命を落としてきたのだろう。思い出すのも億劫なほどに繰り返したその結末の一つ、すべての始まりがアリシア・マーローの"あの事件"だった。


 あの日のことを思い出すだけで、喉の奥が焼けるようだ。

 けれど、避けては通れない。あの瞬間こそが、私という人間を悪役へと変えた転機なのだから。

 ――そう、あの日、私は確かに"彼女を殺そうとした"。


 馬車はゆったりとした動きで学園内に入る。カルヴァート家の紋章を標した馬車に生徒たちの視線が集まっているのがわかった。

 無理もない。王立学園に通う者でカルヴァート家の名を知らぬ者はおらず、今年王太子の婚約者たる私が入学する事は周知の事実である。

 興味、羨望、嫉妬。そんな視線を浴びながら御者の手を借りて馬車を降りる。私が火刑に処された時とは全く異なる視線の数々。以前は誇りだと思っていたその眼差しは、今となっては寧ろそちらの方が恐ろしい。その視線の数々が、反って私の失墜を喜ぶ物になる。それを今の私は痛いほど理解していた。


 腹の底に鉛が沈むような吐き気を抑えて一歩を踏み出す。そんな私の背後から明朗な声が響く。


「ヴァネッサ!」


 振り返らずともその声の主は明白だった。何度繰り返しても彼はここで私に声をかける。尤も、繰り返しなどなくても、この学園で公爵令嬢たる私を、背後から、あまつさえファーストネームを呼び捨てることができる者など、一人しかいないのであるが。


「ご機嫌麗しゅうございます。アルフレッド殿下」


 振り返り、淑女の礼をもって挨拶を返す。尊大な程に胸を張って立つ殿下の左腕には愛らしい容貌の令嬢がぶら下がっていた。名前は知らない。恐らく下位の家の娘なのだろう。王太子は私への当てつけの心算なのか、よくこうして私とは違うタイプの令嬢を侍らせていた。


「相変わらず嫌味ったらしいやつだ。何か言いたいことがあるのなら言ってみろ。お前が何を言おうと私はお前を愛することはないがな」


 令嬢を観察する私に殿下は忌々しいとばかりに顔を顰め、勝ち誇った様に言う。これもよくあるやり取り。以前の私は節操なく令嬢を侍らせる王太子に苦言を呈すのが殆ど日課の様になっていた。一人の国民として、その程度の品位は守っていて欲しかったから。けれど今となってはそんな願いも欠片たりとも残されていないが。


「いえ。殿下が何方と懇意であっても、わたくしには関係ございませんので。特に申し上げることもございませんわ」


 例え、貴方が偽りの聖女に誑かされたとしても。

 冷えきった私の言葉に王太子は驚いたように目を見開く。私が何度も学園生活を繰り返している事を知らない彼にとっては、私の態度が急激に一変した様に映るのだろう。驚きのあまり二の句が継げなくなってしまっている。


「特に御用がないのであれば、わたくしは辞させていただきますわ。殿下もご存知かとは思いますけれど、わたくし入学式での挨拶を任されておりますので」


 未だ思考が停止してしまっている王太子に時間を取られるのが惜しい。再度儀礼的にカーテシーをしてから踵を返す。


 足早に講堂へ向かう私の背後から、漸く復活したらしい王太子が何事かを喚くのが聞こえたが、今更耳を傾ける気にもなれなかった。



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