3.悪役令嬢は決意する
公爵邸の食堂は、どんな朝であろうと冷たく整っていた。食器の類は曇りひとつなく、香り立つスープは湯気さえ行儀よく揺れる。調度品の様に侍女達に整えられた私は繰り返しの中で何度も袖を通した新品の制服のスカートを摘み、食卓に座る父に向かって軽くカーテシーを披露する。幼い頃から骨身に叩き込まれた所作。
「お早うございます。お父様」
貴族令嬢然とした私の挨拶に公爵たる父は視線を寄越しただけで特に言葉を返すことはない。挙句その視線もすぐに手元の書類に向けられる。何度繰り返しても、繰り返す以前からも変わらない厳格な父の振る舞いだった。この人は、つくづく公爵という生き物なのだと思う。父が見据えるのは公爵家の利権と、国家の安寧のみ。私のことなど、せいぜい政略の道具程度にしか思っていないのだろう。
侍女に椅子を引かれて食卓に着くときも、食前に女神への祈りを捧げるときでさえ、こちらに気を留める様子はない。尤も、今更反応が欲しいだとか、ましてや家族愛のようなものを求めたりもしないけれど。
団欒とは程遠い食卓。貴族の家庭なんて、どこも変わりはしないのだろうけど以前の繰り返しの際、学園で伝え聞いたところによれば朝は家族全員揃って会話を楽しむという家庭もあるのだとか。尤も、カルヴァート家でそれは起こらない。今朝もこの席にいるのは父と私だけ。弟は早々に済ませ、母はまだ寝室のはず――ここで家族が揃うこと自体が珍しい。父がこの場にいるのも、今日が学園への入学日である私に、釘を刺すために他ならない。最初の時は、学園に入学する私に激励でもしてくれるのかと期待したりもしたものだけど、何度も繰り返すうちに、そんな期待など消え失せてしまった。
そろそろ、かしら。
書類を読み終えたらしい父がようやく視線を上げる。
「今日が入学の日であったな。学園でお前の成すべきことは分かっているな?」
「……はい。未来の国母として、王太子殿下の支えとなる様、より一層の努力を重ねて参ります」
「当然だ。――そうでなければ、お前を作った意味がないからな。くれぐれも、お前は王太子妃となるために生まれたということ、忘れるでないぞ」
威圧的な声。王太子妃になれなければ私に生まれた価値などないとでも言いたげなその物言いに、何度目であっても辟易する。この父を何とかしなければ、私の未来の安寧など訪れないだろうと嫌でも理解させられる様な、そんな言葉。
「……心得ております」
粛々と頷く私に父は満足そうに鼻を鳴らした後、書類を手に取り席を立った。椅子の脚が床を擦る音がやけに大きく響いて耳に残る。何度やっても、私にそのことを伝える為だけに食卓に現れたというのは変わらないらしい。
そんな父の態度に早くも決意が揺らぎそうになる。幼い頃からそうだった。父という存在は、私にとって常に聳える障壁のようだった。この人に逆らうことなんて出来る筈もないと思える程の、そんな存在。
どうすれば、この父を納得させた上で王太子との縁を断てるのか――。
残された静寂の中でスープを口に運びながら考える。私が私の為に生きるには、婚約解消は必須条件となる。その為には少なくとも、カルヴァート家から王妃を輩出する事と同等のメリットを示さねば、この父は納得しないだろう。加えて私には、延いては公爵家には何ら瑕疵はないと周囲が理解する形で。とはいえ、王太子にはアリシアという瑕疵が生まれる未来は既に決定されているのだけど。
つまり、私が成すべきは父に王家の縁戚となることが利にはならないと考えを改めさせること、或いはそれに勝る利益を提示すること。
そうすれば、あの父も私と王太子の婚約破棄を渋々でも許可することだろう。
問題はその手段、なのだが。
以前、ただ静かに身を引こうとしたこともあった。だがその時は『ヴァネッサ・カルヴァートは王妃の器ではないが故に婚約を破棄された』と世間に囁かれ、それに怒った父によって修道院に押し込まれることになった。使い物にならなくなった家財を処分する様に。
また、王太子に直談判したこともあった。その時も、彼は聞き入れるどころかアリシアと、彼女に籠絡された他の生徒の甘言にばかりに耳を傾け、私の申し出は『王太子の気を引く為の幼稚な駆け引きである』と糾弾されるだけだった。
何度も繰り返した失敗。今度こそは同じ轍は踏まぬ様、慎重に選び取らなければならない。
まずは、学園で派閥を固めることか。これまでの私は、公爵家、或いは王太子妃という利権に群がるばかりの取り巻きしか持たず、私個人の基盤を固める事はなかった。それが必要だと思ってすらいなかった。
評判と賛同は、家の利と直結する。"王妃輩出"だけが価値ではないと示せれば、父は計算を改める。その為に私は王太子妃の賛同者ではなく"私"の賛同者を獲得する必要がある。あの女狐に取り込まれない、磐石な支持を。
幸い、アリシアの入学までは1年の猶予がある。その1年の間に、可能な限り学園での私という人間の利を示さねば。
それこそが、私が私らしくある為の足がかりとなる。王太子妃となるに勝る私自身の価値を父に認めさせることが、父を納得させる第一歩となるのだから。
まずは1年間。私にしては十分すぎる期限。取るべき手は見えた。
匙を置く。冷えた銀の音が、朝の静けさを裂いた。それは私の闘いの始まりを告げる鐘の音のようでもあった――。




