10.悪役令嬢と零落令嬢②
「ああ、ごめんなさい。そういう意味ではないの」
「え?」
訂正する私の言葉にルイーゼは表情を変える。そこに浮かぶのは疑問と驚き。そんな彼女の表情を見ながら私は言葉を続ける。
「ベルグレイン家の事情は勿論知っているわ。けれど、私が言いたいのはそういうことじゃないの」
確かにベルグレイン家の財政が芳しくないというのは有名な話だった。そのせいで距離を置き始めた家もあるというのも事実。
しかし、それでもベルグレイン家は領民に重税を強いる事はなかった。ルイーゼの父であるベルグレイン侯爵は領主としての才に秀でているとは言えないのかもしれない。それでも安易に民に重税を課して利益を得ようとするのではなく、己が家の収入を減らしてでも民に苦労はさせぬように奮闘していた。それは領主に最も必要な素質であると私は思う。
華やかさを美徳とする社交界に於いて、その姿勢を貫く事がどれ程難しいかを、私は痛いほど理解している。
「貴女のお父様は、ベルグレイン領のために奮闘していらっしゃるのでしょう?」
グレーの瞳と目を合わせたまま、そう問いかける。ルイーゼの表情が初めて和らいだ様な気がした。
「そう、ですね。カルヴァート様にそう言っていただけて、父も光栄だと思います」
「貴女のお父様はとても素晴らしい為政者だと思うわ。……王太子殿下やその取り巻きの、己の利益にしか興味のない賑やかなだけの連中とは違って」
思わず口走った私の皮肉な言い回し。初対面のルイーゼにこのようなことを言うなんて、私は思いの外疲労していたらしい。
そんな私の言葉に、彼女は思わずと言った風に笑みを零した。その表情に少し驚く。彼女も案外、いい性格をしているらしい。慌てた様に口元を覆う彼女に、私もどこか緊張が解れる様な気がした。
「あっ、申し訳ございません。そういう意味では……」
「謝ることかしら? 騒がしい物は騒がしい。それは事実でしょう?」
自分の言動が不敬になるかと思い当たったルイーゼは慌てて訂正しようとする。私はそれを制して笑った。それに安心した様に彼女の顔にも笑みが浮かぶ。
「でも少し意外です。失礼ながら、カルヴァート様はもっとお堅い方なのかと……」
「話しかけたら切り刻まれると?」
冗談めかして言う私にルイーゼは困ったように微笑む。
「いえ、そういう事では……。カルヴァート様はわたくしにとっては天上の方ですので。それより、教室でのあの会話、聞いていらしたんですね……」
「冗談よ。気になさらないで。会話は、まあ、あれだけわたくしの目の前で話されては、当然聞こえてしまうわ」
「その……お辛くはないのですか?」
実に言いにくそうに。恐る恐ると言った体で彼女は問う。交差したその視線には、憐憫とはまた違う私を気遣う様な色が浮かんでいた。
かつて私にその様な視線を向けてくれた人がどれ程いただろう。指折り数えても片手すら余ってしまう程度しか受け取ったことのないその眼差しは、不思議と心地よいものだった。
「そう、ね……。辛くは無いと言ってしまえば嘘になってしまうわ」
自分でも驚く程すんなりと弱気な言葉が溢れ落ちる。ルイーゼは私が人に見せない様に張っていた気を柔らかく解きほぐす様な不思議な雰囲気があった。柔和で、それでいて怜俐。
「けれど、それはわたくしがわたくしであると言う責任でもあると思っているわ」
それに、このままにしておく気は更々無い、とは口にはしないけれど。
「そんなことより、午後の授業は王国史でしたわね」
「ええ……。王国史のミルヴァートン先生は、少し癖のあるお方だと聞いていますので、少し不安ですわ……」
言いながらルイーゼは眉を下げる。僅かな嫌悪が滲むその声色には思い当たる節がある。
学園で王国史の授業を受け持つミルヴァートンは王太子派で有名な人物だった。そして、その素行があまり宜しくないことも。
「午後は随分と耳に心地よい内容になりそうね」
「王太子殿下の賛美詩、ですか……」
今度は先程よりもはっきりと嫌悪感の色濃いルイーゼの言葉。
目を見合わせて、私達は思わずと言った風に笑い合う。
「本当に。彼は授業よりも、王太子殿下に阿る事の方にご執心の様だもの」
「先が思いやられますね……」
呟く様なルイーゼの言葉に予鈴の音が重なる。間もなく午後の授業が始まる合図だった。
「ごめんなさい、引き止めてしまったわね」
「いえ、とんでもない! わたくしもカルヴァート様のお人となりを少しでも知れて、嬉しかったです」
照れたように微笑むルイーゼ。私は少し思案してから口を開く。
「わたくしの事は、ヴァネッサとファーストネームで呼んでちょうだい。……お近づきの印に」
私の言葉にルイーゼは驚き目を見開いた後、綻ぶ様に笑みを浮かべる。
「光栄です、ヴァネッサ様。ではわたくしのことも、ルイーゼと」
「ありがとう、ルイーゼ。では、また教室で」
「はい、ではまた」
笑顔のルイーゼに手を振って別れる。
昼休憩が始まった時とは違う晴れやかな気分だった。




