11.悪役令嬢と阿諛の歴史
ルイーゼと別れた後、私は一人で教室に戻る。まだ休憩時間の騒めきが残る教室内では生徒たちが思い思いに歓談し、授業の準備を始めていた。
そんな中に私が姿を表すことで一瞬、生徒の視線が集まる。私は努めて気にしない様に午前と同じ席に着いた。集まった視線はすぐに霧散したものの、一部では何事かを話し合っている声も聞こえる。先程までの晴れやかな気分に少し水を差されたような気がした。
沈みそうになる気持ちに蓋をして私は授業準備を進める。やはり、この空気は居心地が悪い。そんな内心を悟られぬ様に教本を広げる私の手元に不意に影が指す。視線をあげるとそこにはルイーゼの姿があった。
「お隣、よろしいですか? ヴァネッサ様」
教本を抱えて微笑む彼女に私の表情も自然と綻ぶ。
「ええ、勿論よ。ルイーゼ」
気安く呼び合う私達に周囲の生徒は騒めく。あのヴァネッサ・カルヴァートが生徒と談笑しているなんて――。そんな驚きを含んだ騒めきが教室内に伝播していった。
そんな他の生徒たちの態度に隣に座るルイーゼは眉を顰めぼそりと呟く。
「節操のない……」
「言わせておけばいいのよ」
私の代わりにルイーゼが怒りを表してくれることで逆に私の内心はいくらか落ち着く。おかげで生徒たちの騒めきも受け流すことが出来た。
「それに――」
「授業を始めるぞ」
言いかけた言葉は丁度入室してきたミルヴァ―トンによって遮られる。教師の登場によって他の生徒たちの声も引いてゆく。
「王国史を担当するミルヴァ―トンだ。私の授業では我が国エルディシアの成り立ちと、近年の主要な出来事について取り扱う。君たちも将来、王国に貢献する者としてしっかりと学ぶように」
教卓で教本を広げながら言う彼は一瞬、こちらに冷ややかな視線を向けた。大方、王太子の言う噂を信じているか、一緒になって吹聴している一人なのだろう。その視線には明らかな敵意が含まれていた。しかしそんな視線はすぐに外され、彼は授業を開始する。
「本日は初回だ。君たちの理解を深める為に簡単な通史から解説しよう。ではまず、エルディシア建国の章から――」
ミルヴァートンの語りは一見すると教本に忠実だった。建国の経緯、王家の系譜、内紛と統合。どれも既に知っている内容だ。けれど、耳に残る言葉の選び方に微かな違和感があった。
同じ出来事でも、妙に一方向に寄せられた評価。功績は大きく、失策は曖昧に。史実を語るというより、都合の良い物語を整えているような――。
それらは私が王妃教育として学んできたものとは毛色が違う。私が教えられた王国史は、もっと淡々としたものだった。功と罪は切り分け、感情を挟まない。それが国を語るということだと、家庭教師は言った。
確かに、国政の中枢に入り込む予定であった私に教えられる内容と、その他の生徒に教えられる内容に差異があるのは当然の事かもしれない。けれど、ミルヴァ―トンの行いが行き過ぎていると感じる事もまた事実だった。
彼が語るのは学問ではない。それはどちらかと言えば政治宣伝と表するべきものだろう。それほど、彼の口調には熱が入っていた。
私とて政を取り仕切る側の人間。そういった物の必要性も理解はしているつもりだ。けれど、それを差し引いても彼の授業に好感を持つことはできなかった。
そんなミルヴァ―トンの講義は近代に近づくほどより一層の熱が籠る。
「特に近年においては隣国サリヴァンとの停戦協定をはじめとして先代、そして現国王陛下は様々な功績を残しておられる。そのご子息であらせられるアルフレッド殿下もお若いながら既にその才覚を発揮しておられる」
曰く、王太子に相応しい求心力、人々を取りまとめる統率者、快活な人となり。挙げられる全てがどこか抽象的で才覚と言うには心もとない。
無理もないだろう。あの王太子に功績と呼べるものなど一つも無いのだから。それでもミルヴァ―トンは王太子を持ち上げる事に熱心な様だった。それはまるで将来の君主に対する予行演習の様に。
王太子に与することで、己の利権を狙っている。その魂胆が見え透くほど、彼の言動は露骨なものだった。王太子のいないこの教室ですらこの調子ならば、彼のいるクラスではもっと明からさまなのだろうことは容易に想像できる。
彼も必死なのだろう。それが多くの聴衆にとって逆効果であると気づかない程には。
それでも、耳障りの良い甘言を好む王太子には喜ばれることだろう。そうやって彼は、周囲を無能で固めているのだから。
「君たちも、将来そんな王家に仕えることを肝に銘じてこれからも勉学に励むように」
ミルヴァ―トンはそう言って授業を締め括った。彼の去った教室には、何とも言えない空気だけが残されていた。




