15.悪役令嬢と嘗ての友人①
放課後。生徒の気配も疎らになった教室。
帰り支度をする生徒達を横目に、私は本を広げる。けれどページが進むことはなかった。思考だけがぐるぐると廻り続けている。
窓の外はまだ明るい。放課後の華やかな喧騒がどこか遠くに聞こえる様だった。
待つという行為は苦手だ。それは嘗ての無数の『審判』を思い起こさせる。いつだって私は何かを待っていた。他者の言葉を、世界の采配を、己の死を。意志のない人形だった私にとって、全ての結末は齎される物だった。
相変わらずページは進まない。
思い出すのは今日一日のルイーゼの姿だった。
今朝から、彼女はずっと不安そうだった。
授業中も、休み時間も、彼女は私の顔色を窺うように視線を揺らしていた。昼休憩には普段より口数が減り、笑って見せても、その表情が最後までほどけることはなかった。
『後ほどお時間を』
リディアがそう言った瞬間、ルイーゼは小さく肩を震わせた。
彼女は察しているのだろう。
リディアが私を呼び出した理由が、私だけに留まる話ではないことを。
あの冷えた視線。呼び止める硬い声。そしてルイーゼを見た、あの一瞬の間――。
あの子は賢い。だからこそ気づいている。自分が、話題に含まれている事を。リディアのお話に、ルイーゼの立場が絡んでいるのだろう事を。
ヴァネッサ・カルヴァートの隣に座るということは、そういうことだ。
私が戦う以上、彼女は私の問題に巻き込まれる。けれど守るつもりで距離を取れば、それは逆に彼女を傷つけてしまう。
私は小さく息を吐き、一向に進む気配の無い本を閉じる。
……大丈夫。焦る必要はない。
義を重んじる者ほど、筋を立てた対話をする。感情で私を裁くために来るわけではない。彼女がそういう人物である事を、私はよく知っている。
教室の扉が開く音がした。
振り向くより早く、凛とした声が静けさを裂く。
「ヴァネッサ様。お待たせ致しました。お話、宜しいですか?」
そこにいたのは、リディアひとりだった。
数名の令嬢を伴っていた朝とは打って変わって、今は彼女だけ。余計な圧を削ぎ、必要な格だけを残した形で立っている。それは、彼女の品格と矜恃を表す様でもあった。
「ええ。構いませんわ」
私が立ち上がると、リディアは一度だけ頷き、踵を返した。
私は鞄を手に取り、その後を追う。
廊下を歩きながら、私は彼女の背中を見つめた。ブロンドのロングヘアが、彼女の歩調に合わせて僅かに揺れる。そしてふと、彼女の背をこうして追う事は初めてだと思い至った。嘗ての私と彼女は共に並び立つ関係であったなと、遠い記憶を懐かしむような郷愁にも似た感覚。
リディア・ウィンザー。由緒ある侯爵家の令嬢。ウィンザー家は王国派の中心とも言える家柄で、リディア自身も私と同じく王太子妃候補としても名が挙がっていた。
以前の人生、特に一度目の人生では彼女は私の傘下にいた。
私の取り巻き、などという軽い言葉で片づけられる存在ではない。派閥を持ち、己の意志で、私に従った。言うならば、副官。
私の声が届かない場所で、私の名を背負って盤面を整えてくれた人物。慕って、くれていたのだろう。
だからこそ、今の彼女の沈黙が怖い。
今までと違う私の言動に、彼女は何を思い、何を言葉にするのか。
「こちらです」
リディアが足を止めたのは、人の気配の薄い廊下の奥だった。彼女が開いた扉の先には、整えられた空き教室がひっそりと待っている。
私は一歩、足を踏み入れた。
ここからが、本題だ。
「このような場所にお呼び立てしてしまい、申し訳ございません」
振り向いたリディアの琥珀の双眸が、真っ直ぐに私を捉える。その目線も、声色も、表情すらも何も映してはいない。理性的で、どこか冷たい。
「いいえ。構わないわ」
対する私は不安な胸中を押し殺して笑みを作る。これは私の矜恃でもあった。
「まず申し上げますわ。これは糾弾ではございません。忠言としてお聞き入れください」
私は口を挟むことなく、視線で続きを促す。
「わたくしは、嘗て同じ候補者であった頃から、ヴァネッサ様こそ王太子妃に相応しい方だと思っておりました。それは、今でも変わっておりません。ですが――」
そこで一度言葉を切る。彼女は僅かに逡巡した後、決意したように小さく息を吸った。
「いいえ。だからこそ、ヴァネッサ様には未来の国母に相応しくない交友関係は、控えて頂きたいのです」
危惧していた言葉。こちらを見据えたリディアの瞳には、確かな意思が宿っていた。




